お爺ちゃんとお父さんと孫娘と ニーリド、ヒューイー&キャスリーン・ボイル
ドニゴールの伝説的なフィドラーという、ニーリド・ボイル。
今年没後50周年を記念して制作されたという3枚組CDで初めて耳にしたんですが、
37年録音という古さをものともしない、豪快な演奏に圧倒されました。
スピード感あふれ、ダイナミックなリール演奏のスゴさといったら。
ドニゴール訛りと形容される、装飾音がいっぱい付いたクセの強いメロディーを、
アタックの強い弓できりきりと、激しく鳴り響かせています。
一方エアーでは、ゆったりと情感のこもったボウイングを披露し、動と静の使い分けも鮮やか。
鳥のさえずりを模したトリッキーなプレイを聞かせる“The Blackbird” など、
いかにもドニゴールらしいフィドル・プレイを堪能できます。
なかでもリールの“The Moving Clouds” のプレイは圧巻で、どっかで聴いた曲だなと思ったら、
2枚目のディスクに収められた同曲の53年のBBC録音を聴いて、はたと思い出しました。
これって、女性アコーディオン奏者キャスリーン・ボイルのデビュー作に
収められていたのと同じ録音じゃないですか!
そっかー、ニーリド・ボイルは、キャスリーンのお爺ちゃんだったのかあ。
キャスリーン・ボイルは、スコットランドの歌姫ジュリー・ファウリスを擁するグループ、ドーハスや
チェリッシュ・ザ・レディースのメンバーとして活躍しているので、
スコットランドの人とばかり思っていましたけど、
生まれはアイルランドのドニゴールだったんですね。
キャスリーン・ボイルのデビュー作に収録された“The Moving Clouds” は、
お爺ちゃんのニーリドのフィドルと、お父さんのヒューイーのピアノのデュオ演奏に、
孫娘のキャスリーンのアコーディオンをオーヴァーダブした、
家族三世代の共演だったというわけです。
ニーリドが亡くなった後に生まれたキャスリーンにとって、特別の想いがあったんじゃないでしょうか。
ジュリー・ファウリスもゲスト参加したキャスリーンのデビュー作は、
アイリッシュのダンス・チューンやスコティッシュのガーリック・ソングを愛情深く演奏していて、
ぼくの大のお気に入り盤でした。
キャスリーン・ボイルのサイトを見に行くと、
なんと“BACK TO DONEGAL” と題する、お父さんと共同名義の新作がリリースされていました。
さっそくオーダーしてみると、ニーリドの曲を父娘のアコーディオンとピアノ共演で演奏するなど、
ボイル家の伝統がしなやかな演奏の中に息づいていることを感じさせ、
ニーリド・ボイルへの献辞があるのも納得のアルバムなのでした。
Néillidh Boyle "A FEELING IN THE BLOOD" Cairdeas na bhFidiléirí CNF007
Kathleen Boyle "AN CAILÍN RUA" Kathleen Boyle KTR001CD (2008)
Hughie & Kathleen Boyle "BACK TO DONEGAL" Kathleen Boyle KTR002CD (2011)
2011-10-30 00:00
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中国貴州省侗族の大歌
「中国の少数民族の合唱を聴きに行くんだけど、一緒に行く?」
家人に誘われ、先週の日曜日(10月23日)、
シッポふって渋谷の國學院大學までお供させていただきました。
4年前の2007年12月にも、國學院の小川直之教授の公開講座に通っていた奥さんから、
国際シンポジウム「東アジア歌垣サミット」が行われることを教えてもらい、
連れてってもらったんですよね。
文学や民俗学といったフィールドで招聘される公演なんて、ぼくには知るすべもないので、
いつも貴重な情報を教えてくれるうちの奥さんには、感謝の限りであります。
4年前の東アジア歌垣サミットでは、秋田金澤八幡宮伝統掛唄、奄美の掛け合い歌とあわせて、
中国南西部貴州省侗(トン)族の人たちが来日して歌垣を実演してくれたんですけど、
ほんのさわりを披露してもらうだけなので、正直物足りないというより、群盲象を評す状態。
だいいち、男女が歌で愛を告白しあう歌垣という習俗を、
大学の教室で再現するという場の限界もあり、いかんともしがたいというか。
そんなわけで、珍しいものを観たなという程度の記憶しか残らなかった前回でしたが、
今回「平成23年度國學院大學文化講演会」と銘打たれた
侗族大歌公演「岩洞の歌」プログラムは、教室ではなくちゃんとしたホールで、
途中休憩も入れて3時間17演目、じっくり向き合えるという企画。
さて、どんなものやらとシートに身体を沈めていたら、
しょっぱな第1演目の女性4人が登場して歌う「春の歌」から、
その鮮やかなポリフォニーにドギモを抜かれました。
