マイ・ベスト・アルバム 2011
Hạ Vy “MẸ LÀ TÌNH YÊU” Thúy Nga CD11
Lệ Quyên “KHÚC TÌNH XƯA” Viettan Studio no number
Kawthip Thidadin “SAO MORLUM SUM NOI” Grammy G0554030
Rosa Guzmán, Sergio Valdeos & Edward Pérez “DESPERTAR” Sayariy Producciones 7753218000197
Seu Jorge “MUSICAS PARA CHURRASCO VOL.1” Cafuné 60252775092
Madinn’K “POZ’” Aztec Musique CM2309
Seun Anikulapo Kuti & Egypt 80 “FROM AFRICA WITH FURY : RISE” Knitting Factory/Because Music BEC5772820
King Sunny Ade “HAPPY MOMENTS” Master Disc no number
Dumpstaphunk “EVERYBODY WANT SUM” no label no number
L.J. Reynolds “GET TO THIS” Motor City Hits MCH8171
一年の締めくくりなので、やはり3.11について触れないわけにはいかないでしょうね。
大災害は多くの人に「音楽を聴く気がしなくなった」という傷跡を残しましたが、
個人的には、震災ハイや放射能情報トラウマになっている人々の方が怖かった一年でした。
「少し冷静になろうよ」などというと、かえって非難を浴びかねない雰囲気では、
音楽を楽しむ気持ちの余裕などあるわけないのも仕方がないかと思いましたが、
そういうぼく自身も、「ある種の」音楽を聴く気がしなくなったという変化は、確かにありました。
受け付けなくなってしまったのは、アーティスティックな音楽と享楽的な音楽です。
気取った音楽だとか、俗悪ぶった音楽とも、これまでさんざん付き合ってきましたけど、
もうそんな音楽は、たくさんだという気分になったのは、間違いなく3.11がきっかけでした。
ダイレクトに身体が反応する音楽と、素直に心になじむ音楽。
この2種類の音楽以外、もうぼくには必要ないとはっきり悟ったのが、2011年でした。
そういう意味では、ジャーナリスティックな注目を集める音楽から、
ますます遠ざかっていくような気がしますけど、それはそれでしょうがないですね。
自分が好きでもない音楽を、「一応聴いておかなくちゃ」みたいなマネは、もうさよならです。
「自分に正直に、知られざる世界の音楽に謙虚に」
新しい年に向けたモットーとしたいと思います。
2011-12-31 00:00
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世界を旅するグナウィ ハッサン・ハクムーン
ハッサン・ハクムーン! う~ん、なつかしい名前ですね。
最近とんとウワサを聞かずにいましたけど、
ハッサンの婚約者という日本人女性(!)が
コンサート会場のみで販売しているというCDを持ってきたとのことで、
ご相伴にあずからせていただきました。
ベスト・ライヴ・テイク集ともいうべき内容のこのCD、
世界を旅するグナウィ、ハッサン・ハクムーンらしく、
メキシコ、マラケシュ、ロサンゼルス、ニューヨークでのライヴのほか、
スタジオ・ライヴなど計10曲が収録されていて、
グナワのトランシーな演奏をたっぷり味わえます。
ハッサン・ハクムーンといえば、ぼくにとって忘れられないのは、
92年にハッサンのバンドのザハール名義でリリースした“ZAHAR” です。
むき出しのエネルギーを撒き散らす、アグレッシヴなグナワにノックアウトをくらい、
ハッサン・ハクムーンの名は、即ぼくの脳の海馬に叩き込まれました。
しかしその後のソロ・アルバムでは、エッジがどんどん甘くなっていき、
02年の洗練されたポップ作“THE GIFT” には、すごくがっかりしたものです。
ハッサンが夜の儀式リラで演奏するような、ディープなグナワを聞きたかっただけに、
素のままのハッサンを聞けるライヴ・パフォーマンスは、ぼくとしては願ったりかなったり。
なかでも聴きものは、ドン・チェリーが参加したトラックでしょうか。
ハッサンとドン・チェリーといえば、
90年のメールス・ジャズ・フェステイバルでトリを務めたことでも知られる名コンビ。
このCDに収められたパフォーマンスは、その一端を聴くことのできる貴重なものといえます。
肉声を引き写したドン・チェリーのポケット・トランペットのフレージングは、
ジャズを越境したプレイヤーだからこそ獲得した音楽性を発揮していて、
93年のリアル・ワールド盤“TRANCE” に参加していたサックス奏者の
手垢にまみれたジャズ屋の手癖フレーズとは、次元の違いを感じさせますね。
ついでに思い出したので、余計なことをしゃべっちゃいますが、
“TRANCE” をハッサンの代表作とみなすのにぼくが反対なのは、
このソプラノ・サックスのイモ野郎が、2曲だけとはいえ参加しているがゆえです。
こいつじゃなくて、ドン・チェリーが参加してればなあ、とつくづく思わずにはおれません。
ドン・チェリーとのメールス・ライヴなども残っていれば、ぜひ聴いてみたいものです。
Hassan Hakmoun "SPIRIT" Healing no number (2007)
Zahar "ZAHAR" Knitting Factory Works KFWCD112 (1992)
2011-12-29 00:00
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サンバを愛する仲間の一員として生きる ベッチ・カルヴァーリョ
70年代のベッチ・カルヴァーリョのサンバには、
焼き上がりのパンのような黄金色に輝くふくよかさがありました。
市井の人々の生活感情をすくいとり、その喜怒哀楽を昇華させたサンバを
全身全霊で歌うひたむきさに、ぼくはどれほど勇気づけられ、励まされたかわかりません。
そんなベッチのひたむきさに感動できたのも、80年代初めまででした。
ベッチの後ろ盾で世に出たフンド・ジ・キンタルほか、
多くの後進たちの活躍でパゴージ・ブームが生まれると、
ベッチは大御所然としたふるまいをみせるようになり、
自我を押し出した彼女のサンバは、次第に輝きを失っていきました。
90年代のライヴでの彼女の歌声にぼくはすっかり失望し、
ひさしぶりのスタジオ録音の新作も、実はまったく期待していなかったのですが、
かつてのベッチの<みんなとともに歌う>姿勢を取り戻していて、すごく嬉しくなりました。
70年代に比べれば声も太くなっているし、
歌い口のしなやかなニュアンスも失われ、歌声は硬くなっています。
それでも、ベッチのサンバに輝きが戻ったと実感できたのは、
ベッチが大勢の一人として歌う、原点に立ち返っていたからでした。
ベッチのすばらしさは、サンバの女王様のようにふるまうことではなく、
裏庭に集うサンバを楽しむ大勢の仲間の一員として、
大衆感情の良き代弁者となることにありました。
山の手のお嬢さん育ちのベッチが、伝統サンバのニュアンスを習得できたのは、
そうした人々と共に歌う市井の人である生き方を選択したからであって、
自我を押し出すアーティストとしての生き方を選択したのなら、
また違ったサンバを歌っていたはずです。
現在のMPBアーティストたちが制作するサンバ・アルバムが、そのいい例なんじゃないでしょうか。
マリア・リタ、マリーザ・モンチ、アドリアーナ・カルカニョットのアーティスティックなサンバ?
