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ラトヴィアの古代と未来 ラタ・ドンガ

Lata Donga  VARIĀCIJAS.jpg

ラトヴィアといえば合唱。
歌の宝庫で知られるお国柄ですけれど、
ラトヴィアの夫婦と娘2人のラタ・ドンガも、
3世代にわたって歌い継いできた民謡をレパートリーにしているといいます。

フィンランドのカンテレによく似たラトヴィアの民俗楽器、
クアクレの清涼な弦の響きを生かしつつ、
ピアノ、ベース、エレクトロほか、さまざまな楽器を多彩に取り入れています。
プロダクションがよく作り込まれているうえに、デリケイトな仕上がりで、
デビュー作にしてこの完成度の高さは、スゴいですね。
クアクレは、お父さんのアンドリス・カプストが弾いていますが、
プログラミングやエレクトロを担当しているマルチ奏者のウギス・ヴィティンシュが、
サウンドづくりのキー・パーソンのよう。

ラトヴィアの古代と現代だけでなく、ラトヴィアと世界をつなごうという音楽性は、
インド南東部のテルグ語とラトガリア語をミックスしたグループ名にも、
はっきりと表れています。
なんでも、「ラタ」は、テルグ語で女性を象徴する植物だそうで、
「ドンガ」はラテン語の砦を意味し、神と霊の家を象徴するラトガリア語とのこと。

古代インド・ヨーロッパ語族バルト語派の広がりをさかのぼる試みは、
インドのサロード、西アジアのダフ(枠太鼓)、
中東のダルブッカをフィーチャーしたサウンドに表明されていて、
アンドリスは、ラトヴィアの伝統音楽に影響を及ぼしてきたスラヴ、インド、
中東の音楽の要素を露わにしようとしています。
こんな学究的なテーマをポップ・ミュージックとして成立させるのは、
容易なことではないんですけれど、これは稀有な成功作ですね。

4人のア・カペラのコーラスは、深みのある荘厳な響きを持ち、
力強いシンギングからは北の生命力が溢れ出ます。
ラトヴィアの古代と未来を鮮やかに示してみせた野心作です。

Lata Donga "VARIĀCIJAS" Lauska CD079 (2018)
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深化したマルチーニョ流アフロ・サンバ マルチーニョ・ダ・ヴィラ

Martinho Da Vila  BANDEIRA DA FÉ.jpg

そして、もう一人の大物サンビスタがマルチーニョ・ダ・ヴィラです。
こちらは正直いうと、モナルコと違って、あまりフォローしていなかったんですよねえ。
70年代はそれこそ思いっきり夢中になった人ですけれど、
80年代以降精彩を欠くようになり、
90年代以降のアルバムはノー・チェック状態でした。申し訳ありませ~ん。

ということで、ぼくにとっては、何十年ぶりのごぶさたのマルチーニョなんですが、
ひさしぶりに聞いてみる気をおこさせた「何か」を予感したのは、当たりましたね。
こういう勘は、ほとんど外れなくなったなあ(ドヤ顔)。
マルチーニョは、70年代にサンバを蘇らせた立役者ですけれど、
あの当時の意欲溢れるサンバが、この新作では完全復活しています。

マルチーニョは伝統サンバといっても、
オーセンティックなエスコーラのサンバだけを歌ってきたわけではありません。
ジョンゴなどアフロ・ブラジル音楽の古層を見据えながら、
フレーヴォやシランダといった北東部音楽を取り入れて、
アフロ・サンバの再構築を試みてきた人です。

新作は、そんな70年代の志に回帰したともいうべき、意欲的な作品となりました。
まず1曲目から、モレイラ・ジ・シルヴァばりのサンバ・ジ・ブレッキですからね。
これまでマルチーニョがサンバ・ジ・ブレッキを歌ったことなんて、あったっけか。
しかも、曲の終わりには、ゼー・ケチの名サンバ
‘A Voz Do Morro’ に接続するという趣向です。

そして70年代のマルチーニョ復活を印象づけるのは、
短調芸術とも称された泣き節のサンバが数多く収められていること。
‘Depois Não Sei’ ‘Não Digo Amém’ ‘Bandeira Da Fé’の3曲がそれで、
70年代の短調サンバの名曲
‘Marejou’ ‘O Caveira’ ‘Claustrofobia’をホウフツさせます。

ほかにも、ファドに挑戦した‘Fado Das Perguntas’、
ラッパーのラッピン・オッドを迎えたサンバ・ラップの‘O Sonho Continua’、
17世紀ブラジルの黒人解放運動最後のリーダー、ズンビをテーマとした、
アフロ・サンバ‘Zumbi Dos Palmares, Zumbi’ という多彩な内容。

息子のトゥニーコと歌ったラスト・トラックの‘Baixou Na Avenida’ では、
フレーヴォからサンバに接続するアレンジでアルバムを締めくくっていて、
80歳にして、この攻めの姿勢はスゴいですよ。
さすがはマルチーニョ、より深みを増したアフロ・サンバに感服しました。

Martinho Da Vila "BANDEIRA DA FÉ" Sony 19075899822 (2018)
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サンバの伝道師 モナルコ

Monarco  DE TODOS OS TEMPOS.jpg

もう40年以上、ブラジルの音楽をせっせと聴いてきましたけれど、
ここ最近聴いているのは、ジャズばっかりなんだから、自分でも驚いちゃいます。
まさかブラジルのジャズがこんなに面白くなるなんて、想像すらしませんでしたけれど、
それに比べて、サンバはパッとしなくなっちゃったなあ。
特にエスコーラ系の伝統サンバは、まったく新作が出なくなっちゃいましたよねえ。

そんな不満を募らせていたところに、伝統サンバの大ヴェテラン、
大物中の大物2人が揃って新作を出してくれたんだから、
積年の渇きが一気に解消しようというもの。
だって、その1人はなんと、モナルコですよ! 言わずと知れたポルテイラの重鎮。
田中勝則さんが制作された『俺のサンバ史』から、なんと16年ぶりです。

いや~、長かったなあ。
14年に80歳記念のアルバム“PASSADO DE GLÓRIA - MONARCO 80 ANOS” が
自主制作で出たのは知っていましたけれど、
どうしても入手できなくて、悔しかったのなんのって。
あれから4年、新作を出してくれるとは、もう感激しきりです。

今思えば、モナルコが43歳で出した初のレコードに出会わなかったら、
ぼくはこれほど伝統サンバにのめりこまなかったはずです。
あの76年のコンチネンタル盤と、カルトーラのマルクス・ペレイラ盤2枚は、
ぼくにとってサンバの聖典となりました。

Monarco  Continental.jpg   Escola De Samba Da Portela A Vitoriosa.jpg

あの初レコードで、とりわけぼくが好きだった曲が、
フランシスコ・サンターナと共作した‘Lenço’。
サンターナは、ポルテーラの創始者パウロ・ダ・ポルテーラのスタイルを
継承して完成させたといわれる天才作曲家で、
この曲は57年に出たポルテーラのレコードに、
‘O Lenço’ のタイトルで収録されていました。

当時モナルコは24歳で、この時が自分の曲の初レコード化だったんじゃないのかな。
00年にマリーザ・モンチがプロデュースしたヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラの
アルバムでも、この曲はラストを飾る重要な位置づけになっていました。

Velha Guarda Da Portela  TUDO AZUL.jpg

そんなモナルコが、もう85歳なんですねえ。
年齢を感じさせない、昔と変わらないモナルコ節に、
もう涙が止まらなくなってしまって、どうしようもありませんでしたよ。
イナセな男っぷりに加えて、より柔和な表情をみせているのは、
幸福な老後を迎えていることの表われでしょう。

全16曲、昔の曲ばかりでなく、息子のマウロ・ジニースと共作した新曲もあって、
サンバ作家としての意欲もまったく衰えていません。
カヴァキーニョのマウロ・ジニースに6弦ギターのパウローンといういつもの布陣に加え、
バンドリンのルイス・バルセロスなども加わった伴奏陣も、最高のメンバーが揃っています。

17歳でポルテーラの作曲家チームの一員となり、ソロ歌手としての道を選ばず、
敬愛する先輩たちと共に活動する道を歩んだからこそ、
デビュー作も遅く、寡作家となったモナルコ。
モナルコは一貫して、自分を引き立て育ててくれたポルテーラの先輩や、
他のエスコーラのサンビスタを称賛するサンバを作り、歌い続けてきました。

仲間や人生への感謝を歌うモナルコのサンバに感動するのは、
サンバの伝道師として生きてきた彼の歩みが、
そこに刻印されているのを実感できるからですね。
頭のテッペンから足のつま先まで「誠実さ」が詰まったモナルコのサンバを聴くたびに、
自分に驕りがないか、戒められるような思いがします。

今回一番胸を突かれたのが、‘Obrigado Pelas Flores’。
ベッチ・カルヴァーリョが79年の最高傑作“NO PAGODE”で歌った名曲です。
そして、ゼカ・パゴジーニョが歌って大ヒットしたモナルコ最大の当たり曲、
‘Vai Vadiar’ で締めくくられたラストにも、
聴き終えたあと、しばし動けなくなるほど感動してしまいました。

音楽を聴く喜び、生きる意味のすべてがここにある。
そういって過言ではない、人類の宝です。

Monarco "DE TODOS OS TEMPOS" Biscoito Fino BF553-2 (2018)
Monarco "MONARCO" Continental 857382370-2 (1976)
[LP] Escola De Samba Da Portela "A VITORIOSA" Sinter SLP1718 (1957)
Velha Guarda Da Portela "TUDO AZUL" Phonomotor/EMI 525335-2 (2000)
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カルメン・ミランダでシャバダバ オルジナリウス

Ordinarius  Notavel.jpg   Ordinarius  Rio De Choro.jpg

リオで08年に結成された男女混成ア・カペラ・コーラス・グループ、
オルジナリウスの3作目を数える新作は、
カルメン・ミランダの代表曲をカヴァーするという、
若者にあるまじき(?)酔狂な企画。
古いブラジル音楽好きには、大歓迎のアルバムであります。

クラウンドファンディングで制作された前作でも、
ピシンギーニャやヴィラ・ロボスのショーロや、
ノエル・ローザのサンバなどの古典曲から、
カルリーニョス・ブラウンやエドゥアルド・ネヴィスなどの現代曲まで取り上げて、
フレッシュに聞かせてくれた彼らならではの目の付け所でしょうか。