さらに5人の男性が加わって、高低音の幅の広い音域をフルに使って歌う合唱も圧巻で、
装飾的なフレーズを加える女性のハイトーンの美しさは、絶品でした。
いやー、びっくりです。
ブルガリアや台湾先住民のポリフォニーにも劣らぬこんな合唱が中国大陸に存在していたなんて、
ぜんぜん知りませんでした。
侗族の大歌の存在が近年になって知られるまでは、
中国大陸にはポリフォニーは存在しないとずっと考えられていたそうで、
2009年11月にユネスコの「無形文化遺産」に登録されたのだそうです。
男性たちが演奏する三味線と同じ形状のヘッドを持つ4弦の弦楽器の琵琶や、
笙をもっと素朴にした木管楽器、胡弓、鉦、銅鑼などにも目を奪われましたが、
なんといっても女性の高音ポリフォニーの魅力にはかないませんでした。
モノフォニーのような素朴なパートもありながら、
ヘテロフォニーぽくなる洗練された技法を感じさせる部分もあり、
ブルガリアのような高度に洗練された合唱とは違った特徴がいろいろあって、興味をそそられます。
会場で販売していたCDとDVDは、インクジェット・プリンターでレーベル面を印刷しただけの、
思いっきり海賊版くさいハンドメイドRでしたけど、
いずれきちんとしたアルバムが制作されるのを期待しましょう。
"VOICE OF NATURE : ORIGINAL MUSIC OF DONG ETHNIC GROUP"
[DVD] "美好肘光 2010 十洞款会妾題片"
2011-10-28 00:00
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イングランドの詩をスケッチして ヒラリー・ジェイムズ
イングランドから、とびっきり清らかで気品のあるトラッド作が届きました。
これがソロ5作目となるヒラリー・ジェイムズの新作です。
イングリッシュ・トラッドの女性シンガーというと、
ジューン・テイバーやフランキー・アームストロングといった、
パワフルで重みのある歌手たちをまず思い浮かべますけど、
ヒラリーはそれとはまったく違った個性の持ち主。
繊細で美しいヒラリーの声は、ぼくにはイングランドというよりスコットランドの歌手を思わせます。
ヒラリーって、それなりのお歳のはずなんですけど、
今年の春登場したエミリー・ポートマン顔負けな、
二十歳代の新人のような美声に驚かされます。
抜けるような秋の青空を想わす清廉な歌声には、ただただ聴き惚れるばかり。
そのピュアな歌声は、シャーリー・コリンズのような素朴さとは別種の洗練を感じさせます。
加えて、ヒラリーの長年のパートナー、サイモン・メイヤーのギターとマンドリンを中心とする、
ヴァイオリン、チェロなどの弦の響きを生かしたアンサンブルも完璧。
やわらかく奥行きのある色味を出す透明水彩のようなサウンドづくりは、
イングランドの四季を詠んだシェイクスピアなどの詩に曲をつけたオリジナルと、
伝承歌とを見事に描いてみせます。
数曲で加わるオーボエが、イングランド特有の哀しみに満ちた旋律を美しく装い、
手回しオルガンのようなパイプ・オルガンの響きも、
イングランドらしいクラシカルな雰囲気を醸し出しています。
ヒラリーの声と楽器の響きをナチュラルに捉え、かつ立体感を持ってふくよかにしあげた
録音も素晴らしく、この秋にぴったりのアルバムです。
Hilary James "ENGLISH SKETCHES" Acoustics CDACS059 (2011)
2011-10-26 00:00
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サンバ愛 アレー
アレーの04年の前作“MPBSOULSAMBAGROOVE” は、
パウラ・リマ、クルービ・ド・バランソ、ロジェーと、
傑作が連発するサンバ・ソウル・ブームの真っ只中でリリースされ、
ドレッドヘアでキメたジャケットに、これは!とばかり期待をしたのですが、中身は残念な盤でした。
ホーン・セクションを従え、派手なスクラッチ・プレイも飛び出すサンバ・ソウル・サウンドは、
なかなかに聴きごたえがあったんですけど、
肝心の主役のヴォーカルが表情に乏しく、一本調子な歌がいけません。
アレーのくぐもった声が派手なサウンドに埋もれてしまい、
これといった印象を残さずに終わってしまいます。
ダニエラ・メルクリが歌ったアレーの出世曲
“Dona Da Banca” のセルフ・カヴァーも入っていたんですけどね。
あれから6年。
ファンクやヒップホップ色の濃かった前作に比べると、
新作はぐっとサンバ寄りのシンプルなサウンド。
ギターにパンデイロ、タンボリンといった
サンバのオーソドックスな伴奏で歌っています。
曲によって、フルートやキーボードなどをアクセントに使うといった今回のプロダクションの方が、
アレーのヴォーカルにも合っているように思います。