サンバのニュー・ウェイヴ? まあ、なんでもいいですけど、
ぼくがそんなサンバにまったく共感できないのは、そこの違いだと思います。
この新作のジャケットも、サンバを愛する仲間たちと共にあるベッチをよく表していて、
81年の“NA FONTE” を思わせます。
そういえば、ベッチの隣に写っている若い女の子、なんとベッチの愛娘ルアーナなんですってね。
“NA FONTE” の裏ジャケで、カルトーラ夫人のジカに抱かれていた、
赤ん坊のルアーナちゃんが記憶に焼きついていたので、
え!こんなに大きくなったんだあ、とちょっと感動してしまいました。
79年の“NO PAGODE” の裏ジャケでは、ルアーナちゃん、
ベッチのふっくらとしたおなかの中にいたんだよなあ。
そしてまたこの新作、70年代サンバ黄金時代を飾った巨匠といえる、
リルド・オーラとイヴァン・パウロのアレンジが目の覚めるすばらしさ。
ここ10年以上、伝統サンバのアレンジというと、パウローンの独壇場でしたけれど、
キレのある躍動感いっぱいのサンバに、もうドキドキさせられっぱなしです。
ベッチ原点回帰の快作といって間違いなしでしょう。
Beth Carvalho "NOSSO SAMBA TÁ NA RUA" EMI 730738 2 (2011)
2011-12-27 00:00
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ドン・ポルフィリオへ行こう
ペルー音楽ファンには、嬉しいクリスマス・プレゼントです。
サヤリーのクリオージョ音楽新作2枚組をヘヴィー・ローテーションとしていたところに、
老舗レーベルのイエンプサからリリースされた、アフロペルー音楽の極上アルバムが届きました。
リマのバランコ地区にある有名なペーニャ(ライヴハウスのことです)、
ドン・ポルフィリオで活動する歌手や演奏家たちによる一大セッション・アルバムです。
ドン・ポルフィリオは、アフロペルー音楽研究の草分けドン・ポルフィリオ・バスケスの息子で
歌手のアベラルド・バスケスが84年に設立したペーニャで、父の名前が名付けられています。
アベラルドは晩年このペーニャを拠点に活動していました。
アベラルド・バスケスといえば、60年代にアフロペルー音楽を復興させた
ニコメデス・サンタ・クルースのグループ、クマナーナのフロントを務めた名歌手。
亡くなる前年の2000年に出したソロ・アルバム
“VALSES - MARINERA LIMEÑA - FESTEJOS” は、
アフロペルー独特の哀愁が滲み出た忘れられぬ名盤として、多くのファンに愛されていますね。
ずいぶんあとになってから知ったことですけど、アベラルド・バスケスは、
ペルー音楽舞踏団インティの一員として77年に来日していたんですね。
インティのメンバーにハイメ・グアルディアがいたことはよく知られていますけど、
アベラルド・バスケスまでメンバーにいたとは知りませんでした。
う~ん、当時インティを観なかったのは、つくづく悔やまれますねえ。
さて、このイエンプサ盤ですけれど、ドン・ポルフィリオにちなんだアルバムに
アベラルド・バスケスはなくてはならないということで、
古いEP盤からおこした、アベラルドが歌う1曲を収録しています。
そして、アベラルドの遺志を継いだ歌手や演奏家たちが、
コスタ(海岸部)に伝わってきたマリネーラ、トンデーロ、フェステーホ、バルスといった
レパートリーを次々と繰り広げていて、その芳醇な味わいに酔いしれるほかありません。
今でも週末のバランコ地区のペーニャでは、こんな濃い口のアフロペルー音楽を聴けるのかと思うと、
いますぐにでもリマへ飛んでいきたくなります。
Various Artists "VAMOS DONDE PORFIRIO" Iempsa IEM723 (2011)
Abelardo Vásquez "VALSES - MARINERA LIMEÑA - FESTEJOS" Iempsa IEM0471-2 (2001)
2011-12-25 00:00
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アルゼンチン・フォルクローレの抑制の美学 ロス・トロバドーレス・デ・クージョ
アルゼンチンの名門フォルクローレ・グループ、ロス・トロバドーレス・デ・クージョの
30年代と思われる最初期録音の編集盤を、最近手に入れました。
アルゼンチン盤ではなくコロンビア盤というのが意外でしたけれど、
このグループがいまも南米各国で愛されている証拠ですね。
SPノイズを無理に除去したからなのか、音質が痩せてしまっているのは残念ですが、
グループの初期から、抑制の効いたシブい味わいのヴォーカルとコーラスは
不変であったことがよくわかりました。
リーダーのイラリオ・クアドロス率いるロス・トロバドーレス・デ・クージョは、
チリと国境を接するアルゼンチン西部クージョ地方の民謡を、合唱を主体にギター伴奏で歌い、
戦前のアルゼンチンで最高の人気を誇りました。
クージョの民謡には独特の甘さと明るさがあって、田舎風の発声や素朴なハーモニーで歌う、
ロス・トロバドーレス・デ・クージョの味わいは格別でした。
イラリオ・クアドロスが1956年に亡くなるのと入れ替わるように、
ロス・チャルチャローレスのモダンで華やかなスタイルがフォルクローレの主流となり、
ロス・トロバドーレス・デ・クージョのような地味なスタイルは忘れ去られてしまいますが、
ぼくはいまでもロス・トロバドーレス・デ・クージョの古風な上品さが忘れられません。
Los Trovadores De Cuyo "SÓLO LO MEJOR" EMI 7243540959-2
Los Trovadores De Cuyo "LA VOZ DE LOS CERROS" DBN/EMI 8374102
Los Trovadores De Cuyo "DE LOS ANDES AL CIELO" Pampa/EMI 8-35745-2
Los Trovadores De Cuyo "LA CANCIÓN DEL LINYERA" Leader Music LM605457-2282-2-1
Los Trovadores De Cuyo "Y.... PUNTO" EMI 072434951312
Los Trovadores De Cuyo "COLECCIÓN ANIVERSARIO" EMI 7243-4-99647-2-3
Los Trovadores De Cuyo "SUS MÁS GRANDES ÉXITOS" DBN/EMI 7243-5-29136-2-6