オルジナリウスの良さは、エンターテイメント精神に溢れていること。
ブラジルのコーラス・グループというと、
クアルテート・エン・シーがまず思い浮かびますけれど、
ときに不協和音も駆使して高度なハーモニーを聞かせるエン・シーとは違って、
オルジナリウスは、あくまでもポップなシャバダバ・コーラスで楽しませてくれます。

カルメンがもっとも輝いた30年代の代表曲
‘Adeus Batucada’‘O Que É Que a Bahiana Tem’ はじめ、
前作でもメドレーで取り上げていた大ヒット曲の‘Tico Tico No Fubá’ ほか、
渡米時代の映画の挿入歌‘South American Way’
‘I, Yi, Yi, Yi, Yi (i Like You Very Much)’も取り上げています。
‘O Samba E O Tango(サンバとタンゴ)’ を、
カルロス・ガルデルのタンゴ‘Por Una Cabeza’ とメドレーにしたアイディアも秀逸。

取り立てて凝ったアレンジをしているわけでなく、
原曲に忠実にハーモナイズしただけともいえるのに、
これほど理屈抜きに楽しめるのは、オリジナルのメロディがフレッシュで、
ぜんぜん古びていないからですね。
‘Tico Tico No Fubá’ なんて100年前の曲ですよ!?
ブラジル音楽の魅力の奥深さを、まざまざと思い知らされますね。

Ordinarius "NOTÁVEL" no label RB045 (2017)
Ordinarius "RIO DE CHORO" no label no number (2015)
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サヘルの生音ビート・ミュージック タラウィット・トンブクトゥ

Tallawit Timbouctou.jpg

サヘル・サウンズから、トゥアレグのグリオ3人組の新作が届きました。
新作といっても録音は11年と、なぜか7年も眠っていた音源ですけれど、
トンブクトゥやガオなどで演奏される、
祝祭のダンス音楽タカンバの素の姿が楽しめる、貴重なアルバムです。

タラウィット・トンブクトゥは、アンプリファイされたテハルダントと、
ベース役のもう1台のテハルダントを演奏する兄弟と、カラバシを叩く甥による3人組。
全10曲45分ノンストップで演奏されるタカンバは、ダンスの伴奏音楽とはいえ、
野性味たっぷりの演奏と、砂嵐が舞うようなグルーヴに、聴き飽きることがありません。

グナーワにも通じるトランシーな快楽を呼び起こすタカンバは、
結婚式や有力者の祝賀のほか、遊牧民キャンプなどを回って
トゥアレグのグリオが演奏してきたもので、トゥアレグばかりでなく、
ソンガイのコミュニティにも広く受け入れられてきた音楽です。

70年代半ばから、グリオの出自でないソンガイ人やトゥアレグ人が、
電気化したテハルダントでタカンバを演奏するようになり、
80年代にシュペール・オンズがガオで人気を博し、
一気にタカンバ・ブームが巻き起こります。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-02-26

タカンバという名前は、トゥアレグ人が演奏していたタシガルトを
ソンガイ人がタカンバと呼んで広まったもののようで、
トンブクトゥではタシガルトと呼ばれていると、
トゥアレグのグリオのグループ、アル・ビラリ・スーダンの解説に書かれていましたね。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-01-09

カラバシを拳で叩く重低音ビートがとにかく快感で、
生音のビート・ミュージックと呼びたくなります。
このタカンバの饗宴を、もし単調と感じる人がいるとしたら、
その人はアフリカ音楽とは無縁な人だろうな。

Tallawit Timbouctou "HALI DIALLO" Sahel Sounds SS048CD (2018)
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門下生が完成させたエルメート・ミュージック ヴィンテナ・ブラジレイラ

Vintena Brasileira.jpg

エルメート・パスコアール門下生の活躍が、目立ってきましたね。
エルメート・バンドのベーシスト、イチベレ・ズヴァルギの新作が、
今年のブラジルの最高作といえる大傑作で、絶賛愛聴中ですけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-09-11
ピアニストのアンドレ・マルケス率いるラージ・アンサンブル、
ヴィンテナ・ブラジレイラの新作が、これまた秀逸です。

エルメートの音楽を知って、はや40年。
有明・田園コロシアムで観た醜悪なパフォーマンスで幻滅し、
それ以来エルメートとは疎遠になっていました。
とはいえ、彼の作編曲家としての能力は買っていたので、
ときどきはリーダー作をチェックしていたものの、
たまに聞いても、あいかわらずのハッタリが強く、
コケオドシでぐずぐずになる音楽に、毎度ウンザリさせられてきました。

ところが、親分のもとで育った弟子たちが、エルメートの音楽をやると、
見違えるようになるんですねえ。エルメートのアイディアを
きちんと音楽にふくらませる楽理的なスキルが、彼らにはあります。
北東部のリズムを多彩に取り入れて、スリリングな展開を生み出し、
高度なオーケストレーションで万華鏡のようなアンサンブルをかたどるなど、
未完のまま放り出しっぱなしになる親分の音楽を、
しっかりとした完成品に仕上げることができるのですね。
アンドレ・マルケスが若手の音楽家を集めたヴィンテナ・ブラジレイラも、
その成果をしっかりと示しています。

とはいえ、あまりにハイ・レヴェルなイチベレ・ズヴァルギを先に聴いてしまうと、
聴き劣りしてしまうのは否めないかな。
編曲に、緊張と解放のダイナミズムがいまひとつ欠けるのと、
メンバーのプレイもスコアどおりに演奏するのが精一杯で、
余裕なく感じられるのは、若手の経験不足でしょうか。

ギターやサックスに、長いソロを与えているところも難。
せっかくスコア化したオーケストレーションの緊張感が解けてしまい、
アンサンブルがソロイストのバックに後退する、
フツーのジャズになってしまう<ゆるさ>が残念です。
あくまでもソロは、難度の高いアンサンブルの合間を縫って短く演奏し、
緊張を緩めないようにすれば、もっと緊密度の高い演奏となったはず。

とまあ、高度な編曲をこなす実力者たちが、ハンパないスピード感で演奏した
イチベレ・ズヴァルギのアルバムと比較したらの話で、
このアルバムも、エルメートの音楽性を具現化した作品としては、立派な作品です。
古手のジャズ・ファンにもウェイン・ショーターでおなじみの、
ミルトン・ナシメントの“Ponta De Areia” のカヴァーもやっていますよ。

Vintena Brasileira "[R] EXISTIR" no label AM006 (2018)
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黒いフルート オマール・アコスタ

20181103_Omar  Acosta_Venezolada 1992.jpg   20181103_Omar  Acosta_Latitud 2017.jpg

ベネズエラの経済崩壊、いったいどうなってしまうんでしょうか。
年末にはインフレ率が100万パーセントに達する見通しをIMFが出していて、
08年のジンバブウェの悪夢がよみがえります。
すでに300万人がコロンビアや周辺国へ脱出していて、
国家崩壊の様相さえ呈していますね。

これでは音楽どころではない国内事情でしょうが、
ひさしぶりにベネズエラ音楽を聴ける機会がありました。
日本でベネズエラ音楽の普及に務める東京大学の石橋純さんの企画で、
フルート奏者オマール・アコスタのトーク&ミニ・ライヴが開かれました。
場所は石橋さんのホームグラウンド、東大駒場キャンパスのホールです。
ここに来るのは、12年にチェオ・ウルタードを招いた公演以来ですね。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-07-02

スペイン国立バレエ団の来日に帯同してやってきたオマール・アコスタが、
石橋さんに連絡を入れてきたことで、今回のライヴが実現したんだそう。
オマール・アコスタは98年にスペインへ渡り、フラメンコのグループで演奏活動を行い、
12年から16年にかけてスペイン国立バレエ団の音楽監督を務めていたんだそうです。
今回は監督ではなく一演奏家としての来日だったので、自由も利いたんでしょう。
同じスペイン国立バレエ団で来日し、オマール・アコスタ・トリオの一員でもある、
アルゼンチン人ギタリストのセルヒオ・メネンとのデュオ演奏を聞かせてくれました。

4369.jpg4378.jpg

オマール・アコスタが92年に出したデビュー作は、
ベネズエラの都市弦楽に夢中になっていた時期に、
アンサンブル・グルフィーオなどとともに愛聴した、忘れられないアルバムです。
その1曲目に収録されているユーモラスなメレンゲ
‘El Cucarachero’ を演奏してくれたのは、嬉しかったなあ。
終演後、このCDをオマールに差し出したら、オマールは大きな声をあげて、
「わお! このCD、ぼく持ってないんだよ!」だって。
古いレコードやCDにサインをもらう時の、あるあるですね。

オマールのフルートが黒いので、最初木管かなと思ったら、
特殊な合成樹脂製で、特許を持つ台湾の工房で作られているものだそう。
オマール自作のショーロ‘Choreto’ では、後半の倍テン(ダブル・タイム)にしたところから
白いピッコロに持ち替え、急速調のリズムにのせて鮮やかなタンギングを披露していました。

ホローポ、ダンソン、バルス、(アルゼンチンの)サンバ、タンゴに、
バッハ曲をオンダ・ヌエバ(ベネズエラ流ジャズ)で演奏するなど、
自在に吹きこなすオマール・アコスタの妙技を堪能した秋の午後でした。

4366.jpg

Omar Acosta Ensemble "VENEZOLADA" Producciones Musicarte MS090CD (1992)
Omar Acosta Trio "LATITUD" no label M3878 (2017)
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いさぎよい歌 折坂悠太

20181102_折坂悠太 平成.jpg

不思議な歌を聴きました。
フォークのようでフォークじゃない。これまでにない感触の日本語の歌。

明瞭な日本語の発音、こぶしの入った節回し、朗々と歌いもすれば、
演劇的な台詞回しもする。かつての日本語フォークのようでありながら、
フォークぎらいのぼくをグイグイ惹きつけるのだから、どうやら別物のようです。

歌のナゾはさておき、このアルバムの分かりやすい魅力は、その音楽性の豊かさ。
冒頭のサンバから、ジャズ、フォーク、カントリーを取り込んで、
自分の音楽にしっかりと血肉化させているところは、頼もしさを覚えます。
なになに風の借り物サウンドにならないのは、
すべてこの人の音楽に消化されているからですね。
ほのぼのとしたオールド・タイミーなサウンドに見え隠れする不穏な影や、
アヴァンなコラージュにも、一筋縄でいかない音楽性を感じます。

一方、メロディには、わらべ唄や唱歌のような「和」の香りがするのが、
この人の不思議な魅力。何度も聴くうちに、折坂が書くメロディと、
歌詞の日本語の収まりが、飛び抜けて良いことに気付きました。
この人の歌詞がはっきりと聞き取れるのは、そこに理由があるんですね。

