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日本のロック史上最高のソウル・バンド 上田正樹とサウス・トゥ・サウス

上田正樹とサウス・トゥ・サウス  1974ワンステップ・フェスティバル.jpg

キー坊ーーーーーーーーっ!!!

40年以上も昔の、女ともだちの黄色い声が耳元でものすごくリアルに蘇り、
全身の毛が逆立つような感覚に襲われました。
「懐かしい」なんて、ナマっちょろいもんじゃない。幻聴ってやつですね。
あれは確か、A・H嬢の絶叫。ずっと忘れていた彼女の名前まで突然思い出しちゃって、
人間の記憶の回路って、不思議だなあ。

聴いていたのは、74年8月、福島県郡山のワンステップ・フェスティバルでの
上田正樹とサウス・トゥ・サウスのライヴ録音。
2年前にワンステップ・フェスティバルのライヴ音源が、
CD21枚組という超弩級のボックスで世に出ましたけれど、
まさかそのボックスを買うこともできず、
「あー、上田正樹とサウス・トゥ・サウスだけは聴きたいなあ」と願っていただけに、
バラ売りされたと知り、狂喜乱舞して買ってきたのでした。

高校2年のことです。ぼくの高校は男子校でしたけれど、
同じ学校の女子部があり、よくツルんで遊んでたグループがありました。
その中に、上田正樹とサウス・トゥ・サウスの熱狂的なファン(A・H嬢)がいましてね。
その子に引きずられるように、ぼくらの仲間もライヴへ通うようになり、
全員サウス・トゥ・サウスのファンになったんでした。

当時サウス・トゥ・サウスはまだレコード・デビュー前で、
その年の6月に、有山淳司とコンビの『ぼちぼちいこか』が出たんだったな。
サウス・トゥ・サウスのライヴは二部構成になっていて、
第一部が有山のラグタイム・ギターとのアクースティック・セット、
第二部がサウス・トゥ・サウスのソウル・ショーで、その二部のライヴが、
その半年後の暮れに『この熱い魂を伝えたいんや』として出たのでした。
ジャケット・デザインが、ロンパールーム(当時の幼児番組)みたいで、
ぼくらの間では超不評でしたけれど、LPリリース後のNHKテレビの公開録画の時、
メンバー全員にサインを入れてもらったことを覚えています。

上田正樹と有山淳司 ぼちぼちいこか.jpg   上田正樹とサウス・トゥー・サウス.jpg

あの公開録画もケッサクだったな。
いつものグループで押しかけたんだけど、
ぼくらが踊ろうと立ち上がると、NHKの職員に制止されるんですよ。
サウス・トゥ・サウスのライヴを、大人しく座って観てろって、アホか。
さらにアタマにきたのが、NHKはわざわざ雇ったお姉さま二人だけを踊らせて、
カメラに映すというフザけた演出をしていたことで、A・H嬢が怒りまくったっけ。

想い出は尽きないわけですけれど、当時の日本のロック・シーンで、
上田正樹のパフォーマンスは、本当にずば抜けていたんですよ。
「おおきにっ!」という関西弁が、どれだけ観客の心を熱くしたことか。
関東のバンドは、トークが不器用というか、ヘタくそで、
エエカッコしいの誤解を招いたものですけれど、
関西弁の生活感溢れるトークは、ストレートに観客のハートをつかんだんですね。
オーティス・レディング、ルーファス・トーマス、
レイ・チャールズのナンバーを借り物でなく、
あれほど咀嚼して歌えた日本人は、上田正樹ただ一人でした。

歳月を経て、いまや本格的なR&Bシンガーが大勢輩出するようになったとはいえ、
あの時のサウス・トゥ・サウスが持っていた熱量を凌ぐライヴ・バンドは、
いまだ現れてないように感じるのは、
過去の想い出を美化した、自分の思い込みのせいですかね。

そんなことも確かめてみたくて、今回ワンステップ・フェスティバルのライヴを
やや緊張して聴き始めたんですが、有山とのアクースティック・セットで始まる、
冒頭のキー坊のしゃがれ声に、いきなり胸アツになっちゃいました。
そこにあるのは、自分が惚れ込んだソウル・ミュージックに身を投じ、
全身全霊で立ち向かっている若者たちの姿でした。
そんな真摯で、純粋な思いが、ビンビンと伝わってくる生々しいパフォーマンスは、
技術や演出が格段にグレード・アップした現代のR&Bでは生み出せない、
原初のエネルギーを感じさせます。
うん、やっぱり、これはホンモノだわ。記憶の美化でも、思い込みでもなかったね。