2011-12-23 00:00
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セネガルのサボール アブライェ “チョサヌ” ンジャイェ
ナイジェリアのファタイ・ローリング・ダラーに、どことなく似てませんか。
不良老人ぽい黒のサングラス姿がキマっている、
セネガルのアブライェ “チョサヌ” ンジャイェというこのシンガー、
本作が75歳にして初のソロ・アルバムだそうです。
セネガル第2の都市ティエの出身、52年から音楽活動を始め、
66年に初代大統領サンゴールがダカールで開催した第1回黒人芸術祭で
アブライェの曲“Tallene Lampe Yi” がラジオ・アンセムとなり、
一躍その名を知られるようになったそうです。
その後、音楽活動から身を引いて画家としての活動に専念し、
ウォロフの伝統文化をモチーフとした数多くの油彩、グワッシュを描き、
国連本部にもアブライェのタペストリーが飾られてるっていうんだから、すごいですね。
シアトルには、アブライェの絵を専門に扱っているギャラリーもあるそうです。
で、そんなアブライェが長きブランクの果てに制作したデビュー・アルバムは、
オーケストラ・バオバブのメンバーの面々に、
元ハラムのスレイマン・フェイやシェイク・ティジャヌ・タル、パパ・ノエルなどが参加した、
人肌のぬくもりが伝わるセネガリーズ・ラテン・アルバム。
サウンドは、もちろんすべて生。
サックス、ギター、アコーディオン、サバールなどのパーカッションが、
実にイキイキと、そしてナマナマしい響きを奏でます。
この温かなサウンドを、単に「ノスタルジック」などという形容では片付けたくありません。
アフリカ音楽の黄金期を支えてきた、
ヴェテランたちならではの演奏の芳醇さに、胸が熱くなります。
こんな優雅でさわやかなサウンドといえば、聞き覚えがありますよね。
そう、コンゴ音楽のブエナ・ビスタを演出した「ケケレ」ですよ。
案の定というか、アレンジはケケレを手がけたフランソワ・ブレアン。
こういうプロダクションは、フランソワ・ブレアンの真骨頂ですね。
アブライェの歌は入れ歯声ぽいところもありつつも、元気いっぱいに歌っていて、
セネガルのサボールをたっぷりと溢れさせています。
Ablaye Njiaye Thiossane "THIOSSANE" Discograph/Syllart Productions 3247952 (2011)
2011-12-21 00:00
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カリオカのファンキー・マランドロ モレイラ・ダ・シルヴァ
今年のリイシュー・レーベル大賞は、ブラジルのジスコベルタスに謹んで進呈いたしましょう。
年末にとどめを打つように届いたのは、リオの下町っ子カリオカの粋を体現したサンバ歌手、
モレイラ・ダ・シルヴァの58~61年作4タイトルをまとめてボックス化した逸品です。
モレイラ・ダ・シルヴァは、曲の途中にブレイクをはさんで即興のしゃべくりを入れる、
いわばサンバ漫談ともいえる<サンバ・ジ・ブレッキ>というスタイルで一世を風靡したサンバ歌手。
50年代末から60年代にかけてオデオンに録音したマランドロ・シリーズは、
モレイラ・ダ・シルヴァのもっとも脂が乗った時期のアルバム揃いで、
下町の大衆芸能らしいファンキー味たっぷりのサンバ・ジ・ブレッキを存分に堪能できます。
58年の“O ÚLTIMO MALANDRO” は、
かつてEMIがオデオン100周年復刻シリーズでCD化しましたけど、
あのときはCCCDだったので、正規版での再発は大歓迎ですよ。
“O ÚLTIMO MALANDRO” はストレイトCD化ですけれど、
他の3タイトルには、EP盤の曲がボーナス・トラックとして追加されているのも嬉しいところです。
夫婦水入らずのヴェトナム旅行から帰ってきて、最初に買ったのがこのボックスだったんですけど、
23年前の新婚旅行でリオの中古盤屋で見つけた“A VOLTA DO MALANDRO”
“MALANDRO DIFERENTE” がボックスに収められていたのは、なんだか感慨深かったですね。
せっかくの機会なので、モレイラ・ダ・シルヴァの秘蔵盤も披露しちゃいましょうか。
モレイラ・ダ・シルヴァの初LPで、
55年にサンタ・アニタというマイナー・レーベルから出た10インチ盤です。
このアルバムには、58年の“O ÚLTIMO MALANDRO” 収録の
“Amigo Urso” “Na Subida Do Morro” “Acertei No Milhar” 3曲に、
59年の“A VOLTA DO MALANDRO” 収録の
“Bamba De Caxias” のオリジナル録音を聴くことができます。
オデオン盤は過去のSP盤の再録ヴァージョンが多かったということなんですね。
Moreira Da Silva "O ÚLTIMO MALANDRO" Discobertas DB130 (1958)
Moreira Da Silva "A VOLTA DO MALANDRO" Discobertas DB131 (1959)
Moreira Da Silva "MALANDRO EM SINUCA" Discobertas DB132 (1961)
Moreira Da Silva "MALANDRO DIFERENTE" Discobertas DB133 (1961)
[10インチ] Moreira Da Silva "O TAL!" Santa Anita SALP1001 (1955)
2011-12-19 00:00
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新感覚のクリオージョ音楽セッション ロサ・グスマン、セルヒオ・バルデオス&エドワルド・ペレス
ペルーの新興レーベル、サヤリー・プロダクションがまたしてもやってくれました。
リマのクリオージョ音楽の古老たちによる一大プロジェクト“LA GRAN REUNION” のあと、
あのプロジェクトを発案したギタリスト、ウィリー・テリーと
カホン奏者エドゥアルド“パペオ”アバンのデュオ作がリリースされましたが、
今度の新作は、これまでのサヤリー制作のアルバムとはちょっと趣向が違います。
単にクリオージョ音楽の伝統を継承しただけではない、
現代的なセンスを取り入れたクリオージョ音楽の21世紀ヴァージョンとも呼びたい内容で、
これが素晴らしい仕上がりとなっているんですね。
女性歌手とギターとベースの3人を基本に、曲によってブラシのドラムス、パーカッション、