いわゆるかつての日本語フォークにあった字余り感はまったくなくて、
言葉の持つリズムやイントネーションに対する感性が、鋭敏な人のようです。
日本語の響きにこだわった言葉選びが、
時に古めかしい言葉づかいになっているようにも思えますけれど、
それがすごくメロディとマッチしているんですね。

20181102_折坂悠太 タワレコ.jpg新宿のタワーレコードでインストア・ライヴを
やるというので、のぞいてきたんですが、
思いがけず強度のある歌いぶりで、
ちょっと驚かされました。
ひ弱ささえ覚える風貌なのに、
声の圧がスゴくって、気おされましたよ。
ノドを詰めた声や、似非ホーミーみたいな
声を出すパフォーマンスも聞かせて、
どれも我流ぽいんですが、それがすごく良かったな。
ギターも、ナインスやディミニッシュを
多用していましたけれど、
ジャズ・ギターを学んだとかじゃなくて、
これまた独学自己流ぽいんですね。

最近は、なんでもスクールで
習ったりするようですけれど、
この人は、歌もギターも自分で創意工夫しながら、
ひとつずつ自分の表現を獲得してきたとおぼしき確かな手ごたえを感じます。
その独創力が歌にいさぎよさを宿していて、頼もしかったです。
大器じゃないでしょうか。

折坂悠太 「平成」 PCI ORSK005 (2018)
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20代のイブラヒム・タトルセス

İbrahim Tatlıses  DOLDUR KARDAŞ İÇELİM - NESİLDEN NESİLE.jpg

ついに出ました!
トルコ歌謡の帝王イブラヒム・タトルセスの初期録音CD。
タトルセスは、オルハン・ゲンジュバイがトルコ歌謡の一大ジャンルに引き上げた
アラベスクで大当たりし、労働者階級の圧倒的支持を集めて
国民的歌手となった大スターですけれど、
その出発点は天才民謡歌手だったということが、これを聴くとよくわかります。

発売元のウマール・プラックは、ウィキペディアによると、
パランドケン・プラック(70~74年)、スタジオ・ヤルシン(75~77年)に次いで、
タトルセスが契約したレコード会社。
ウィキペディアには、在籍したのは78年のみと記されており、
年の頃なら25、6でしょうか。
所属期間が短かったとはいえ、ウマールにはタトルセス初期の名作
“DOLDUR KARDAŞ IÇELIM” もあり、重要レーベルといえます。

本CDにも前掲LPのタイトル曲が収録されているんですけれど、こちらは別録音。
ウマール・プラックからはシングルも出ていたので、
シングル録音の編集盤なのかなとも思えますが、
それにしては全15曲歌・演奏ともに統一感があり、
カセット作品用に再録音されたものなのかもしれません。

原盤はよくわからないものの、“DOLDUR KARDAŞ IÇELIM” に劣らぬ名作で、
これほど輝かしいクルド系民謡は、ほかではちょっと聞くことができませんよ。
まだ20代半ばという、若さがみなぎるその歌声は、
「甘い声」を意味するタトルセスの芸名の由来を思い出させます。
美声の天才民謡歌手というと、幼くしてデビューした三橋美智也を思わせますけれど、
二人とも伸びやかな高音とこぶし回しの絶妙さは、共通するものがありますね。

三橋美智也が追分で聞かせるこぶしと、タトルセスがトルコの長唄と呼ばれる
ウズン・ハヴァで聞かせるクルド的なメリスマとでは、味わいに違いはあるとはいえ、
天性といえるそのノドの素晴らしさに感動する点に、なんら変わりありません。
アジア東西の端っこ同士で、民謡をルーツにした大衆歌謡歌手が登場して、
歴史に名を残すなんて、なんだか嬉しくなるじゃないですか。

İbrahim Tatlıses  YAĞMURLA GELEN KADUN.jpg

こうしたクルド出自の民謡系ポップスのハルクは、
タトルセスがアラベスク路線となってから、長く影をひそめてきましたが、
09年作の“YAĞMURLA GELEN KADUN” で、
クルド民謡へ回帰した曲を歌ったのには、意表をつかれました。

あのアルバムは、アラベスクが地方の民謡を取り込みながら、
大衆性と伝統性を獲得してきた原点へと回帰するだけでなく、
クルド民謡へも回帰した、タトルセスの最高傑作でした。
その後11年の銃撃事件によって、タトルセスの輝かしい歌声が
失われてしまっただけに、最後の傑作となってしまいましたよね。

タトルセスの出発点であった初期録音の本作と、
09年作をあわせて聴いてみると、高音域の伸びとメリスマ使いの際立った技量は、
はや20代半ばで完成されていて、あらためて天賦の才に圧倒されます。

İbrahim Tatlıses "DOLDUR KARDAŞ İÇELİM - NESİLDEN NESİLE" Ömer Plak no number
İbrahim Tatlıses "YAĞMURLA GELEN KADUN" Idobay no number (2009)
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ビター・スウィート・レゲエ ベレス・ハモンド

Beres Hammond  NEVER ENDING.jpg

いい声だなあ。
嬉しくなっちゃいますよね、この円熟したノド。
ベレス・ハモンド、63歳ですか。
持ち前のしゃがれ声が、また一段と深みを増しましたね。

歌ものレゲエが、本格的に復活してるんですねえ。
ベレス・ハモンドのアルバムを聴くのは、94年の“In Control” 以来。
もちろん、その間もコンスタントにアルバムを出していたようですけれど、
レゲエとすっかり疎遠になってしまい、チェックを怠っていました。
店頭で訴求力バツグンのジャケットにやられて、すぐさまレジに向かいましたよ。
タイポグラフィに配色、ベレスのポートレイトの色味もサイコーです。

四半世紀ぶりに聴くベレス、嬉しいくらい、変わってません。
ベレス節としかいいようのない節回し、
表情豊かな歌いっぷりは、まさしくジャマイカの至宝です。
ソウル・テイストをたっぷりとたたえた資質は、
ラガ期に活躍したラヴァーズ・ロックの大ヴェテランというイメージに反し、
もっとオールド・スクールなロック・ステディの味わいを引き継いでいますね。

ラヴ・ソングにぴったりな、温かい人柄の伝わる甘い歌い口で、
恋の切なさをこれほど絶妙に表現するレゲエ・シンガーを、ぼくは他に知りません。
ほのぼのとしたムードを醸し出すところも、ベレスの良さですね。

ウィリー・リンドのギター、ディーン・フレイザーのサックス、
ロビー・リンのキーボードと、往年の盟友たちのバッキングを得て、
ベレスのビター・スウィートな甘さが、水を得た魚のごとくはじける快作です。

Beres Hammond "NEVER ENDING" VP VP2584 (2018)
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3者3様の個性を発揮したセッション エドゥ・リベイロ、トニーニョ・フェラグッチ、ファビオ・ペロン

Edu Ribeiro convida Toninho Ferragutti e Fábio Peron.jpg

この3人の役者が揃ったとあっては、聞かないわけにはいかないでしょう。
メロディを叩くドラマーのエドゥ・リベイロに、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-11-11
アコーディオンのトップ・プレイヤー、トニーニョ・フェラグッチ、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-09-09
サン・パウロの新進バンドリン奏者ファビオ・ペロンの3人による新作です。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-03-13

ベースレスという変則トリオ編成ですけれど、
ボトムの不足感がないのはさすがです。
クレジットはありませんが、ファビオ・ペロンはバンドリンだけでなく、
5弦ギターも弾いていますよ。
レパートリーは3人が持ち寄ったオリジナル曲で、
各自の個性がくっきりと浮き彫りになるマテリアルが並びます。

たとえば、メロディアスなドラミングに始まるオープニングの‘A Física’ は、
すぐエドゥ・リベイロの作曲とわかるし、
アコーディオンが主役のバイオーンの‘Mogiana’は、
当然トニーニョ・フェラグッチアコーディオンの曲だし、
穏やかなショーロ・ナンバーの‘Choro Materno’ は、
いかにもファビオ・ペロンらしい作風です。

ハイライトは、メシアス・ブリットに捧げたファビオ・ペロン作の
‘Procure Saber’でしょうか。急速調のフレーヴォを、
ファビオがメシアス・ブリットばりの高速フレーズで弾きまくり、
メシアスに劣らぬ高いテクニックを見せつけます。
トニーニョのアコーディオンもばり弾きなら、
エドゥも猛烈にプッシュしています。

3人3曲ずつのトリオ演奏に、
1曲のみ、わずか1分弱のエドゥのドラム・ソロが収録されています。
‘Vinhera’ とタイトルされたこの曲、
ドラム・ソロと呼ぶのはいささかふさわしくなく、
まるで歌うようにメロディを奏でるドラム演奏が聞けます。

Edu Ribeiro convida Toninho Ferragutti e Fábio Peron "FOLIA DE TREIS" Blaxtream BXT0020 (2018)
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日本のポップ・ミュージック史を塗り替える演奏力 クラックラックス

クラックラックス 20181828.jpg

クラックラックスの新作が、毎朝のウォーキングのパートナーとなって、はや3か月。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-08-30
楽しみにしていた9月30日のリリース・ライヴが台風で中止になってしまい、
すっかり気落ちしてたんですが、先日のアンダーグラウンド・ファンク・ユニヴァースで、
新宿ピットインに出向いたところ、「石若駿3デイズ6公演」のチラシを見て、なぬ?
なんと今度の日曜日の昼公演に、クラックラックスが出演とあるじゃないですか。

あわててレジへ駈け込み予約を入れましたけど、
クラックラックスがまさかピットインでやるとは思わなかったなあ。
しかも昼公演だっていうんだから、これまた意外。
若い人が集まるクラブで、アウェイ感たっぷりに
踊りに行くのを覚悟していたオヤジにとって、想定外の出来事でありました。

ところが、クラックラックスは、
新宿ピットインのイベントの企画として結成されたという話を
ライヴのMCで知り、二重のオドロキ。へぇ~、ここがホーム・グラウンドだったんですか。
確かに全員ジャズに精通したメンバーなんだから、不思議じゃないけど、
ポップ・ミュージックのバンドとしてカンバンをはってるだけに、これは意外でしたねえ。

そして、じっさいライヴに接して、いやもう圧倒されましたよ、その演奏力の高さに。
複雑な構成の変拍子曲で、フロアを熱く盛り上げ踊らせる技量は、
そんじゃそこらのポップ・バンドじゃできない芸当です。
ジャズのスキルばかりでなく、クラシックや作編曲の能力がふんだんに取り入れられ、
日本のポップ・ミュージックのバンドも、ここまで来たかという思いを強くしましたね。