一部ホーン・セクションを起用したサンバ・ソウル・ナンバーもありますけど、
前作のようにアレーのヴォーカルが埋没してしまっているようなことはありません。
アレーの歌いぶりは、あいかわらず一本調子ですが、
楽曲の良さに助けられて、ほろっとさせるスローあり、
ぐぐっと盛り上がるメロディーに男前な色気を醸し出す、
アップ・テンポのカーニバル・ソング“Samba Da Rainha” など、聴きどころ満載。
サンバ愛にあふれた新作、うん、今度は気に入りました。
Aleh "ALEH + SAMBA" Nossa Música NM001/010 (2010)
2011-10-24 00:00
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お悔やみ トンガイ・モヨ
先週ジンバブウェのアリック・マチェーソの新作を取り上げた時に、
ちらっと名前を挙げたトンガイ・モヨが、
10月15日ハラレの病院で亡くなったという訃報が飛び込んできました。
まだ43歳の若さでなぜと思ったら、ガンだったそうです。
びっくりして、今年入手したばかりの“TOITA BASA” を棚から引っ張り出すと、
なんと裏ジャケットには、「このアルバムを世界中のすべてのガン患者に捧げます」
との献辞があるじゃありませんか。
続いて「私はこの5年間、ガンと向き合いながら闘い続けています」とも書かれてあります。
こんなことが書かれていたなんて、完全に見落としてました。
トンガイのスングラが大爆発しているゴキゲンな新作だっただけに、
これほどパワフルな歌と演奏を披露しているトンガイがガンだったなんて、
訃報を聞いた今も、どうしても信じることができません。
裏ジャケにはトンガイによる各曲のコメントが簡単に添えられていて、
2曲目の“Ndinobvuma” では、自分のガンを受け入れるとともに、
自分がガンになって、皆それぞれ問題を抱えていることに気付いたと書かれています。
紹介が遅れましたが、トンガイ・モヨはアリック・マチェーソやソマンドラ・ンデベレと並ぶ、
スングラの大スター。97年のデビュー作以降、14枚のアルバムをリリースし、
出すアルバムすべてヒットするという、
飛ぶ鳥落とすイキオイで活躍し続けたシンガー兼ギタリストでした。
と書いたところで、日本でスングラを知っている人も、
トンガイ・モヨやアリック・マチェーソやソマンドラ・ンデベレを知る人も皆無というのが、
もう悔しいったらありゃしません。
ヨーロッパ人プロデューサーが取り上げるアフリカ音楽しか流通しないというこの状況、
かれこれ10年以上続いてますけど、いい加減風穴を開けることができないもんですかね。
ほんっと、なんとかしてもらいたいです(力こぶ)。
せめて遺作となってしまったこの“TOITA BASA” だけでも、みなさんに聴いてもらいたい。
アリック・マチェーソの“ZVINODA KUTENSWA” 同様、ゴキゲンなスングラが詰まった快作、
かつてザイコ・ランガ=ランガやパパ・ウェンバに衝撃を受けたことのあるファンなら、
それ以上のショックを受けること必至です。
原田さ~ん、ぜひハヤシエリカさんにお願いして、このアルバム入れてあげてくださ~い。
Tongai Moyo and Utakataka Express "TOITA BASA" Gramma CDGRAMMA660 (2010)
2011-10-22 00:00
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シーラ・マジッド再始動
ここ10年近く、どうもぱっとしないというか、
はっきりいって低迷していたシーラですけど、
昨年のデビュー25周年を機に、
ようやく本格的な活動を再開させ始めましたよ。
過去のアルバムをまとめた8枚組記念ボックスを
挨拶代わりに出したかと思えば、
昨年10月にはマレイシア交響楽団を従えた
25周年記念コンサートを行い、
今年初めに2枚組ライヴ盤をリリースしました。
85年のデビュー作“DIMENSI BARU” から
04年の近作“CINTA KITA” まで、
過去のヒット曲を万遍なく歌い、
まさしく「ベスト・オヴ・シーラ・マジッド」といいたい内容。
シーラをずっと聴いてきたファンなら、胸の高鳴らない人はいないでしょう。
それをゴージャスなオーケストラ・アレンジで聴けるんだから、もう最高です。
シーラも高揚していて、曲間のMCは興奮を抑えきれない様子でシャウトまでするほど。
それでも歌声は、昔と変わらぬふくよかな美声を聞かせてくれます。
特にフィナーレの“Sinaran” は感動的で、胸が熱くなります。
80年代に登場したシーラは、それまでのマレイシアにないタイプのポップ・シンガーでした。
当時大流行のダンドゥットを嫌った、クアラルンプールの都会育ちのお嬢さん歌手で、