アコーディオンが加わるだけのシンプルな編成で、すべてアクースティックな音づくり。
歌手のロサ・グスマンは、名歌手ホセー“タト”グスマンの娘で、
幼い頃からクリオージョ音楽の伝統の中で育ってきた人。
ギタリストのセルヒオ・バルデオスは、ブラジル音楽やジャズの影響を受け、
スサーナ・バカのバックを8年務めたという経歴の持ち主。
そしてベーシストのエドワルド・ペレスは、
ニューヨークのジャズ・シーンで鍛えられたアメリカ人ジャズ・ベーシスト。
こうしたそれぞれ異なるバックグラウンドを持つ3人がコラボしたことで、
クリオージョ音楽の名作曲家フェリーペ・ピングロ・アルバのバルスを取り上げても、
伝統的なクリオージョ音楽とは感覚の異なるリズム感やモダンなコード使いが自然に溶け込み、
コンテンポラリーなセンスを備えたクリオージョ音楽に生まれ変わるのでした。
フォービートやフラメンコをさらりと取り入れたアレンジも、なかなか粋です。
誤解のないように付け加えておきますけど、新感覚のクリオージョ音楽といっても、
スサーナ・バカみたいなのを思い浮かべられちゃあ、困りますよ。
あんな味もそっけもない歌手とロサ・グスマンとでは、比べ物になりません。
今年の初めに話題を呼んだ、チャブーカ・グランダの未発表曲集を思い浮かべてもらったほうが、
近い味わいといえます。
ロサのエレガントな甘さのある温かな歌声は、
伝統的なクリオージョ音楽の味わいを保ちつつ、現代的なセンスとも見事にマッチしていて、
不純物のない声と明解なディクション、さらに正確な音程にも感嘆させられます。
こぶしやヴィブラートを使わず、また、メロディをいっさい崩すことなく、
ストレイトに歌い切る清廉さがすがすがしく、
2枚組というヴォリュームがあっという間に感じられる、今年のクリオージョ音楽の最高傑作です。
Rosa Guzmán, Sergio Valdeos & Edward Pérez "DESPERTAR" Sayariy Producciones 7753218000197
2011-12-17 00:00
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SP蒐集家ジョナサン・ウォードの偉業 アフリカ音楽SP復刻ボックス
戦前ブルース・マニアだとか、浪曲マニアだとか、
守備範囲がある程度限定しているのならまだしも、
古今東西ありとあらゆる音楽に興味をひかれる
ぼくのような人間が、
SPまで手を出したら、経済破綻・家庭崩壊は必至ですって。
イマドキの音楽より、いにしえの音楽に
年々ココロひかれるようになっているので、
SPをディグする甘い誘惑を感じないわけじゃありませんが、
まー、やっぱり独身でなきゃ無理ですね。
会社勤めの家族持ちにそんなヒマはとてもないし、
そこまでのめりこむ気もございません。
ということで、SPコレクションはほかの方にお任せして、
SPコレクターの成果を編集盤CDで楽しませていただいているんですけど、
もし自分がSPコレクターだったらこんな仕事をしたかったと、
思わず嫉妬しそうになった、すごいSP復刻の編集盤CDが出ました。
それが、この“OPIKA PENDE : AFRICA AT 78RPM”。
1909年から1960年代にかけてアフリカ全土で残されたSP録音100曲をCD4枚に収め、
112ページに及ぶ解説書のブックレットとともにボックスに収めた労作です。
復刻に使われたSP音源は、ロサンゼルスの研究家にしてコレクター、
ジョナサン・ウォード一人のコレクションだというのだからおそれいります。
北アフリカから始まり、西アフリカ、中部アフリカ、東アフリカ、南部アフリカ、インド洋まで、
アフリカ全土をくまなく網羅していて、地域的な穴がないのに驚かされます。
コレクターのコレクションはとかく専門的になりがちで、網羅的という面で弱みがあるものなのに、
ジョナサン・ウォードのコレクションは、むしろそこが強みとなっているんだから、スゴイ。
特にアフリカ音楽という時、普通はサハラ以南のアフリカだけを対象とするものなのに、
北アフリカのアラブ・アンダルース音楽までしっかり射程に収めているのは、頭が下がるばかり。
コレクションの質の高さも目を見張るものがあり、大物たちの音源もずらりと並んでいます。
たとえば北アフリカ編のディスク1では、シャービの名歌手エル=アンカ、
パリで活躍したアルジェリア人歌手マヒエッディーンや、
ユダヤ系チュニジア人歌手シェイフ・エル=アフリートなど。
西アフリカ編のディスク2では、ハイライフの名門バンドのブラック・ビーツに
名ギタリストのE・K・ニアメ、パームワインのエベネザー・カレンダーなど。
中部・東アフリカ編のディスク3では、コンゴリーズ・ルンバ黎明期に活躍した
ギタリストのアディクワにグラン・カレとアフリカン・ジャズ、
そしてアフリカン・ギターの古典的名曲のジャン・ボスコ・ムウェンダの「マサンガ」など。
南部アフリカ・インド洋編のディスク4では、ダーク・シティ・シスターズの変名
フライング・ジャズ・クイーンズ名義で残されたンバクァンガに、
南ア国家「ンコシ・シケレレ・アフリカ」の30年録音などなど。
さらに聴きものとなっているのが、無名の音楽家たちによる録音で、
アルジェリア、コンスタンティーヌで32年に録音されたごきげんなマルーフのダンス・チューンや、
30年代後半に録音されたピアノやホーンズの入ったガーナのハイライフ、
30年代にアクラで出張録音されたガーナのアカン・ブルース、
南アのマラービ楽団が残した55年録音の名演など、
選りすぐりの逸品をコレクションした、ジョナサンの耳の確かさに敬服するほかありません。
大物も無名もバランスよく並べ、なおかつ地域的な偏りもなく、
都市のポピュラー音楽と田舎の民俗音楽も万遍なく選んだ、このバランス感覚が本復刻のキモ。
大勢のSPコレクターの協力を得て編纂した復刻集でも、
これほど偏りなく選曲するのはなかなか難しいものなのに、
たった一人の個人コレクションでこれだけのものを作り上げたのは、
まさしく執念を感じさせる偉業というほかありません。
良好な音質、よく練られた選曲と曲順、ジョナサンの解説も簡潔にしてわかりやすく丁寧で、
望み得る最良の仕上がりの復刻集となっています。
なので、このような復刻ものにつきものの、
このアーティストのこの音源を使うくらいなら、こっちの方がよかったみたいな、
重箱の隅をつついた選曲への些細な不満を言う気にはなれません。
これほどの復刻集を前にそのテの文句を言うのは、マニアのエゴみたいなもので、