「ここまで来たか」という感慨は、40年前に荻窪のロフトで観た、
シュガー・ベイブの演奏力のなさを、ふと思い出してしまったからなんですけれどね。
シュガー・ベイブに限らず、ぼくが学生時代だった70年代の日本のバンドは、
自分たちがやろうとしている音楽に、演奏力がぜんぜん追いついていない
不甲斐なさが、常につきまとっていたもんでした。
あの当時を思うと、今の若者たちがものすごく頼もしく映るんですよ。

リーダーの小西遼の、キーボードを操りながらヴォコーダーやサックスを吹く姿なんて、
テラス・マーティンとダブってみえましたもん。
面白いなと思ったのは、ヴォーカルの小田朋美の、日本語を響かせる感性に、
60年代アングラの匂いがしたこと。これは意外だったかな。
そして、圧巻だったのは、今回のライヴ企画の主役である、ドラムスの石若駿。
その重量感は日本人ばなれ、なんてありていな感想が失礼と思えるほどで、
間違いなく世界のトップ・プレイヤーと肩を並べるレヴェルです。

切れ味の鋭さとか、スピード感のあるドラマーなら、過去も現在も大勢いますけど、
石若ほどの圧倒的な爆発力と猛進するドラミングは、森山威男以来じゃないかな。
その一方で、驚くほど柔らかい手首のスナップが、
しなやかで大きなグルーヴを生み出しているのにも、感じ入りましたね。
この人なら、直径3メートル・クラスの和太鼓でも叩けそう。
そして、ラストの「No Goodbye」で披露した猛烈なプッシュは、
ライヴ最大のハイライトでした。

あのハッピーな「OK」を、ライヴでぜひ踊りたいというオヤジの願望、
ついにかなえられましたよ。
心ゆくまで踊って楽しんだシアワセな日曜の午後でありました。

CRCK/LCKS 「DOUBLE RIFT」 アポロサウンズ POCS1710 (2018)
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ハードコア・フリー・ジャズ・ファンク アンダーグラウンド・ファンク・ユニヴァース

Underground Funk Universe.jpg

まさしく百戦錬磨の面々。
中央線ジャズの豪傑がずらりと並んだ新バンドのクレジットに、
これは買いでしょうと飛びつこうとした矢先、
一夜だけのアルバム発売記念ライヴを新宿ピットインでやると聞き、
さっそく予約を入れ、CDは会場で買うことにしました。

事前にCDを聞かず、ライヴで初めて聴くなんてことは、
ぼくの場合、けっしてしないんだけど(だからフェスには足が向かない)、
長年聴きなじんできたこのメンバーなら、中身は間違いなし、保証付ですよ。

10月23日のライヴは、残念ながらメンバー勢揃いとはならず、
前日に退院したばかりの片山弘明が、大事をとって欠。
代わりに、バリトンの吉田隆一とテナーの佐藤帆がゲスト参加したんだけど、
吉田隆一を高く買っているぼくにとっては、これは嬉しいサプライズでした。

1部は、加藤崇之と林栄一がステージにあがり、
2人のフリー・インプロヴィゼーションからスタート。
エフェクトを駆使したギターから、変幻自在なサウンド空間を生み出す加藤と、
硬質な音のアルトを過激に吹き鳴らす林に、ぐいぐい引き込まれました。

やがてメンバー10人が揃って、
フリー・ジャズとファンクとロックをないまぜにした轟音ファンクを炸裂。
耳をつんざくホーンズの大音響が、ピットインの狭いハコにとどろきます。
地響きのような早川岳晴のベースが腹にごんごん響き、
湊 雅史と藤掛正隆のツイン・ドラムスが豪胆なグルーヴを巻き起こします。
これぞ耳じゃなく、身体で聴く快楽ですね。

大音量に負けじと、小柄な桑原延享が
アンダーグラウンド・ファンク・ユニヴァースのマニフェストをラップする姿にも、
ジンときましたね。すっかり髪が白くなっていたのには少し驚かされましたけれど、
ジャジー・アッパー・カットを代々木のチョコレートシティで観たのを最後に、
あれから25年も経ってるんだから、そりゃあ、髪も白くなるわなあ。

Jazzy Upper Cut.jpg

ジャジー・アッパー・カットは、ジャングルズの桑原延亨、フールズの川田良、
SALTの早川岳晴と石渡明廣、ヒカシューの角田犬らが集まり、
90年代前半に活動していた大所帯のヒップホップ・バンド。
当時SALTのファンだったことから、このバンドも気に入って、
ライヴに通うまでのファンになったんでした。

桑原延享のラップって、不器用きわまりないんだけど、
借り物でない身体感覚にもとづいた言葉にはウソがなくて、信頼が置けます。
2部の始まりで、石渡明廣のギターと佐藤帆のテナーをバックに、
フールズの曲を歌ったのも、彼の変わらぬロック魂が滲んでいたし、
川田良やECDの名をあげ、天国の彼らに届けとばかりにラップする姿は、
胸に沁みました。

ライヴを先に体験してしまうと、CDが物足りなく聞こえたりするものですけれど、
サウンドを整理しながらも、ツワモノたちのエネルギーを削ぐことなく
パッケージしたのはグッジョブです。
ライヴでは泥酔して醜態を晒した後藤篤のトロンボーンも、よく鳴っていますよ。
メンバーにサインを入れてもらったら、吉田隆一がおちゃめにも、
自分のサインの下に(片山?)と書いてくれましたけれど、
片山弘明がまた元気にブリバリと吹きまくれるよう、早い回復を祈っています。

Underground Funk Universe 「UNDERGROUND FUNK UNIVERSE」 Fulldesign FDR1038 (2018)
Jazzy Upper Cut 「JAZZY UPPER CUT」 ナツメグ BC2201 (1992)
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モガディシュを沸かせたソマリ・ディスコ・バンド ドゥル・ドゥル・バンド

Dur Dur Band Volume 1 Volume 2.jpg

これは、アナログ・アフリカのひさしぶりの快作ですね。
ここ数年のアナログ・アフリカの復刻のお仕事には、
あまり感心できないものが続いていたんですが、
80年代のソマリアで、民間バンドとして活躍した
ドゥル・ドゥル・バンドの復刻には発見がありました。

ようやくソマリ音楽の往年の音源に、
少しづつ光があたり始めるようになった今日この頃ですけれど、
アナログ・アフリカがドゥル・ドゥル・バンドをリリースするというニュースには、
正直歓迎できないというか、もっとほかにリイシューすべきものが
あるんじゃないのとしか思えなかったのでした。

というのも、ドゥル・ドゥル・バンドは、
オウサム・テープス・フロム・アフリカが87年の『第5集』をCD化していて、
平凡なアフロ・ファンク・バンドといった感想しか持っていなかったからです。

しかし、あらためてこのアナログ・アフリカ盤を聴いてから振り返れば、
オウサム・テープス・フロム・アフリカ盤は音質が悪すぎましたね。
劣化したカセット・テープのノイズのせいで、
このバンドの魅力を伝えきれていなかったことが、いまではよくわかります。

今回アナログ・アフリカがリイシューしたのは、
彼らのデビュー作とセカンド・アルバム。
ギターやベースの音もくっきりと捉えられていて、
当時モガディシュのディスコを沸かせたという、
ドゥル・ドゥル・バンドの演奏力をようやく認識できましたよ。

たしかにサウンドは、北米ファンク・マナーというか、
まんまコピー・バンドであるものの、それぞれ個性的な男女歌手がコブシを利かせて、
ソマリらしい5音音階のメロディを歌い、ディープな味わいを醸し出しています。
ガッツのあるサックスのブロウなども、嬉しいじゃないですか。
セカンド作では、レコードの針飛びを模したミックスという斬新なアイディアも聞かせ、
サウンド・エンジニアリングの才にもウナらされました。

モガディシュを沸かせたソマリ・ディスコ・バンドから、
濃厚なソマリ風味を味わえる、得難いリイシュー作です。

Dur-Dur Band "VOLUME 1 & 2" Analog Africa AACD087 (1986/1987)
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現代ブラジルのストーリーテラー ルーベル

Rubel  CASAS.jpg

朴訥とした、シロウトぽい歌い口に惹かれました。
こういうアマチュアぽさを失わないところが、
ブラジル音楽がいつまでもフレッシュでいられる秘訣ですね。

優雅な弦オーケストラがたゆたうと、妙に均質的なビートを刻むギターのバチーダと
ドラム・マシーンが加わり、上質のサウンド・スケープが立ち上るサウンドは、
けだしブラジルのフォークトロニカでしょうか。

スペースを大きく取り、管や弦にコーラスをレイヤーしたアレンジが、
ものすごく斬新です。管と弦のアレンジは、アントニオ・ゲーラ。
まるでインスタレーションを観るようなこの音楽の質感は、
マシーンと人力が絶妙なバランスで、
有機的に絡み合って生み出されているのを感じます。

話題のマルセロ・カメーロをホウフツとさせるサウンドで、
じっさいルーベル本人も、マルセロ・カメーロのファンを自称しているんだそう。
マルセロのヴォーカルが好みじゃないぼくには、ルーベルの方が断然いい。
これが2作目だそうです。

サンバのバツーキ、メロウなローズのサウンド、ゆるいヒップホップ、
上品な室内楽、アーバンなネオ・ソウル、爽やかなソフト・ロック。
さまざまな音楽を吸収してきた軌跡が、
現代のストーリーテラーたらんとする詩的な才能を輝かせています。
歌詞を解さずとも、サウンドだけで十分それが伝わってきますよ。
人肌のぬくもり伝わるポップ・センスが、
知的すぎず親しみやすくて、好感が持てます。

Rubel "CASAS" no label no number (2018)

没後50年記念作 コンフント・ロベルト・ファス

Conjunto Roberto Faz  COSITAS QUE TIENE CUBA.jpg

コンフント・ロベルト・ファスの新作!
いったい何年ぶりなんでしょうか。
カムバック作なのか、それとも地道に活動を続けていたのか、
よくわからないんですけれど、
おととし出ていたアルバムが、ようやく日本に入ってきました。

ロベルト・ファスといえば、コンフント・カシーノの専属歌手から独立し、
50~60年代に活躍したキューバの名歌手。
66年にファスが亡くなったあとも、コンフント・ロベルト・ファスは活動を続け、
ぼくも78年のアレイート盤“HOMENAJE A ROBERTO FAZ” を
すいぶん愛聴したおぼえがあります。