経済成長とともに拡大していたマレイシアの中産階級が求めた歌手だったともいえます。
ダイアナ・ロスやアニタ・ベイカーなどが好きという、典型的な洋楽志向の歌手で、
いわゆるコンテンポラリーなポップスを歌っていたのですが、
マレイシアにはこういうポップスが存在しなかったために、
「ジャズ・シンガー」という表現もされていました。
もちろんシーラはジャズを歌っていたわけではなく、
ジャズ・イコール・洋楽的洗練を意味していたのですね。
しかし、こうした洋楽的な洗練は、シーラがマレイシア初だったわけではもちろんありません。
よく知られているとおり、50~60年代にP・ラムリーやサローマが、
アメリカのポップスやジャズにラテンをふんだんに取り入れた魅力的な音楽を生み出していました。
したがってシーラの登場は、マレイシア歌謡が持っていた
洋楽的洗練の方向性をもう一度指し示したものであって、
その証拠が90年に出したP・ラムリー曲集“LEGENDA” の大ヒットであったといえます。
そのシーラが25周年記念コンサート・ライヴに続いてリリースしたのが、
イスラム教徒の断食明けを祝うハリラヤ曲集というのは、意表を突かれました。
もちろんP・ラムリーやサローマもハリラヤ・ソングを歌っていたとはいえ、
コンテンポラリー/フュージョン志向の強いシーラが、
典型的なマレイ・ポップのハリラヤ集を出すとは意外でした。
20代の頃だったら、歌わなかったろうなあ。
マレイシア歌謡の女王シャリファ・アイニが歌った“Suasana Di Hari Raya” や、
マレイシア最高の女性歌手サローマが歌った“Selamat Hari Raya”
(同タイトルの2・4曲目ではなく8曲目の方)といったハリラヤ・ソングを、
ラテン・ジャズや70年代クロスオーヴァー風のアレンジなどにのせて歌っています。
シーラの今の旦那さんのアチスがプロデュースを務めていて、
前の旦那ロズラン・アジズと比べ、プロダクション・センスがイマイチ古臭い感はありますけど、
まあ往年のファンなら、目をつぶってくれるでしょう。
盟友ジェニー・チンがアレンジとキーボードで参加した美しいラストの新曲まで、
シーラの特徴である、口の中でまろやかにふくらむ声にトロけます。
さらに、シーラは“RATU JAZZ” というタイトルの2枚組もリリースしていて、
96年の最高傑作“RATU” をジャズにリアレンジして制作したアルバムかと、
色めきたって購入したところ、これはただのベスト盤だったという、ああ勘違い。
ファンのみなさんはお気をつけください。
Sheila Majid "THE MALAYSIAN PHILHARMONIC ORCHESTRA CELEBRATES 25 YEARS OF SHEILA MAJID" Sony Music 88697954552 (2011)
Sheila Majid "MEMORI AIDILFITRI" Magada Entertainment/Warner Music 5249884552 (2011)
2011-10-20 00:00
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ポスト・ロベルタ・サー登場 マヌ・サントス
まるでデ・ジャヴ。
ロベルタ・サーのデビュー作を聴いた時の、目の覚めるようなフレッシュさ、
あの鮮烈な記憶が、マヌ・サントスという新人さんのデビュー作を聴いて甦りました。
現在26歳というマヌ・サントスは、ラパ新世代から登場した新たなる才媛。
そのふくよかな歌声は、まさにポスト・ロベルタ・サーと呼ぶのにぴったりな人です。
ラパで活動する仲間たちが作曲したサンバのほか、
カエターノ・ヴェローゾの“Lua de São Jorge”、イヴァン・リンスの“Deixa Eu Dizer”、
ジルベルト・ジルとジョアン・ドナートの共作“Lugar Comum”、
モアシール・ルスの“Domingo É Dia” といった
著名なアーティストの有名曲を歌っています。
ぼくの好きなジアナ・ヴィスカンディの曲を2曲取り上げているのも、嬉しいところ。
マヌのみずみずしい歌声をバックアップする、メンバーの演奏も申し分ありません。
曲によりアコーディオンやホーン・セクションをフィーチャーした演奏の表情は、実にまろやか。
どんなに時代が進んでも、こういうまろやかさを失わないところがブラジル音楽の良さですね。
世の中にギスギスした音楽が増えるほど、
ぽちゃぽちゃした赤ちゃんの頬のような柔らかさに満ちたブラジルの音楽が貴重に思えます。
アフロ・ブラジリアンの香り高いバイーアのサンバも苦味や酸味が抜け、
すっきり・さっぱりとしたノドごしを味あわせてくれます。
どんなレパートリーもしなやかに歌ってみせるマヌのデビュー作、
まさしくアレグリア(喜び)に満ちた快作に仕上がりました。