それよりも、ジョナサン・ウォードのこの偉業に対して、最大級の賛辞と敬意を表したいと思います。
Various Artists "OPIKA PENDE : AFRICA AT 78RPM" Dust-to-Digital DTD22
2011-12-15 00:00
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【越南紀行その4 フエ編】 月夜の古都を想う
ホイアンから車で約4時間弱、ダナンから峠をひとつ越えると、
ヴェトナム最後の王朝の都フエに着きます。
フエの印象をひとことで言えば、奈良みたいだなといったところでしょうか。
華やかな京都とはまた違った、鄙びた古都の味わいがある町です。
ホイアンでは快晴に恵まれましたが、峠を抜ける前から厚い雲が立ち込め、
ときどき小雨の降る、あいにくの天気になってしまいました。
しかしフエに着いてみると、霧雨にけむる寺院や庭園はなんともオツなもので、
侘び寂びのあるしっとりとした景観に、すっかり和んでしまいました。
フエ観光の中心地、阮朝王宮は大勢の観光客でにぎわっていましたけど、
郊外に点在するお寺やかつての王を祀った廟を訪れる人はさほど多くなく、
七層八角形の塔があるティエン・ムー寺や、西洋風の建築がユニークなカイ・ディン帝廟、
大きな蓮の池があるトゥー・ドゥック帝廟をゆっくりと散策できて、
とても満たされた時間をすごすことができました。
フエには王宮の宮廷音楽として発展した雅楽もありますけれど、
宮廷音楽と民謡が融合した、カー・フエと呼ばれる古謡が聴きものです。
カー・フエは、中国の影響を受けた宮廷音楽に中部地域の民謡や
少数民族チャム人の音楽がミックスされた音楽です。
さまざまな民族の音楽が混淆したからなのか、
雅やかで華やかさのある北部民謡と違って、滋味な味わいのシブい民謡といえます。
フエで生のカー・フエを聴くチャンスはありませんでしたけれど、
ダナン市内でフエ民謡集を3枚買うことができました。
“HÒ GIÃ GẠO” はいかにも観光客向けぽいジャケですが、
中身はさまざまな女性歌手のたおやかな歌が楽しめる好盤です。
一方、“TÌNH CA XỨ HUẾ” は、ダン・チャイン、ダン・バウ、ダン・グエット、ダン・ニなどの
弦アンサンブルを中心とした宮廷音楽ぽいインスト演奏を中心に、
女性歌手をフィーチャーしたカー・フエを聴くことができます。
そしてもう1枚、上の2枚でも歌っていたフエ出身の実力派歌手ヴァン・カインの01年作は、
低めの落ち着いた声でゆったりと歌う、詩情豊かなザン・カー(民歌)集でした。
ヴァン・カインは、久保田麻琴のブルーアジア・シリーズの、
『ホテル・ヴェトナム』にもフィーチャーされていましたね。
ヴァン・カインの息の長いヴィブラートは、フエを流れるフォーン川の静かな波のようで、
目を閉じながら聴き入ると、月夜に浮かぶフエの古都が瞼に浮かびます。【完】
Kiều Oanh, Thu Hiền, Thu Hằng, Huơng Mo, Hiền Luơng, Hồng Thanh, Vân Khánh, Huơng Nhu, Hoa Tấu
"HÒ GIÃ GẠO : NHỮNG LÀN DIỆU DÂN CA HUẾ DẶC SẮC " Hồ Gươm no number (2002)
Hòa Tấu, Vân Khánh, Thu Thủy, Mai Lê "TÌNH CA XỨ HUẾ" Phương Nam Phim no number (2005)
Vân Khánh "TƯỞNG NHƯ HUẾ TRONG LÒNG" Vafaco Productions no number (2001)
2011-12-13 00:00
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【越南紀行その3 ホイアン編】 會安の旧市街に佇んで
南シナ海に流れ出る三角州に造られた東西貿易の要衝ホイアンの旧市街は、
朱印船貿易の時代の息吹を伝える、趣のあるエキゾティックな街でした。
今は失われたヴェトナム文字のチュノムで、「會安」と書いた方がふさわしく思えます。
シクロに乗って観光するのがぴったりな、のんびりした田舎町で、
16~17世紀に繁栄した日本人町と中国人町を結ぶ通称日本橋こと来遠橋や、
京都の町屋にも似た、間口が狭くて奥に長く中庭のある旧家の数々は見ごたえがありました。
でも、それだけなら、倉敷の美観地区のような観光地みたいなもんですけど、
路地を歩けば天秤棒を肩に渡した商いのおばさんとすれ違い、
地元の人たちの日常を支える活気あふれる市場を歩けば、
盲人が自前のサウンド・システムを手押しながら、
首から提げたマイクで吟じつつ流しをしていたりと、
いきいきとした庶民の生活が町に陰影をつけています。
そんなホイアンの風光明媚だけではない、
庶民が形作ってきた歴史の息吹を感じさせる景観を舞台に、
エレガントなアオザイに身を包んで撮影された10葉の写真を収めた
若手女性歌手のアルバムを、ホーチミンのCDショップで見つけました。
ジャケットを開くと、表紙の裏側に赤と青の縁取りをした海外郵便封筒の中にCDが収められ、
ページをめくると左に歌詞が、右に台紙に貼った写真を模した
いにしえの写真帖ふうの装丁となっています。
最近のヴェトナムのポップスのCDは、こうした凝ったデザインのパッケージが多く、
若いデザイナーやアート・ディレクターたちの活躍ぶりが伝わってくるようで嬉しくなります。
いまやアメリカの越境シーンが制作するCDデザインのクオリティを、完全に凌いでますね。
ヴェトナムのグラフィック・アートの水準の高さは、地元のファッション誌を見ても明らかで、
マレイシアやシンガポールと並び、東南アジアのトップ・クラスに躍り出たことは確実です。
レー・クエンという女性歌手は、今回初めて知りましたが、
調べてみると81年ハノイ生まれの人で、本作が5作目とのこと。
今作はヴェトナムの古いノスタルジックな曲を集めて歌うという企画のもと、
2年の歳月をかけて制作したアルバムだそうです。
充実したプロダクションをバックに歌った力作に仕上がっていて、
今回の旅行で買ってきたCDの中で、一番のお気に入りとなりました。
ここひと月近くヘヴィー・ローテーションだったハー・ヴィーのアルバムから、
今ではこのアルバムに交替です。
全編スロー・ナンバーで、ヴェトナムらしい哀切のある泣きのメロディが満載。
一弦琴や胡弓、琴をフィーチャーしたザンカー調の曲もアクセントとしてありますが、
全体的にはアクースティック・ギター、ヴァイオリン、ピアノ、弦オーケストラによる
洗練されたアレンジの抒情歌謡に仕上げられています。