でもその後はフェイド・アウトというか、CD時代に入ってからは、
その名を聞くことがなくなっていたので、いきなりの新作には驚きましたねえ。
ジャケット写真には、オリジナル・メンバーらしき老齢の男性も写っていて、
完全に世代交代したわけではなく、往年のメンバーも残っているようですよ。
クレジットがいっさいないので、確かめられないんですけれども。

久しぶりに聴くコンフント・ロベルト・ファスの演奏ぶりは、実にハツラツとしています。
この楽団って、時代が下るほどに、軽やかになっていくのを感じますね。
78年のアレイート盤を聴いた時も、60年代にはなかったスピード感が
すごくフレッシュに感じましたけれど、今作ではさらに力が抜けて爽やかです。

オハコのグァラーチャはもちろん、パチャンガやクンビアも取り上げた
カラフルなレパートリーがゴッキゲン。
ロベルト・ファスお得意のボレーロ・メドレー、モザイコももちろんやっています。
ラスト・トラックのアフロ色濃いコンガ・メドレーでは、
ぼくの大好きな‘Sun Sun Babae’も飛び出して、もう大満足。

ロベルト・ファスが亡くなって半世紀、主人が不在となった後も、
跡取りたちが立派にアップデイトしていることを示した、記念すべきアルバムです。

Conjunto Roberto Faz "COSITAS QUE TIENE CUBA" Bis Music CD1035 (2016)
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女たちのソン セプテート・モレーナ・ソン

Septeto Morena Son  LO QUE TRAIGO YO.jpg

カネーラ・デ・クーバに続いて、またもキューバのお姉さまグループです。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-04-02
なんとソンの本場サンティアゴ・デ・クーバのグループだというのだから、ビックリ。
本格的なセプテート編成の女性だけのソン楽団なんて、
30年代のアナカオーナ以来じゃないの?
と思って、ちょっと調べてみたら、ほかにもいくつかグループがあるみたい。

マチスモからの解放を目指したのかどうかは知りませんが、
男たちから、女にソンが歌えるものかと冷笑されてきたので、
女だけでも伝統ソンを立派にやることができることを証明したかったと、
リーダーのアイメー・カンポス・エルナンデスはインタヴューで答えています。

たしかにカネーラ・デ・クーバのようなサルサなら、ポップ・センスを生かして、
女性グループならではの華やいだ雰囲気を演出することもできるけれど、
シブい伝統ソンじゃねえ。どんな感じになるのかなあ、とぼくも聴く前は不安でしたが、
いやあ、目を見開かされましたよ。なんてフレッシュなんでしょうか。
その昔、シエラ・マエストラが登場した時のことを思い出しました。
色気で迫るような女の武器を使わず、
王道のソンに真正面から取り組んで、堂々と歌っているところがいいじゃないですか。

パンチの利いた歌いぶりに、みずみずしいコーラス、これぞソンの味わいです。
メンバーの演奏力もめちゃくちゃ高くって、
アイメー・カンポス・エルナンデスが弾くトレスは、名人級。
パーカッションのリズムのキレも抜群で、そんな確かな実力は、とびっきりグルーヴィな
イグナシオ・ピニェイロの‘La Mulata Rumbera’が証明しています。

レパートリーはソン一辺倒ではなく、
ボレーロ・メドレーもあり、チャングイやグァヒーラに、
ジョー・アロージョのソン・カリベーニョまで取り上げています。
カラフルなアルバム作りとしながらも、ポップ寄りにはせず、
ソンの裏庭感あふれる味わいで一本芯を通しているところが、嬉しいアルバムです。

Septeto Morena Son "LO QUE TRAIGO YO" Egrem CD1547 (2017)
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40年後のソフト&メロウ ホンネ

Honne Love Me Love Me Not.jpg

通勤ウォーキングのお供に、
ロンドンのエレクトロ・デュオ、ホンネの新作が加わって、はや2か月。
CRCK/LCKS、キーファー、リジョイサーと連続プレイして違和感がないのは、
ジャジーなアーバン・テイストのサウンドに、
共通するセンスがあるからでしょうね。

ホンネの音楽性はエレクトロ・ポップですけど、
ジャズ新世代がデザインするサウンドと、親和性があるのを感じます。
プロフェットのサウンドとか、ネオ・ソウル的な音色の選択に対するこだわりは、
すごくありそうじゃない?

昼と夜をイメージした楽曲を半々に収めたというものの、
メロウなムードは、昼夜ともに共通していて、
ややファンキーな昼とメランコリックな夜といった程度の違い。
ジャジーなヒップホップ・センスのビートメイクは、テン年代らしいものの、
スムースで聴き心地のよいソングライティングの才は、
「ソフト&メロウ」全盛期を思わせます。

歌詞に「東京」や「渋谷」が出てくるほど、日本大好きデュオだということは、
解説を読んで初めて知りましたけど、デュオ名は日本語の「本音」から取っていて、
彼らのレーベル名が「建前レコーディングス」だというんだから、面白い。

「ソフト&メロウ」を称したクロスオーヴァー・サウンドが日本で流行した40年前には、
将来、東京に憧れるロンドンの若者が「ソフト&メロウ」なサウンドを作るなんて、
想像だにしなかったよなあ。
だって、当時のロンドンといえば、パンク全盛の時代だもんねえ。
40年前を知る者には、時代の移ろいを感じずにはおれません。

ホンネ 「ラヴ・ミー/ラヴ・ミー・ノット」 アトランティック WPCR18074 (2018)
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『その男ゾルバ』のラスト・シーン アントニス・マルツァキス

Antonis Martsakis  MIKRI MOU LEMONIA MOU.jpg

クレタ島の楽器というと、胡弓に似たリラのメージが強いですけれど、
この人が弾くのはヴァイオリンなんですね。
アントニス・マルツァキスは、クレタ島の中堅の伝統音楽家だそうで、
本作が6作目とのこと。

ウードに似た4コース8弦の弦楽器ラウート2台が歯切れのいいリズムを刻み、
カクシ味として鈍い響きのダウラキ(スネア大の太鼓)がリズムを補う合間を、
アントニスがくるくると旋回するメロディを、ヴァイオリンで奏でます。
この3人がレギュラー・メンバーで、曲によって縦笛、ウッド・ベース、マンドリン、
ギターがゲストで加わります。

きっぱりとした歌いっぷりが晴れ晴れとしていて、気持ちいいですねえ。
虚飾のないその歌いぶりに、伝統音楽家としての矜持を感じさせますよ。
クレタ島の伝統的な頭飾り、サリキをつけたジャケット写真のきりりとした横顔に、
それが表われているじゃないですか。

クリティカと呼ばれるクレタ島の伝統音楽を、
シンプルな編成でカジュアルに聞かせるアルバムは、
これまでもいくつか耳にしてきましたけれど、
本作は演奏の主役がリラではなく、ヴァイオリンのせいか、
サウンドに深みがあって、豊かな味わいをおぼえます。
アラブのタクシームをホウフツとさせるヴァイオリンの即興もスリリングならば、
ゆったりとしたテンポのララバイでは、その奥行きのあるメロディに歴史を感じさせます。

ダンス・チューンのキレもバツグンなんです。
ギリシャの民俗ダンスでもとりわけ激しいといわれる、
クレタの軽快に跳ねるステップ・ダンスが目に浮かぶようです。
そういえば、名画『その男ゾルバ』の舞台は、たしかクレタ島でしたよね。
すべてを失った主人公が、ゾルバにダンスの教えを乞い、
クレタ島のまばゆい陽の下で、二人でダンスするラスト・シーンを思い出しました。

Antonis Martsakis "MIKRI MOU LEMONIA MOU" Aerakis AMA408 (2018)
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オリジナルを超えた『リメイン・イン・ライト』 アンジェリク・キジョ

Angelique Kidjo  REMAIN IN LIGHT.jpg

アンジェリク・キジョが、なんとあの『リメイン・イン・ライト』をカヴァー!
よくまあこの企画、考えついたもんだ。仕掛け人、表彰もんだね。
まさかキジョ本人のアイディアじゃないよね!?

先に白状しておきますけれども、キジョは歌手として好きなタイプじゃないし、
『リメイン・イン・ライト』は、買って早々に手放してしまったレコード。
そんなぼくにとって「マイナスの2乗」企画だからこそ、
逆転びっくりの「プラス」になるかもという予感がしたんですが、大当たりでしたよ。

ちょこっと昔の記憶をたどると、『リメイン・イン・ライト』が出た80年は、
ぼくはロックへの興味を完全になくしていて、
本格的にアフリカ音楽へのめりこんでいた時代でありました。
そんな頃に、リズムや曲の構造にまで踏み込んで
アフリカ音楽を取り込もうとしたロック作品として登場したのが、
『リメイン・イン・ライト』だったのです。

ムチのようにしなるビートが強烈なA面1曲目に、
「おー、カッコいいねぇー」と思いはしたものの、
「でも、こんなにカッコよくする必要ないんだけど」などと、
ひどく冷めた感想を持ったことを、いまでもよ~く覚えていますよ。
こういうカッコよさって、まぎれもなくロックのセンスで、
アフリカ音楽のカッコよさとは別物だろ、と。

これとまったく同じ感想をもったレコードが、この少しあとにもあったよなあ。
ビル・ラズウェルがプロデュースした、フェラ・クティの“ARMY ARRANGEMENT” です。
ビシビシと強烈なスネア音が耳残りする、
スライ・ダンパーのドラムスに差し替えたリズム・トラックは、
いかにも80年代ロックらしいドラム・サウンドでした。

あー、こういう風にしないとロック・ファンにはウケないんだろうけど、
違うんだよなあと、ボヤいたもんです。
ビル・ラズウェルがプロデュースに絡んでいない、
ナイジェリア国内ヴァージョンと聴き比べれば、その違いは歴然。
ビル・ラズウェル・プロデュース・ヴァージョンが、
のちにブロークン・ビーツのネタとなったのは、いかにもでした。

話戻して、その『リメイン・イン・ライト』のカッコよさもA面だけで、
B面はなんだかパッとしない曲が並んでいたし、
ラスト・トラックがこれまた暗くて、ひどく後味が悪かったことを記憶しています。
なにより、ぼくにはダメだったのが、デヴィッド・バーンのヴォーカル。
生理的に受け付けられない典型的な声と歌いぶりで、
これでもう自分には不要なレコードと、烙印を押したんでした。