Manu Santos "NOSSA ALEGRIA" Saladesom SLD0035 (2011)
2011-10-18 00:00
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マルシャを歌うファドの女王 アマリア・ロドリゲス
うわー、ついにCD化されましたか。これは嬉しいですねぇ。
アマリア・ロドリゲスの珍盤中の珍盤、
アマリアがファドではなく、なんとカーニバル・ソングのマルシャを歌ったアルバムです。
アマリア・ロドリゲスのヴァレンティン・デ・カルヴァーリョ音源は、
ポルトガルEMIが最初にCD化をスタートさせ、ほぼすべてのカタログをCD化したあと、
ソン・リブレに権利が移って再発されましたが、
両社ともなぜか69年の“MARCHAS DE LISBOA” だけはCD化しなかったんですよね。
iPlayに権利が移ってからは、過去のカタログをただ踏襲して再発するのではなく、
歴史的名作“COM QUE VOZ” に19曲もの未発表曲を追加した2枚組編集盤をリリースしたり、
“AMÁLIA NO OLYMPIA” をフランス原盤のジャケットで出すなど、
アマリア・ファンには感涙ものの力作リイシューが続いていましたが、
マルシャを歌ったこのアルバムもちゃんとCD化してくれたとは、拍手ものです。
しかもLPは12曲収録だったのが、CDは2倍以上の26曲収録という大判ぶるまい。
今回ライナーを読んではじめてわかったんですけど、
このアルバムはLP制作されたものではなく、EP音源を編集したアルバムだったのですね。
CD化にあたり、録音単位に曲をまとめた編集をしてくれたのも嬉しい配慮です。
60年代のアマリアは、ファドばかりでなく、ポルトガル各地の民謡を歌ったりと、
意欲的にレパートリーを広げていて、歌手としてもっとも充実していた時代でした。
ブラスバンド編成のマルシャのサウンドにのって歌うアマリアのヴォーカルは、
ファドでは味わえない躍動感に満ち溢れています。
といっても、陽気なアップテンポのマルシャであろうと、
コブシをぐりんぐりん回しているところは、あいかわらずなんですけどね。
ブラスバンドにのって歌うアマリア・ロドリゲスの、いきいきと快活な表情が妙味な一枚。
ファドのアマリア・ロドリゲスしか知らない人に、ぜひ聴かせたいアルバムです。
Amália Rodriguez "MARCHAS" iPlay IPV1678-2
2011-10-16 00:00
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二の腕の細いアフリカ女子 ファトゥマタ・ジャワラ
いやー、いいジャケットだなあ。
LPサイズで欲しくなるデザイン。
2011年のジャケット大賞をあげたい逸品です。
タイトル文字のレタリング、位置、大きさともに絶妙で、しかもポップ。
主役のファトゥマタのこぼれる笑顔が美しく、
蛍光灯の色かぶりで緑っぽく写っている窓ガラスと、
ファトゥマタの褐色の肌、黄色のターバンという色味のバランスがとてもいい感じ。
ブラウスの花模様の黄と緑が、ターバンや窓と同系色となっていて、
髪飾りと腕飾りの赤がいいアクセントとなっています。
う~ん、眺めるほどに、いい写真ですねえ。
ワールド・サーキットが世に出した新人女性シンガーは、
なんとワスル出身の両親のもとに生まれたというファトゥマタ・ジャワラ。
ワスルと聞いただけで触手が伸びるぼくですけど、
マリ・K7などで聞ける逞しく土臭いワスルのシンガーとは、
まったく肌合いの異なる個性の持ち主です。
ファトゥタマは十代で女優となり、19歳の時に出演した映画のヒットで、
西アフリカじゅうに知れ渡る人気スターとなった人。
演劇を本格的に勉強しようとパリに渡り、女優業のかたわら歌も歌い始めると、
しだいに歌手としても注目され、ウム・サンガレのアルバムに参加した縁から、
ウムの後押しでデビューがかなったのだそう。
そんなわけで、いわゆる伝統的なワスル・サウンドとはまったく肌合いの異なる、
インティメイトな雰囲気を持った、パーソナルな感覚の作品となっているわけです。
ワスルらしいメロディーや、カマレ・ンゴニなども登場しますけど、
そこから生み出される音楽の表情はむしろ都会的で、
まさしくパリのマリ人女性シンガー・ソングライターそのもの。
ニック・ゴールドが手がけただけに、プロダクションも丁寧でよく作りこまれています。
アフリカ音楽ファンならば、ロキア・トラオレのデビュー作をすぐ思い浮かべるように、
じっさいファトゥマタもロキアに憧れてギターを独学で勉強したのだそうで、
アフリカ新世代シンガーと呼ばれたロキアにもついに後輩が現れたということでしょうか。
伝統のしがらみから離れた立ち位置で、
伝統をもう一度たぐりよせて歌おうとするアフリカ女子の共通点は、二の腕の細さかも。