主役のレー・クエンも豪華な伴奏に応え、情感豊かに丁寧な歌いぶりを聞かせ、
聴くほどに惚れ込んでしまいました。
せつせつと迫る哀歓が胸の奥にじんわりと沁み込む傑作ですよ。
レー・クエンのアルバムを眺めていて、ホイアンの女子高生たちを思い出しました。
ホイアンで宿泊していたホテルから歩いて15分くらいのところに、
高校と中学校と小学校と幼稚園がずらっと並んでいる一角があったんです。
朝6時半にホテル周辺をウォーキングしていたら、
自転車に乗って登校するアオザイ姿の女子高生たちと行きあったんですね。
排気ガス除けのマスクをしているところが、今どきのヴェトナムらしいところでしたけど、
普段着のアオザイ娘たちが、次々と校門の中に吸い込まれていく様子は壮観でした。
それにしても、ヴェトナムの登校時間って、ずいぶん早いんですね。
学校は朝7時始まりで、生徒たちは15分前までに校門をくぐらないといけないそうです。
先生が校門を閉めようとしているところに、
アオザイの裾をひるがえしながら駆け込む姿が印象的でした。
Lệ Quyên "KHÚC TÌNH XƯA" Viettan Studio no number (2010)
2011-12-11 00:00
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【越南紀行その2 ハノイ編】 幽玄なカチューに身を浸して
消え行くカイ・ルオンとは対照的に、ハノイの古典歌謡カチューは政府の後押しも手伝って、
カチューの伝統を継承してきた古老たちによる若手の育成が進み、
2009年にはユネスコの無形文化遺産に指定されるまでに復興したといいます。
カチューを聞けるお寺や旧家が、ハノイの旧市街にいくつかあると聞き、
ハノイに到着してすぐさまガイドさんに訊ねてみると、
旧市街の狭い路地にある小さなお寺に連れて行ってくれました。
ここでは毎週火・木・日曜の夜8時に演奏をしているとのことで、
ヴェトナム入りしたその日が日曜日だったのはラッキーでした。



入場料は10ドル。入口でヴェトナム語と英語で書かれたパンフレットを渡され、
門をくぐって奥のお堂の中に入ると、仏前の垂れ幕の前に一畳ほどの舞台が用意されています。
手前入口のあたりには20脚くらいの椅子が並べられていて、
集まっていたのは、地元のヴェトナム人ばかりで、
外国人はぼくたち夫婦のほか、アメリカ人観光客が二人いただけでした。
門の外の旧市街の喧騒が嘘のような、ひっそりと静まりかえった空間で、
時がここだけゆったりと流れているように感じたのは、あながち観光客の感慨ではないでしょう。
開演前に蓮茶がふるまわれ、すっかりくつろいでいると、
司会の若い女性が登場し、ヴェトナム語でカチューの解説が始まります。
なんで解説だとわかったかというと、ヴェトナム語のあとに流暢な英語で通訳してくれるんですね。
観光スポットでもないのに、観客に外国人がいると英語の解説をするというのには驚かされました。
おかげでカチューの基礎知識が得られましたよ。



以前の記事で「カチュー(別名ハット・ア・ダオ)」と書いたことがありましたが、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-10-06
あれはちょっと不正確な書き方だったようです。
ハット・ア・ダオというのは、「女性の歌」というカチューの一形式のことで、
ほかにもカチューには、ハット・クア・クェン 「宮廷の歌」、ハット・クア・ディン「村の集会所の歌」、
ハット・ニャー・トー「封建時代の高官の官邸の歌」などの形式があるそうで、
歌い手が交替して、カチューのさまざまな形式を披露してくれました。


なかでも黒のアオザイを着た年配のご婦人の歌がすばらしく、
奥さんともども感じ入ってしまったんですけど、
入口の門で売られていた2種類のCDを帰国して聴いてみたら、なんとあのご婦人の声。
なんだあ、それならサインもらっとくんだったなあと思いましたけど、
バック・ヴァンというこのご婦人が、あのお寺でカチューを定期演奏している
ハノイ・カチュー・クラブの主宰者だということが、パンフレットを読んでわかりました。

幽玄という表現がぴったりの、優雅で贅沢な時間を旅行初日の夜にはや体験できて、
ホテルに戻った後も、興奮してなかなか寝付かれなかったのでした。
Bạch Vân "CA TRÙ : TỲ BÀ HÀNH" Thǎng Long no number (2005)
Bạch Vân "CA TRÙ : THÊ NON NƯỚC" Thǎng Long no number (2005)
カチューの伝統を継承してきた古老たちによる若手の育成が進み、
2009年にはユネスコの無形文化遺産に指定されるまでに復興したといいます。
カチューを聞けるお寺や旧家が、ハノイの旧市街にいくつかあると聞き、
ハノイに到着してすぐさまガイドさんに訊ねてみると、
旧市街の狭い路地にある小さなお寺に連れて行ってくれました。
ここでは毎週火・木・日曜の夜8時に演奏をしているとのことで、
ヴェトナム入りしたその日が日曜日だったのはラッキーでした。
入場料は10ドル。入口でヴェトナム語と英語で書かれたパンフレットを渡され、
門をくぐって奥のお堂の中に入ると、仏前の垂れ幕の前に一畳ほどの舞台が用意されています。
手前入口のあたりには20脚くらいの椅子が並べられていて、
集まっていたのは、地元のヴェトナム人ばかりで、
外国人はぼくたち夫婦のほか、アメリカ人観光客が二人いただけでした。
門の外の旧市街の喧騒が嘘のような、ひっそりと静まりかえった空間で、
時がここだけゆったりと流れているように感じたのは、あながち観光客の感慨ではないでしょう。
開演前に蓮茶がふるまわれ、すっかりくつろいでいると、
司会の若い女性が登場し、ヴェトナム語でカチューの解説が始まります。
なんで解説だとわかったかというと、ヴェトナム語のあとに流暢な英語で通訳してくれるんですね。
観光スポットでもないのに、観客に外国人がいると英語の解説をするというのには驚かされました。
おかげでカチューの基礎知識が得られましたよ。
以前の記事で「カチュー(別名ハット・ア・ダオ)」と書いたことがありましたが、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-10-06
あれはちょっと不正確な書き方だったようです。
ハット・ア・ダオというのは、「女性の歌」というカチューの一形式のことで、
ほかにもカチューには、ハット・クア・クェン 「宮廷の歌」、ハット・クア・ディン「村の集会所の歌」、