それに比べたら、キジョのパワフルな歌いっぷりといったら、どうです。
バーンの線の細い白人的なヴォーカルとは、まさに対照的。
硬直的なキジョのヴォーカルは、もともとロックと親和性が高く、
『リメイン・イン・ライト』というマテリアルにはうってつけです。

結果、オリジナルとは比較にならないどころか、
オリジナルをはるかに凌ぐカヴァー・アルバムとなりましたね。
エッジの立ったビートは、ふくよかなグルーヴへと変わり、
がっしりと計算されたアレンジと、
それを肉感溢れるサウンドに膨らませる演奏ぶりに
アフロ・ロックの成熟を感じさせます。
トニー・アレンを起用して、スウィング感たっぷりのドラミングを
効果的に組み込んだアイディアも、今の時代だからこそでしょう。

アフリカのまなざしで西洋を素材化した今回の企画は、
数年前にテリー・ライリーの『イン・C』をマリのミュージシャンに演奏させた、
あの醜悪なアルバムへの強烈なカウンターにもなりましたね。
テリー・ライリーなど知るよしもないアフリカ人ミュージシャンに、
『イン・C』を演奏させるという企画は、
西洋人の自己満足以外のなにものでもありませんでした。
現代音楽が行き詰ったなれの果てのミニマル・ミュージックを、
アフリカの音楽家たちにやらせるという企画に透けて見える
西洋人の傲慢さに、ガマンならなかったのですよ。

西洋近代への反動からアフリカの価値観に接近した『リメイン・イン・ライト』を、
本家アフリカがポストモダンな屈折をあざ笑うかのように、
楽々と乗り越えてみせたカヴァー。
80年代を代表する知的なロック名作は、
テン年代の肉体感溢れるアフリカン・ポップの傑作へと変貌したのでした。

Angelique Kidjo "REMAIN IN LIGHT" Kravenworks KR1002 (2018)
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コロゴの若きオピニオン・リーダー アタミナ

Atamina  SYCOPHANTIC FRIENDS.jpg

もう一人、コロゴのホープがいることを忘れちゃいけません。
キング・アイソバのガーナ国内ツアーで、前座を務めているというアタミナ。
コロゴの立役者を集めた話題のコンピレーション“THIS IS KOLOGO POWER!” で、
キング・アイソバをフィーチャーし、
‘Ghana Problem (Mind Your Own)’ を歌っていた人ですね。

野性味たっぷりに歌う、アタミナの若々しく粗削りなヴォーカルがイイんです。
弦を叩きつけるようにかき鳴らす、
コロゴのシンプルな反復フレーズに、ウキウキします。
打ち込みやキーボードのチープなサウンドには、
スレンテンを思わすユーモアがあって、
コロゴのキュートな魅力となっていますね。

アタミナは、ブルキナ・ファソの国境に近いガーナ北部の小村ボンゴの生まれ。
民間療法士から転向して、コロゴの歌い手になったといいます。
祖父がコロゴのミュージシャンだったそうですが、祖父から習ったことはなく、
自分で覚えたとのこと。

アユーネ・スレは、ヒップホップ感覚の強いポップなコロゴを持ち味としていましたが、
アタミナはカントリー・ブルースをホウフツする、
オーセンティックなサウンドを聞かせます。
時事問題をテーマに、社会批評に富んだ歌詞を歌い、
ラディカルな政治姿勢を示すシンガーのようですね。

プラスチック製品の使用を禁止しようと訴える‘Rubber Song’ のほか、
「正義なくして平和なし」と歌う‘When Two Elephants Fight’ では、
ボコ・ハラムを非難しています。

硬派な社会的メッセージを、
軽妙でユーモアのある音楽にのせて歌う音楽家は、信頼に足る。
これは、ぼくの長年の経験則。
アタミナはコロゴの若きオピニオン・リーダーといえそうですね。

Atamina "SYCOPHANTIC FRIENDS" Makkum MR21 (2017)
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ヒップホップ世代のコロゴ・パワー アユーネ・スレ

Ayuune Sule  WE HAVE ONE DESTINY.jpg

ダミ声の怪人キング・アイソバのバンドで、
ボール大のシェイカー、シニャカを振っていたアユーネ・スレのソロ・デビューです。

アイソバに劣らぬダミ声、というよりどら声でしょうか。
ユーモラスな歌い口に、いつしか頬もユルみ、笑顔にさせられるハッピーなコロゴです。
コロゴって、やっぱり現代のミンストレルですね。だって、辻芸人そのものじゃないですか。
ガーナの田舎道で子供たちに囲まれ、歌っている様子が目に浮かぶようです。

アユーネ・スレは79年、ガーナ南部の大都市クマシの郊外で、
北部出身の両親のもと生まれました。
母親がガーナ北部の伝統的な発酵ビール、ピートを飲ませるバーを営んでいて、
そのバーで演奏していたコロゴのミュージシャンに、スレは心を奪われます。
スレがあまりにもコロゴに夢中になるので、学業の遅れを心配した両親は、
スレを故郷のボルガタンガの学校へ送りますが、
それはまったくの逆効果で、スレはさらにコロゴにのめり込んでいったのでした。

13歳の時、カセットに録音した曲がボルガタンガのラジオ局で取り上げられ、
それを機に、スレの名前は一気に高まりました。
次々と新曲を作っては発表し、両親が働くクマシに戻ってきた時は、
すでにフラフラ人のコミュニティで、コロゴのスターとなっていたそうです。

その後スレはキング・アイソバのバンドに入り、
13年からヨーロッパへツアーに出ます。
コンサートのオープニングでスレが歌う、
‘What A Man Can Do A Woman Can Do More Better’のウケがよく、
15年にシングル・カットしたところ、
ヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンでヒットし、
今回のソロ・デビューへと繋がりました。

スレのコロゴは、伝統的なスタイルばかりでなく、
ガーナ版アフロビーツとして近年ガーナで大人気のアゾントや
ヒップライフも巧みに取り入れていて、そのポップ・センスは抜きん出たものがあります。
6人のラッパーをフィーチャーしてヒップホップをミックスしたコロゴは、
現地の若者にウケそうだし、キャッチーなメロディなど、
ソングライティングの能力も高く、アイソバ以上の才能を感じさせます。

一方、伝統スタイルでは、ギターの弾き語りならぬ、
シニャカの振り語り‘Senyaane’も聴きものです。
コロゴを多角的なサウンドで料理しつつ、
軽やかなプロダクションが良い意味でのチープさを伴って、
コロゴのカジュアルな魅力を十二分に発揮した傑作です。

Ayuune Sule "WE HAVE ONE DESTINY" Makkum/Rebel Up! MR23/RUP001 (2018)
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エグ味は旨味 デレブ・ジ・アンバサダー

Dereb The Ambassador  ETHIOPIA.jpg

アズマリ出身の歌手デレブ・デサレン率いる
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-11-02
在オーストラリアのエチオ・ポップ・バンド、デレブ・ジ・アンバサダーが、
昨年に続き3度目の来日を果たします。

ホーンズを従えた生バンドによるエチオ・ポップは、
本場エチオピアでも、おいそれとは聞けるもんじゃありません。
それを日本にいながらにして体験できるんだから、
これを贅沢と言わずして、何と言いましょう。
んもー楽しみで、今からソワソワしっぱなしですよ。

エチオピーク・シリーズを聴き倒しているエチオ・ポップ・ファンなら、
デレブ・ジ・アンバサダーのライヴを見逃すような人はいないと思いますけど、
もし情報をキャッチしそこねている人が周りにいたら、教えてあげてください。
今回のツアーは、今月19日から始まりますよー!
https://ethiopianartclub.org/events/

で、今回はなんと、新作をひっさげての来日なんですね。
思えばデビュー作が出たのは、もう8年も前のこと。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01
2作目を出すまで、ずいぶん時間がかかったものです。
デビュー作は、バリトン・サックスも加えた5管編成という
ブ厚いホーン・セクションが聴きものとなっていたんですが、
今作のホーンズは3管となり、メンバーもだいぶ入れ替わっています。

バンド・サイズがやや縮小したことによって、
デビュー作の音圧でぐいぐい迫ってくるようなパワーは減じたとはいえ、
エチオピア黄金時代のサウンドの再現にとどまることなく、現代性を加味しながら、
じっくりとサウンドを練り上げたことがわかる力作に仕上がっています。
野性味溢れるデレブのファンキーな歌いっぷりも申し分なく、
なにより嬉しいのは、エチオピア音楽独特のエグ味を失っていないことです。

それは、‘Ethiopia’と題されたタイトル・トラックにも表れていますね。
‘Ene Negn Bay Manesh’ を原題とするこの曲は、
エチオピア黄金時代の影の立役者、ギルマ・ベイェネの名曲で、
昨年ギルマがフランスのエチオ・ポップ・バンド、
アカレ・フーベとともに制作した初ソロ作にも収録されていました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12

ギルマ・ヴァージョンでは、エレクトリック・ギターがジャズぽいリックを繰り出し、
ジャジーなサウンドを演出していましたけれど、
デレブはクラールをカクシ味にして、
ノスタルジックなエチオ・ポップの味わいを溢れさせています。

こうした濃厚な味わいは、
コンテンポラリーなエチオ・ポップのサウンドがクリーンになるにつれ、
じょじょに薄れつつあるものなのですけれど、
デレブはエチオ・ポップの美学ともいえるエグ味を、
意識的にキープしてるみたいですね。

アルバムの前半を占めるデレブのオリジナル曲が、
エチオピアの伝統モードのなかでとりわけアクの強い、
アンチホイェやアンバセルを使った曲が多いことからも、それは見て取れます。

オーストラリアに渡ったデレブが多国籍のメンバーとバンドを組み、
外からエチオピア音楽を見つめたことで、
あらためてエチオピア音楽の独自性である<旨み>を自覚したのかもしれません。

黄金時代を思わすむせかえるような臭みに、
エチオピアの人情味が宿った会心のアルバムです。

Dereb The Ambassador "ETHIOPIA" no label no number (2018)
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直情的なタハリール レザー・ゴリ・ミルザザリ

Rezâ-Qoli Mirzâ Zelli  VOCAL PERFORMANCES.jpg   Reza Gholi Mirza Zeli  THE VOCALS.jpg

イランの古典声楽は蝋管・SP時代に限ります。
19世紀生まれのエグバール・アーザルやターヘルザーデを知ってしまったら、
もう現代の古典声楽なんて聞けません。
スクラッチ・ノイズなどものともしない剛直な歌唱は、
現代の歌い手にはないスゴ味があります。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-06-14