第一部は、NGワードもピー音なしでそのまんま収録した「タバコが苦い」から、
ブラインド・ブレイクの‘Poice Dog Blues’ のイントロを拝借した
「負けると知りつつバクチをしたよ」まで、
有山淳司のラグタイム・ギターがスウィングしまくります。

ゆうちゃん(藤井裕)のグルーヴィなベースでスタートする第二部は、
ホーン・セクションも従えファンキーに迫り、
「Soul to soul! そうちゃうか!」「後ろ! 元気ないやんけ」
「よっしゃあ、死ぬまで言うたろ」と観客を煽るキー坊も、最高潮。
このむせかえるような熱さに、グッとこないヤツはいないでしょう。

この当時のサウス・トゥ・サウスは、
正木五郎(ds)と中西康晴(kb)がまだ参加する前で、
ジャズも叩ける上場正俊と、スタジオで活躍していた実力ある宮内良和(kb)、
関西ロック・シーンで名をはせた萩原義郎(g)を擁していました。
この郡山のわずか1週間前には8.8.ロック・デイに出演し、
そのライヴ盤に6曲を残しているので、既聴感はあったとはいえ、
ここでは倍の13曲、これこそサウス・トゥ・サウスのライヴですよ。

‘Licking Stick’‘Funky Broadway’ でギタリストのくんちょう(堤和美)が歌う
シブいヴォーカルもまた、サウス・トゥ・サウスの魅力。
サポートで加わった石田長生のジャジーなギター・ソロに導かれて
キー坊が歌い出す‘Try A Little Tenderness’ も、
オーティスに少しでも近づこうとする、その気合の入りぶりに、
胸を打たれずにはいられません。

上田正樹とサウス・トゥ・サウス 「1974ワンステップ・フェスティバル」 スーパーフジ/ディスクユニオン FJSP371
[LP] 上田正樹と有山淳司 「ぼちぼちいこか」 バーボン BMC3003  (1975)
[LP] 上田正樹とSouth to South 「この熱い魂を伝えたいんや」 バーボン BMC7001 (1975)
コメント(3) 

コメント 3

ペイ爺

高校生だった1975年11月13日、確か民放ラジオ局主催のライヴ放送録りだったんだと思いますが、渋谷エピキュラスで上田正樹とサウス・トゥ・サウス、生体験しております。

ハコが小さかったこともあって熱気ムンムン、手を伸ばせば届きそうな至近距離でした。

当時の自分のお目当ては前座の四人囃子。ライヴやってた頃のBeatles みたいに一曲終わる度にメンバー全員が深々と頭を下げ、お辞儀する四人囃子とは対照的に、深町純の記事でもコメントさせて頂きましたが、堤和美が Chicago の“長い夜” のリフを突然、弾き始めて上田に「なんや、シカゴか?」と言われたりなんかしてて、和気あいあい。

その存在感、パワーは圧倒的でしたね。

この頃、他にもイエロー、外道、憂歌団とかのライヴ、至近距離で観ましたけど、みんな独特なオーラを放ってて、面白かったもんなー。

>サウス・トゥ・サウスのライヴを、大人しく座って観てろって、アホか。

外道でさえ、みんな狂ったように踊ってましたよ。自分も(笑)。

by ペイ爺 (2019-04-25 15:53) 

bunboni

うふふ。半世紀前の日付がさっと出てくるのは、日記魔ですね。
にしても、エピキュラス、懐かしい! そこではサウス・トゥ・サウスは観なかったけど、日比谷野音、中野サンプラ、荻窪ロフトとあちこちで観ました。振り返ってみれば、74〜76年の高校生時代が日本のロック史の最重要期だったんですね。
by bunboni (2019-04-25 17:37) 

ペイ爺

>74〜76年の高校生時代が日本のロック史の最重要期
ですね。 お互い、そんときにその「現場」に立ち逢うことができて、ホントに良かったですよね♡

こーゆー話ができるのも、bunboniさんだけになってしまいました。

いつもありがとうございます。

by ペイ爺 (2019-04-25 22:06) 

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