ハット・ニャー・トー「封建時代の高官の官邸の歌」などの形式があるそうで、
歌い手が交替して、カチューのさまざまな形式を披露してくれました。
なかでも黒のアオザイを着た年配のご婦人の歌がすばらしく、
奥さんともども感じ入ってしまったんですけど、
入口の門で売られていた2種類のCDを帰国して聴いてみたら、なんとあのご婦人の声。
なんだあ、それならサインもらっとくんだったなあと思いましたけど、
バック・ヴァンというこのご婦人が、あのお寺でカチューを定期演奏している
ハノイ・カチュー・クラブの主宰者だということが、パンフレットを読んでわかりました。
幽玄という表現がぴったりの、優雅で贅沢な時間を旅行初日の夜にはや体験できて、
ホテルに戻った後も、興奮してなかなか寝付かれなかったのでした。
Bạch Vân "CA TRÙ : TỲ BÀ HÀNH" Thǎng Long no number (2005)
Bạch Vân "CA TRÙ : THÊ NON NƯỚC" Thǎng Long no number (2005)
2011-12-09 00:00
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【越南紀行その1 ホーチミン編】 消え行くカイ・ルオン
会社勤めも30年。ご苦労さんの特別休暇をもらったので、
奥さんと一緒にヴェトナムへ旅行してきました。
夫婦での海外旅行は、23年前のブラジルの新婚旅行以来。
奥さんはずっと子育てに忙しく、二人で海外に行けるようなチャンスはなかったので、
本当にひさしぶりの海外旅行です。
北のハノイから、中部のホイアン、フエ、そして南のホーチミンへと縦断してきました。
ホーチミンでは、エアコンのない蒸し暑い劇場で地元の人にまぎれて、
熱気溢れるカイ・ルオンを観たいなと思ってたんですけど、
ホーチミン市の有名なカイ・ルオン劇場は、再開発の波で閉鎖され、取り壊されていました。
34歳のガイドさんは、「カイ・ルオンを観るのは、田舎のおじいさんやおばあさん世代だけ」と言い、
自分も観たことがないと言っていたくらいだから、
カイ・ルオンは時代の波に押され、消え行く大衆芸能ってことなんでしょうね。
南ヴェトナム時代を懐かしむ芸能でもあるので、
ハノイの大衆劇ハット・チェオのように政府が保存に力を入れることもなく、
観光化して上手く生き延びた水上人形劇とは対照的です。
それじゃあ、せめてカイ・ルオンのCDをお土産に買ってくかと思ったんですが、
以前紹介した紙ジャケ仕様のヴェトナム・レーベルは、
街の中心にある大きなCDショップを何軒回っても、どこにも置いていません。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-10-18
町外れの米ドルを受け付けない(=観光客相手でない)CD屋さんでようやく発見して、
カイ・ルオンやヴォン・コ、タン・コを100枚以上ごっそり買ってきました。
「この日本人、何者?」と、店のオヤジに思いっきり面白がられちゃいましたけどね。
サイゴン時代を想わすノスタルジックな風合いのジャケ33選をお楽しみください。
































奥さんと一緒にヴェトナムへ旅行してきました。
夫婦での海外旅行は、23年前のブラジルの新婚旅行以来。
奥さんはずっと子育てに忙しく、二人で海外に行けるようなチャンスはなかったので、
本当にひさしぶりの海外旅行です。
北のハノイから、中部のホイアン、フエ、そして南のホーチミンへと縦断してきました。
ホーチミンでは、エアコンのない蒸し暑い劇場で地元の人にまぎれて、
熱気溢れるカイ・ルオンを観たいなと思ってたんですけど、
ホーチミン市の有名なカイ・ルオン劇場は、再開発の波で閉鎖され、取り壊されていました。
34歳のガイドさんは、「カイ・ルオンを観るのは、田舎のおじいさんやおばあさん世代だけ」と言い、
自分も観たことがないと言っていたくらいだから、
カイ・ルオンは時代の波に押され、消え行く大衆芸能ってことなんでしょうね。
南ヴェトナム時代を懐かしむ芸能でもあるので、
ハノイの大衆劇ハット・チェオのように政府が保存に力を入れることもなく、
観光化して上手く生き延びた水上人形劇とは対照的です。
それじゃあ、せめてカイ・ルオンのCDをお土産に買ってくかと思ったんですが、
以前紹介した紙ジャケ仕様のヴェトナム・レーベルは、
街の中心にある大きなCDショップを何軒回っても、どこにも置いていません。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-10-18
町外れの米ドルを受け付けない(=観光客相手でない)CD屋さんでようやく発見して、
カイ・ルオンやヴォン・コ、タン・コを100枚以上ごっそり買ってきました。
「この日本人、何者?」と、店のオヤジに思いっきり面白がられちゃいましたけどね。
サイゴン時代を想わすノスタルジックな風合いのジャケ33選をお楽しみください。
2011-12-07 00:00
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新旧が融合する都市ビルバオで ケパ・フンケラ
スペイン、バスク州ビスカヤ県の県都ビルバオは、
歴史的な旧市街と近未来的な建造物の新市街が見事に融合された都市と聞きます。
古くからの絵画好きにとっては、ビルバオ美術館でなじみのある地名で、
97年にグッゲンハイム美術館がオープンしたこともあって、
一度は行ってみたいなあと思っているんですけれども。
そんなビルバオのミュージシャンたちと制作したケパ・フンケラの新作が届きました。
ここのところ、世界各地のミュージシャンとのコラボが続いていたケパですけれど、
地元バスクの地に戻ってきた新作は、豪華ゲストの大作続きだった近作とがらり変わって、
ケパのトリキティシャ(ダイアトニック・アコーディオン)に、
ベース、ドラムス、キーボード、チャラパルタ兼パーカッション二人というシンプルな編成。
たった6人の編成とはいえ、演奏には厚みがあり、
バスクの伝統に根差したケパの世界観が今作でもしっかりと表現されている点で、
これまでの作品とケパの姿勢は、まったく変わっていません。
バスクのコンテンポラリー・ルーツ・ミュージックと呼ぶにふさわしいケパの音楽世界は、
ちょうどガリシアのカルロス・ヌニェスと同じ志向を持っているといえますね。
本作は全12曲ケパの自作で、インスト演奏。
バスクの伝統を感じさせる美しく雄大なメロディに、モダンなアレンジとプロダクションは、
あらゆる音楽ファンにアピールする魅力をたたえています。