そんなぼくなので、レザー・ゴリ・ミルザザリの見たことのないCDを発見して、
矢も楯もたまらず飛びついてしまいました。
そしたら、あれ? 聴き覚えのある曲ばかり。
それもそのはず、さんざん聴いたマーフール盤とジャケットは変わっているものの、
CD番号は同じで、新装再発盤なのでした。

2曲が差し替わり、曲順を変えているほか、
旧版とは音源も違うのか、収録時間に差があり、音質もだいぶ違います。
旧版はノイズを取りすぎて、音質が少し痩せていたのに対し、
新装版はノイズをある程度残しながら、より自然な音に近づけているんですね。
これならダブリで持っていてもいいかなと納得したものの、
13年にこの新装版が出ていたのは、気付きませんでした。

レザー・ゴリ・ミルザザリは、
ターヘルザーデより下の世代の20世紀生まれで、
わずか40歳で早逝してしまった名歌手です。
録音があまり残されておらず、マーフールのほか、
カルテックスとチャハールバーグからもCDが出ていますけれど、
それぞれかなり曲はダブります。

レザーの直情的なタハリールが爆発する瞬間のスリリングさは、たまりません。
緊張を高めて一気に解き放つタハリールの輝かしさは、格別です。
芸術性と野性味が共存するのは、この時代のアーヴァーズだけでしょう。
伴奏も素晴らしく、もっとも多くの曲でモシル・ホマーユンがピアノを弾くほか、
巨匠アボルハサン・サバーのヴァイオリンも聴くことができます。

Moshir Homâyun Shahrdâ  PIANO.jpg

モシル・ホマーユン(1885-1970)は、ピアノで古典音楽を初めて演奏したパイオニアで、
サントゥールの模倣の域を超えたピアノ演奏法を確立した巨匠です。
モシルのスタイルは、のちのモルタザー・マハジュビーや、
ジャヴァッド・マアルフィといったピアニストたちにも大きな影響を与えたといいます。
モシルはターヘルザーデと共演した録音なども残っていますけれど、
レザーの伴奏を務めた曲が、代表的名演とみなされているようですね。

レザーのCDを聴いていて、モシル・ホマーユンのピアノをもっと聴きたくなり、
ピアノ・ソロ・アルバムも引っ張り出してきたんですが、
微分音調律されたピアノで、マーフール、ダシュティ、ホマーユン、
アフシャーリーといった旋法を10分前後で聞かせる独奏は、やはり絶品です。

Rezâ-Qoli Mirzâ Zelli "VOCAL PERFORMANCES OF REZÂ-QOLI MIRZÂ ZELLI" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD52
Reza Gholi Mirza Zeli "THE VOCALS OF REZA GHOLI MIRZA ZELI" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD52
Moshir Homâyun Shahrdâr "MOSHIR HOMÂYUN SHAHRDÂR, PIANO" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD454
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ホラズムの古謡 アブドゥカディール・ユスポフ

Abduqodir Yusupov.jpg

10年くらい前だったか、ウズベキスタンに旅した人が現地で買い付けてきた
ウズベキスタン盤CDが、話題を呼んだことがありました。
その時ウズベク・ポップにも、いろいろなスタイルがあることを知ったわけですけれど、
とりわけ興味をひかれたのが、ホラズム出身の女性歌手たちでした。

打ち込み使いのポップスながら、フォークロアな香り高い伝統ポップスで、
タールやドゥタール(ロング・ネックの弦楽器)、ドイラ(フレーム・ドラム)といった、
かの地の楽器がふんだんにフィーチャーされていましたね。
トルコやイラン、カスピ海に面する国々のポップスを連想させつつ、
そのどれとも違う趣に、これがホラズムの特徴なのかと思いながら聴いたものです。

ホラズムといえば、古代からペルシャ、アラブ、テュルク系の民族が進出し、
さまざまな文化が往来した都市。13世紀には中央アジアから西アジアに及ぶ、
東方イスラーム世界の最強国ホラズム・シャー国の中心地だったところです。
ホラズムが民謡や伝統歌謡の宝庫であるのは、
ウズベキスタンのなかでも独特の文化を育んできた歴史ゆえなのでしょうね。

Feruza Jumaniyozova.jpg

そうした伝統が、現代のポップスにまで脈々と受け継がれていることは、
フェルーザ・ジュマニヨーゾヴァ嬢のアルバムが証明していましたけれど、
今回はポップスではなく、ホラズムの古謡を歌う、
素晴らしい男性歌手の現地盤を聴くことができました。
棚卸していたら、当時の入荷品が今頃出てきたんだそう。

その歌は、タールを抱える表紙が示すとおり、
トルコの吟遊詩人アシュクのサズ弾き語りを思わすほか、
悠々と歌うその雰囲気は、トルクメニスタンにカスピ海をまたいだ国、
アゼルバイジャンの伝統音楽ムガームに通じるところも感じられます。

野趣に富んだその歌いぶりは、イラン古典声楽やムガームのように
装飾的な技巧を節回しに用いる洗練とは、また別の魅力がありますね。
喉を開いた豊かな発声と伸びやかな歌い口には、自由さがあって、
ゆったりとしたその歌い回しに身を委ねていると、心が落ち着くのを感じます。

緩急をつけた小編成の弦・打楽器アンサンブルに、一部の曲では
弦楽オーケストレラが付く曲もありますけれど、ここで歌われるのは、
サマルカンドのウズベク古典声楽とはまったく異質の音楽。
これがホラズムのフォークロアが生み出した伝統歌謡の味わいなんですね。

なんだか聴いていると、この歌手が特別素晴らしいというわけではなく、
ホラズムにはこんな歌い手が大勢いるんじゃないかという気がしてくるんですよ。
もっと聴いてみたくなりますけど、ウズベキスタン盤なんて日本じゃ手に入らないし、
10年前ですら現地にはオーディオCDがほとんどなく、
MP3 CDばかりだったというから、こりゃなかなか難しそうです。
いつかホラズムにも行ってみたいなあ。

Abduqodir Yusupov "SOZ BILAN" Ravshan no number (2008)
Feruza Jumaniyozova "SIZNIKI SANITATIM, SIZNIKI KALBIM" PanTerra Studio no number (2007)
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貴婦人になったマレイシアの大歌手 シティ・ヌールハリザ

Siti Nurhaliza  Konsert Satu Suara.jpg

もう金輪際、「シティちゃん」などと呼びません、いや呼べません。
この大物感、これがあのシティ・ヌールハリザなのかと、
タメ息がでるほどの変貌ぶりです。

結婚して貴族の称号ダトゥを得、
貴族の社交や生活習慣もすっかり板についたのでしょう。
堂々とした立ち居振る舞い、自信に満ち溢れた所作、
雄弁にMCするシティに、もうかつての少女ぽい面影はありません。

Siti Nurhaliza In Concert.jpgシティのライヴといえば、
05年のロンドンのロイヤル・アルバート・ホールの感動が
いまだに忘れられないんですけれど、
その感動は、田舎の貧しい村に生まれた天才少女歌手が、
大都会に出て成功し、
ついにマレイシアを代表する歌手まで上りつめて、
ロンドンの名門コンサート・ホールの
ステージに立ったのを目撃する
サクセス・ストーリーにありました。

しかしあの時の感動も、通過点にすぎなかったんですね。
シティはすでにそこから二段も三段も
ステップアップしたステージに立っています。
かつての少女は貫禄のある貴婦人へと成長し、
天才歌手は国が誇る大歌手となったことを、
これほど実感させるライヴはありません。

本DVDは15年11月7日と8日の2夜、
クアラルンプールのイスタナ・ブダヤで行われたコンサートを収録したもの。
東方のともし火コンサートに続くコンサート・ライヴで、
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-05-31
豪華なオーケストラを率いて伝統音楽を披露した前回とは趣向をぐっと変え、
インドネシアの大ヴェテラン、ヘティ・クース・エンダンと
マレイシアのヴェテラン・ロック・シンガー、ラムリ・サリップの2人をゲストに迎え、
カジュアルな雰囲気でポップス中心のレパートリーを歌う、歌謡ショーとなっています。

シティは大先輩のヘティにもまったく臆するどころか、対等に渡り合っていて、
大先輩と後輩というより、めちゃめちゃ仲の良い年の離れた友人といった雰囲気ですね。
ヘティがもうノリノリで、エンタテイナー魂を炸裂させてシティを守り立てるところは、
長い芸能生活を経たヴェテランの懐の深さを感じさせます。

ヘティの歌の上手さも相変わらずで、ラテン・ボレーロにアレンジして歌った、
80年代のポップ・クロンチョンのヒット曲‘Kasih’が聴きもの。
シティとの息の合ったデュエットにも、引き込まれるばかりです。
いまさらですけど、本当に二人の歌唱力にはホレボレしますよ。

ロック・シンガーのラムリ・サリップを迎えたのも大成功で、
歌謡とロックというスタイルの違いが、互いを引き立て合っています。
ラムリがシティの横でダミ声でいくらシャウトしても、
シティの歌がぜんぜん負けてないところがスゴいんだわ。
シティの歌のダイナミック・レンジがハンパなく大きくて、
ロック・シンガーとは別種のスケール感で圧倒します。
ラムリが歌い終えたあと、
「シティはソウル・シンガーだ!」と思わず口走るところなど、そのいい証明です。

ヴィデオの後半に収められたリハーサル風景が、また見もの。
狭いスタジオの中で、ミュージシャンに指示を出すラムリと、
シティとヘティのいかにもリラックスした楽しそうな様子が、
コンサートの成功を約束しているようで、観ているだけで笑みがこぼれます。

[DVD] Dato’ Siti Nurhaliza "KONSERT SATU SUARA VOLUE 2" Siti Nurhaliza Productions/Universal 5735513 (2018)
[DVD] Siti Nurhaliza "IN CONCERT, ROYAL ALBERT HALL LONDON" Suria SRDVD06-53618 (2006)
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イングランドの香り豊かに レイチェル・マクシェイン

Rachael McShane & The Cartographers  WHEN ALL IS STILL.jpg

バンドの名義が添えられているものの、
主役のフィドル以外のメンバーは、メロディオンとギターの3人だけ。
最小人数バンドを率いるレイチェル・マクシェインは、
イングランドのフォーク・ビッグ・バンド、ベロウヘッドで、
フィドルとチェロを担当していた人のこと。
ベロウヘッドといえば、08年のセカンド作“MATACHIN” をよく聴いたけど、
レイチェルの名を意識したのは、今回が初めてです。