このジャケットを眺めていたら、そんなふうにも思えてきました。
Fatoumata Diawara "FATOU" World Circuit WCD086 (2011)
2011-10-14 00:00
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ハイパーインフレをぶっとばして アリック・マチェーソ
ジンバブウェが史上最悪といわれるハイパーインフレに見舞われ、
山盛りのジンバブウェ・ドルの札束や、
スーパーマーケットの棚から商品が消えた写真などが伝えられたのは、
2008年あたりだったでしょうか。
その後、南アでワールド・カップが開催された2010年には、
職を求めるジンバブウェ人が大量に南アへ逃げ込む事態となり、
国家破綻の様相さえ見せていました。
ちょうどそんな頃、ぼくが長年付き合っていた
ジンバブウェ音楽のオンライン・ショップも閉鎖してしまい、
ジンバブウェ盤の入手ルートが絶たれてしまいました。
もっともこんな様子では、現地ではCD制作どころじゃないだろうし、
きっと新作も出てないんだろうな、なんて思っていたんですけれど、
ところがどっこい、違いましたね。
ジンバブウェ、元気です。
いや、ほんと、バリバリに元気です。
2010年制作のぴかぴかの現地盤直送CDを、今年になって入手したんですけど、
スルマン・チンベトゥ、トンガイ・モヨ、フレディ・マンジャリマ、ニコラス・ザカリアといった、
ルンビラやスングラの大スターたちの新作が、
どれもこれも目の覚めるような元気イッパイのサウンド。
まるでルンバ・ロックが沸き上がっていたザイール時代のコンゴを思わせるイキオイじゃないですか。
そして、つい最近ジンバブウェへ移住したンビーラ奏者のハヤシエリカさんが送ってきた、
スングラを代表するミュージシャンにして、現在のジンバブウェの大スター、
アリック・マチェーソの8作目にあたる新作が、決定打でした。
アリック・マチェーソは新作を出すたびに、パワーアップしていて驚かされるんですけど、
この新作のエネルギーはただごとじゃないです。
拙著『ポップ・アフリカ700』に載せた07年の“NDEZVASHE-EH” も凌ぐ大力作です。
各曲10分以上というロング・サイズで、3台のギターとベースがくんずほぐれつ絡み合いながら、
ギター・ソロやベース・ソロの見せ場も作りつつ、
歌にコーラスに演奏に、あふれんばかりのエネルギーを放出しています。
アリックのベース・プレイはますます磨きがかかっていて、早弾きは言うに及ばず、
リード・ギターとユニゾンで弾いたり、ベース・ラインと同時に歌ったり、
ケニヤのベンガ・ビートどころではない暴れっぷりが胸をすきます。
それにしても、国外にはまったく知られていない、
ジンバブウェの今のミュージック・シーンの充実ぶり。
上に挙げたミュージシャンを知る人は、現地事情を知るごく少数の人だけでしょう。
せめて、エル・スールに入荷してきたアリック・マチェーソだけでも、お聴き逃しなく。
Alick Macheso & Orchestra Mberikwazvo "ZVINODA KUTENSWA" Last Power Media LPM030 (2010)
2011-10-12 00:00
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J-GLOCALの可能性 アラゲホンジ
毎年8月に開催される「全国こども民俗芸能大会」を、今年も奥さんと一緒に観てきました。
全国から選抜された代表チームのパフォーマンスを観るたびに思うのは、
日本にはこんなに豊かな民俗芸能があるのかという驚きと、
地元の郷土芸能ですら、この大会ではじめて知るという、
日常生活とのアクセスのなさと絶望的なまでの距離感です。
13回目を数える今年の大会で特に印象に残ったのは、
高知・室戸の佐喜浜にわかと、青森・十和田の晴山獅子舞の二つ。
晴山獅子舞のグナワのようなトランシー感いっぱいのグルーヴには圧倒されました。
文部科学省が後援、日本財団の助成事業という役所絡みの行事のせいか、
毎年会場には普通の音楽ファンが見当たらず、観客はお年寄りばかりなんですけど、
グローカル・ミュージックに興味のあるファンなら、
見逃したらもったいない大会だと思いますよ。観覧無料なんだし。
その「全国こども民俗芸能大会」をマクラに紹介したくなったのは、
「秋田音頭」「秋田萬歳」などの民謡を現代的にアップデイトした、
秋田出身のヴォーカリスト斎藤真文率いる、アラゲホンジというバンドのデビュー作です。
東北の民謡や芸能を現代化する試みは、これまでもたくさんありましたけれど、
ノベルティな色合いなしに、これほどストレイトにポップなお祭りロック化したバンドは貴重です。
一聴して惹かれたのが、ヴォーカリスト齋藤真文くんのカラッと明るく、晴れやかな歌声。