もちろんバスク音楽ファンにとっては、
プリミティヴなマリンバのようにも響くリズミカルなチャラパルタの音色がたまりません。
新旧が融合した独創的な景観を作り出す都市ビルバオは、
まさしくケパ・フンケラの音楽そのものといえそうです。
Kepa Junkera "ULTRAMARINOS & COLONIALES" Warner Music 52498 7065 2 (2011)
2011-12-05 00:00
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円熟のサンバ カンデイア
ジスコベルタスに続いて、ブラジル・ワーナーがカンデイアのアルバムをCD化してたんですね。
カンデイアの4作目とラスト・アルバムとなった5作目にあたる、
77年と78年のアトランティック盤それぞれのアルバムを、
オリジナル・フォーマットのまま2枚組にしてのCD化で、
「ドーゼ・ドゥプラ」シリーズの1枚にラインナップされていたのでした。
カンデイアが生涯に残したソロ・アルバムは5作だけなので、
先にジスコベルタスがCD化した3作とあわせ、
これでカンデイアの全作が今年すべてリイシューされたことになります。
祝!と喜びたいところなんですが、いまひとつ盛り上がれないのは、
毎度お決まりともいえる大手レコード会社の手抜き仕事ぶり。
解説なんてもちろん付いてないし、演奏メンバーのクレジットもいっさい記載がありません。
2枚組でも1枚分の値段の廉価盤なんだから、文句言うな、てなところなんでしょうが、
単体でCD化して欲しかったぼくとしては、ぶーたれたくなります。
それにこの2作のCD化は、これが初じゃないんですね。
2001年に「e-コレクション」と銘打ったシリーズで、この2作に加え、
カンデイア、ネルソン・カヴァキーニョ、ギリェルミ・ジ・ブリート、エルトン・メデイロスによる
名セッション盤“QUATRO GRANDES DO SAMBA” に収録されていた、
カンデイアの歌う3曲を追加したお徳用盤が出ていたのです。
この編集盤も演奏者のクレジットはないし、オリジナル盤のジャケットすら載っておらず、
とりあえず音源が聴けるという以上の価値はなく、
きちんした単独CD化を望んでいたので、なおさらがっくりきたというわけ。
それもこれも、LP時代にオリジナル盤を入手できず、
参加メンバーがわからないという不満をずっと持ってたからなんですね。
ふん、でも伊達にサンバを30年以上聴いてきたわけじゃないわい。
これほど円熟味のあるサンバは、ウィルソン・ダス・ネヴィス、ゴルジーニョ、マルサル、ルナが
揃ってなければありえませんって。70年代サンバ黄金時代のサウンドを作った名手たちです。
“AXE! GENTE AMIGA DO SAMBA” の最後に収められたメドレーが大好きなんですけど、
モナルコのエルドラード盤でさんざん耳にしてきたぼくには、カスキーニャ、シコ・サンターナ、
アルヴァイアージといったヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラの面々に、
イヴォーニ・ララが加わっているのが、その声からはっきりと聞き取れます。
Candeia "LUZ DA INSPIRAÇÃO / AXE! GENTE AMIGA DO SAMBA" Warner Music 5052498709250 (1977/1978)
2011-12-03 00:00
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南北戦争以前のアパラチアを想う クリスチャン・ウィグ&マーク・ウォード
アパラチア育ちの若き乙女エリザベス・ラプリールの
土臭いマウンテン・ソングにすっかりまいってしまって、
いにしえのアパラチアの音楽に興味をそそられていたところ、面白いCDと出会えました。
南北戦争以前のアパラチアの音楽にタイムスリップした、フィドルとバンジョーのデュオです。
ミンストレル・ショウなど、北部の近代的な音楽や文化が流入する、
1840年以前のアパラチアの音楽を再現したものなんですけど、
ノイジーなフィドルのなまなましい演奏や、べこべこと鈍く原始的な響きを鳴らす、
民俗楽器のような音色のバンジョーが、ものすごくリアルに響きます。
歴史マニアを自称するフィドル奏者のクリスチャン・ウィグは
18世紀のフレンチ・インディアン戦争に関する本も書いたという、凝り性な人。
オールド・タイミーなフィドル・チューンへのこだわりも相当なものがあるようで、
このアルバムの録音にあたっては、1790年から1920年の間に作られたフィドルにガット弦を張り、
1840年以前の演奏法に従って演奏しているんだそうです。
アカデミックな企画意図のもとに制作されたアルバとはいえ、カビ臭い研究発表などと違って、
音楽のいきいきとした表情とパワフルな演奏ぶりが痛快そのもの。
古い音楽だからといって、演奏が素朴とは限らないという典型を聴くようですね。
曲ごとに丁寧な解説や、フィドルやバンジョーのチューニングが書かれているところが
研究家らしいところですけど、それよりもこの生命力あふれる演奏ぶりに嬉々としてしまいます。
バンジョーの方は、ゴード・バンジョーという、
その名のとおりボディがひょうたん製のもっとも古いタイプのバンジョーと、
ゴード・バンジョーを改良して木製ボディになった
ミンストレル・バンジョーの2タイプが使われています。
これらのバンジョーはさすがに現存するものはないらしく、
文献をもとに作ったレプリカを使用しているとのこと。
ゴード・バンジョーの音色は、バンジョーの祖先とみなされている
西アフリカのンゴニより音の響きが鈍く、
フラニ(フルベ)の人がよく使う、ひょうたん製のボディの弦楽器に近い印象を受けました。
演奏法も打楽器的で、二人が歴史的音源や文献をもとに再現してみせた音楽は、
ヨーロッパとアフリカの混淆を雄弁に示しています。
ぼくはブルーグラス独特の派手な音色や華やかな響きが苦手なので、
鈍く重い音色のバンジョーとノイジーなフィドルが醸し出す、
ざらりとしたこのサウンドにすごく惹かれます。
このナマナマしさは、感動的ですよ。
Christian Wig & Mark Ward "COME BACK BOYS & FEED THE HORSES : FIDDLING ON THE FRONTIER" Yodel-Ay-Hee 080 (2011)
2011-12-01 00:00
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