ソロ・アルバムとしては、デビュー作から9年ぶりというのだから、
ずいぶんと長いインターヴァルです。
さすがにキャリアを積んだ人なので、演奏にはゆとりがあるし、アイディアも豊富。
イングランドの有名な古謡‘Two Sisters’‘Sheath And Knife’や、
イングランドの古い詩にレイチェルが曲をつけた‘Sylvie’など、
ベロウヘッド時代のワールド・ミュージック的なアプローチとは違って、
真正面から伝統音楽に向き合った作品となっています。

きりっとしたレイチェルのシンギングがいいんです。
粒立ちのよいギターの響きと、豊かなメロディオンの音色によく映えるヴォーカルで、
これぞイングリッシュ・フォークといった味わいを感じます。
レイチェルが弾くヴィオラの深い音色も、演奏に奥行きを与えていて、
たった3人とは思えないサウンドを生み出していますよ。

ゲストには、プロデューサーのイアン・スティーブンソンのウッド・ベースのほか、
マンドリン、エレクトリック・ベース、パーカッションが参加。
メロディオン奏者ジュリアン・サットン作のインスト曲メドレーには、
オーボエが加わり、映像的なサウンドスケープを繰り広げるほか、
アルバム・ラストの‘Green Broom’では、
トランペット、トロンボーン、チューバのブラスを加えて華やかに締めくくり、
気持ちの良い聴後感を残します。

Rachael McShane & The Cartographers "WHEN ALL IS STILL" Topic TSCD596 (2018)
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ンバクァンガ最後の大物 アイリーン・マウェラ

Irene Mawela  ARI PEMBELE.jpg

アイリーン・マウェラの新作!!!

これは思いもよらないリリースです。
南ア音楽シーンから、ンバクァンガやマスカンダの姿がすっかり消えていたところに、
ンバクァンガ時代を代表する女性歌手で作曲家のアイリーンの新作が届くとは。
南ア黒人音楽の黄金時代を知るファンにとって、これほど嬉しいニュースはありません。

07年のカムバック作にもカンゲキしたものですけれど、
その後出た復帰第2作の12年作を、とうとう入手することはできなかっただけに、
この新作には驚かされました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20

新興レーベルの第1弾としてリリースされた本作は、
その12年作に次ぐアルバムと思われ、
12年録音の3曲、15年録音の4曲、17年録音の6曲が収録されています。
全曲アイリーン・マウェラの作(共作含み)で、
数多くのンバクァンガの名曲を書いてきた人だけに、
これぞ南ア・ポップといった刻印の押された曲が、ずらりと並んでいます。

アイリーンは40年ソウェト生まれなので、72~75歳時の録音になるわけですけれど、
その声に老いはあまり感じられません。
もともとパワフルに歌うタイプではなく、優しく穏やかな歌い口のシンガーなので、
年齢を重ねても、さほど衰えは目立たないようです。

驚いたのは‘Tirekere’ に、南ア音楽界の偉大なるプロデューサー、
ルパート・ボパーペの語りがフィーチャーされていたこと。
ルパート・ボパーペは、ンバクァンガの生みの親であり、
アイリーンの育ての親であることは、南ア音楽ファンならご存じですよね。

この曲はルパートとの共作で、12年録音となっているんですが、
ルパートは12年6月15日に86歳で亡くなっているので、
この録音は死の直前にあたる、最期の録音と思われます。
ここでルパートは、「イリーナ」と呼びかけているように聞こえるんですけれど、
「アイリーン」でなく、こちらが本当の発音なのでしょうか。

グロウナーとして知られるヴェテラン・シンガー、
マザンバネ・ズマをーフィーチャーした‘Makhaza’ では、
かつてマハラティーニとのコンビで歌った60年代のヒット曲を思わせ、頬が緩みます。
どの曲からも南ア黒人音楽の特徴といえるメロディがふんだんに出てきて、
嬉しくなってしまうんですけれど、惜しむらくは、
打ち込みを中心としたプロダクションの貧弱さが、
マテリアルの良さを生かしきれていないこと。

人力演奏ではないから、60~70年代のンバクァンガ・サウンドの再現なんて、
ないものねだりをするつもりは毛頭ありませんけど、打ち込みを使うなら使うで、
もっとマシなプロダクションにしてくれなきゃ、ガッカリだよなあ。
ボトムは薄いし、鍵盤のチープな音色もグルーヴ感を損なっていること、おびただしい。
プロダクションさえ良ければ、数倍聴きごたえのある作品となったろうに、
それだけが悔やまれます。

Irene Mawela "ARI PEMBELE" Umsakazo UM101 (2018)
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ジャズ演芸 スリム・ゲイラード

Slim Gaillard Groove Juice.jpg

おぉ、ノーマン・グランツのもとでレコーディングした時代のスリム・ゲイラードの録音が、
ついに集大成されましたか。スリム・ゲイラードが本国アメリカで
きちんと再評価されるまで、本当に時間がかかりましたよねえ。
アメリカでの再評価のはじまりといえば、
94年にクレフ~ノーグラン~ヴァーブ時代の録音をまとめた
“LAUGHING IN RHYTHM: THE BEST OF THE VERVE YEARS” でしたもんね。
その時点で、半世紀近く経ってたんだからねえ。

それ以前はといえば、イギリスのヘップやスウェーデンのタックスといった、
アメリカ国外のコレクター・レーベルがまとめた編集盤しかなかったんだから。
ぼくがハタチの頃にスリム・ゲイラードを知って夢中になったのも、
そうしたヘップ盤やタックス盤に出会ったからで、
クレフ~ノーグラン~ヴァーブ時代の録音は、
ジャズ専門店でオリジナルの10インチ盤を探し出すまで、ずっと聴けませんでした。

アクの強いヴォードヴィリアン的体質を持つゲイラードが、
ジャズを娯楽音楽ではなく、芸術音楽として聴くジャズ・ファンに嫌われたのは、
無理もない話ではありましたよね。
チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーをサイドメンに録音した人物といったって、
あやしげなインチキ外国語を操って聴く者をケムに巻くところは、
毒々しかったデビュー当時のタモリみたいなもんで、
コルトレーンを信奉する真面目なジャズ・ファンのお気に召すはずもなく。

日本でゲイラードを最初に評価したのはブルース・ファンで、
ルイ・ジョーダンなどのジャンプ・ミュージックに注目が集まるようになった流れで、
ブラック・エンタテインメント・ミュージックとして、
ジャイヴ・ミュージックに光が当たったんでした。それも40年も昔の話。

OPERA IN VOUT Disc.jpg   OPERA IN VOUT Mercury.jpg
Slim Gaillard Alegro.jpg   Mish Mash.jpg
Slim Gaillard Cavorts.jpg   Slim Gaillard Wherever He May Be.jpg
Slim Gaillard Smorgasbord.jpg   Slim Gaillard Rides Again.jpg

ジャズ専門店でスリム・ゲイラードのオリジナルを探すようになったのは、
社会人になってからで、5~6年かけて買い揃えたんだっけなあ。
56年のヴァーヴ盤LP“SMORGASBORD…HELP YOURSELF” を
やっと見つけた直後に、日本盤LPが出たのは、ちぇっ、とか思ったけど。

今回の2枚組CDには、ぼくも聞いたことのないシングル曲や
没テイクもたんまり入っていて、ひさしぶりにゲイラードの芸を堪能しました。
黒人の知性が宿るのは深刻ぶったジャズなどではなく、
こうした高度なお笑い、黒人のサブ・カルチャーの伝統に根差した、
ジャズ演芸にこそあったのだと、しっかりと再確認させてもらいましたよ。

Slim Gaillard "GROOVE JUICE: THE NORMAN GRANZ RECORDINGS + MORE" Verve B0027591-02
[SP Abum] Slim Gaillard and Bam Brown "OPERA IN VOUT"Disc (US) 505
[SP Box] Slim Gaillard and Bam Brown / Meade Lux Lewis
"OPERA IN VOUT / BOOGIE WOOGIE AT THE PHILHARMONIC" Mercury 11033/11034
[10インチ] Slim Gaillard "SLIM GAILLARD PLAYS" Allegro 4050
[10インチ] Slim Gaillard "MISH MASH" Clef MGC126
[10インチ] Slim Gaillard "CAVORTS" Clef MGC138
[10インチ] Slim Gaillard and His Musical Aggregations "WHEREEVER HE MAY BE" Norgran MGN13
[LP] Slim Gaillard "SMORGASBORD…HELP YOURSELF" Verve MGV2013 (1956)
[LP] Slim Gaillard "RIDES AGAIN!" Dot DLP3190 (1959)
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音色の快楽 リジョイサー

Rejoicer.jpg

音色だけで成立する音楽。
楽曲でも、演奏でもなく、楽器の音色の選択に、この音楽の価値がある。

そんな思いに強くとらわれた、イスラエルの俊才リジョイサーの新作です。
バターリング・トリオやロウ・テープスの諸作で、
リジョイサーの仕事ぶりには注目してきましたけれど、
本人名義のソロ作は、それらの作品を上回るデリケートな音づくりに感じ入りました。

ここには<心地よい響き>しか存在しないというか、
鍵盤楽器をレイヤーしたサウンドが、耳の快楽に満ち溢れていて、
桃源郷のようなサウンドスケープをかたどります。
この快感って、キーファーの新作にも通じますよねえ。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-08-28

あのアルバムも聴けば聴くほど、不思議に思えてくるんですよ。
断片的なモチーフの繰り返しでできた、シンプルな作りのトラックばかりなのに、
幾重にもレイヤーしたピアノやキーボードのくぐもった音色が、
とてつもなく甘美に響くんですね。
ビートまでもが同じ質感の音色で同期していて、陶然とさせられます。
夢見心地に誘われるこの音楽のマジックは、
選び抜かれた音色によるところが、一番大きいんじゃないんでしょうか。

リジョイサーのアルバムは、よりハウシーなビートメイクが顕著で、
楽曲の構成もしっかりと組み立てられ、アブストラクト度は低め。
手弾きのベース音やトランペットの柔らかな響きが、
泡立つ鍵盤のダビーな音の合間を縫っていき、
磨きに磨き上げられたサウンドは最高度に洗練されたものといえます。

アンビエント、エレクトロ、ビート・ミュージック、ジャズ、
さまざまな音楽が同期して、テル・アヴィヴとLAがシンクロナイズドした音色は、
グローバル化した世界に暮らす孤独な者たちをなぐさめ、
チル・アウトするために、そこで奏でられているのを感じます。

Rejoicer "ENERGY DREAMS" Stones Throw STH2396 (2018)
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