秋田弁の発音が持つパーカッシヴなビート感を、無理なくワールド・ポップなグルーヴに繋げていて、
自然体のミクスチャーをあっさり実現しているところは、頼もしいというか若さの勝利ですね。
ただ、天然自然なヴォーカルの魅力は十分感じつつ、あどけないともいえる音楽性や
リズム・アレンジの工夫のなさに少々腰が砕けるところもあって、
このあたりは今後の課題でしょうか。
「平成秋田萬歳」ももっと練りこんだら、アフロビートのようなグルーヴができたと思うんだけど、
音の厚みが足りなくて、う~ん、もったいない。
あと、「秋田音頭」みたいに全国に知られた有名曲ばかりじゃなく、
地元に埋もれた民謡を探し出してきて、取り上げてほしいな。
「全国こども民俗芸能大会」にも表れる、豊かな日本の郷土芸能をポップ化しない手はなく、
まだまだほとんどが手付かず状態なんだから、その可能性は果てしなくあるはずです。
郷土芸能ばかりでなく、方言の持つリズム感を生かすというのもその可能性のひとつで、
鹿児島弁で歌ったサカキマンゴーの「茶わんむしのクンビア」や弁ブルースは、その成果でしょう。
日本のグローカル・ミュージックの可能性は、なにも沖縄や奄美やアイヌばかりでなく、
わが町にだってある。それに気付けるかどうかが、カギになるんじゃないでしょうか。
そんな意味からも、方言をいかしたオリジナル曲が魅力のアラゲホンジ、
CDよりライヴの方が本領を発揮しそうだなという予感があります。
実は、ぼくは震災後遺症がまだ癒えず、3.11以降ライヴへ足を運ぶ元気が出なくて、
アマジーグやボンビーノもとうとう観に行けなかったんですが、
アラゲホンジには「観たい!」というエネルギーを、ひさしぶりにもりもりと湧き上がらせてくれました。
既視感のある音楽では恢復できないものを、
若く、何をしでかすかわからない可能性に満ちた彼らからなら、得られそう。
そんな期待で、今月の19日、吉祥寺MANDA-LA2で
アラゲホンジのライヴ体験できるのを、とても楽しみにしています。
アラゲホンジ 『アラゲホンジ』 ハルカゼ HRKZ001 (2011)
2011-10-10 00:00
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生成りのジャズ 渋谷毅
先月28日、230人近くが参列して行われた中村とうようさんとお別れをする会は、
故人を追悼する心のこもった、気持ちのいい集いでした。
司会の亀渕昭信さんはじめ、石坂敬一さん、湯川れい子さん、
瀬川昌久さん、内田裕也氏、どの方の挨拶も胸に迫るものがあって、
あらためてとうようさんという類まれなキャラ立ちの人物を偲ばせるエピソードの数々に、
くすりとさせられたり、ほろっとさせられたりしました。
「天涯孤独」という表現をされた方もいらっしゃいましたけれど、
これだけ大勢の人に愛されたのは、やっぱり幸せな人生だったんじゃないでしょうか。
音楽業界の関係者や評論家のほかにも、レ・フレール、常味裕司、サンディーといった
とうようさんゆかりのミュージシャンも大勢みえられ、歌や演奏が捧げられました。
なかでも嬉しかったのは、ぼくの大好きな音楽家、渋谷毅さんの登場。
いつものひょうひょうとした風情で現れ、「話は苦手なので・・・」と、
挨拶の言葉も少なにピアノ・ソロを披露してくれました。
渋谷さんって、いつ見ても普段着のままというか、
気取らないなんていうレベルをとっくに超えた、
「超・自然人」みたいなお人柄を感じさせ、そこにぼくはとても惹かれています。
そんな「あるがまま」の渋谷さんの音楽を表現しているのが渋谷毅オーケストラで、
94年の作品『酔った猫が低い塀を高い塀と間違えて歩いているの図』は、
日本のジャズの最高傑作とぼくは思っています。
渋谷毅オーケストラには、年齢の離れたメンバーもみな平等といった民主的な雰囲気があって、
それがのびのびとしたメンバーのプレイを引き出しているようにみえます。
渋谷さんの編曲も、かっちりとした枠をはめるようなスタイルではないのに、
そこから生み出される演奏は、見事に渋谷カラーに塗りつぶされているのだから、さすがです。
いい加減とか、あいまいとか、そんな人間くさい魅力があふれた渋谷さんのジャズは、
いわば生成りのシャツのような温かさがあります。
これって、正確とか超絶とかのジャズが好きな人にはわからない魅力かもしれません。
そんな渋谷毅ファンのぼくなんですが、ファンの少なさがさみしいところ。
『ずっと西荻』がリリースされたばかりの2003年11月に新宿ピットインへ観に行った時も、
会場時間に店の前で待っていたのは、
ぼくのほかわずか3人だけだったのにはがっくりしたものでした。
開演時間を遅らせ、ようやくそこそこのお客さんが集まったという感じでしたけど、
こんなすばらしいジャズを聴きに来ないで、何がジャズ・ブームだよとフンガイしたもんです。
そうそう、そういえば思い出しましたけど、そのライヴがはねた後、
エル・スール・レコードで忘年会が開かれていたので、その足で渋谷へ向かったんだっけ。
遅れての参加だったので、たった今メンバーにサインを入れてもらったばかりの
『ずっと西荻』のCDを見せながら、遅れた言い訳などしてたんですけど、
そこにいた誰も渋谷毅オーケストラに関心を示してくれず、
ワールド・ミュージック・ファンの無反応ぶりにも、またもやがっくりきたのでした。
そんな思い出もあったものだから、2010年7月号の『ミュージック・マガジン』の
ゼロ年代アルバム・ベスト100[邦楽編]の中村とうようさんの個人ベストで、
『ずっと西荻』が第2位に選ばれていたのには、意表をつかれた思いがしました。
とうようさんが渋谷さんのコメントをしている記事なんて、
読んだおぼえがなかっただけに、これには驚きましたねえ。
聞くところによると、とうようさんと渋谷さんは呑み仲間だったのだとか。
でも、とうようさんは情実で選ぶような人じゃないから、
宇多田ヒカルの『DISTANCE』を第3位に押さえて第2位に選んだのは、
相当気に入ってたんだと思います。
『酔った猫が低い塀を高い塀と間違えて歩いているの図』といい、『ずっと西荻』といい、
渋谷毅オーケストラの作品はほとんど耳目を集めていなかっただけに、
とうようさんが高く評価していたことを知った時は、すごく嬉しかったです。
渋谷毅オーケストラ 『ずっと西荻』 カルコ CARCO0006 (2003)
2011-10-08 00:00
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レディ・フロム・ブルックリン マヤ・アズシーナ
お! マヤの新作だ。
03年のデビュー作のパワフルな歌いっぷりに、いっぺんでファンになったマヤ・アズシーナ。
ソングライターとしての才能も豊かな、ブルックリン出身のR&Bシンガーです。
声量の豊かさに加え、こぶしもよく効いて、
これだけ強い歌が歌えると、歌いすぎ感が残ったりするものですけど、
メリハリのあるプロダクションのおかげで、風通しのよいアルバムに仕上がっていました。
デビュー作以降、もう1枚出ていたようですが、
それには気付かず、今回の新作でひさしぶりの再会となりました。
ソウルフルな歌声はデビュー作そのままに、R&B、ヒップホップ、ジャズ、レゲエなど、
さまざまな音楽のエッセンスをごく自然に取り入れながら、
すがすがしいアルバムに仕上げているのは今回も同様です。
ヴァーノン・リードのヘヴィ・メタルぽいギターがフィーチャーされるハード・ロック・ナンバーあり、
レゲエ・シンガーのアイニ・カモージがゲスト参加したレゲエ・ナンバーありと、
サウンド・プロダクション含め、自分のやりたい音楽を
のびのびとやっている喜びが全編に溢れています。
これだけ多彩な曲調をばらけずに一気に聞かせるのは、
マヤの力強くしなやかな歌声が、どの曲でも圧倒的な存在感を示しているからで、
ホンモノの歌心感じさせる、稀有な女性シンガーといえますね。
ラストにドニー・ハサウェイの“Little Ghetto Boy” を持ってきて、
男性シンガーとデュエットしているんですが、
これまでぼくが聴いたカヴァー・バージョンの中では、最高の仕上がりですね。
ぜひ生で一度、その歌声を聴いてみたい人です。
Maya Azucena "CRY LOVE" Half Note 4551 (2011)
Maya Azucena "MAYA WHO?!" NuMedia NY no number (2003)
2011-10-06 00:00
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ルーサー・フォロワー フィル・ストローゲン
え? これ、ルーサー?
しばらく聴いていたら、あ、こりゃ違うわ、別人だとわかりましたけど、
いや、それにしてもよく似てます。ルーサー・ヴァンドロスを敬愛していることが、
その歌声からよく伝わってくる、いわゆるルーサー・フォロワーさんです。
フィル・ストローゲンというこの男性シンガー、すでに長いキャリアを持ち、
数々のビッグ・ネームたちとも仕事をしてきたヴェテラン・シンガー兼ソングライターとのこと。
ロンドン生まれニュー・ヨーク育ちで、
現在もロンドンとニュー・ヨークを行き来して活躍しているそうです。
これが2作目とは思えない、めちゃくちゃ安定感のある歌いぶりを聞かせ、
スロウ、ミッド、アップと見事にコントロールされた実力派ですね。
しっとりとしたシルキー・ヴォイスで、ムーディーなアーバンR&Bを歌い、
ドラマティックなスロウでも暑苦しくならないのは、
ルーサー・フォロワーらしいバラディアーとしてのこの人の資質なんでしょう。
全17曲72分超という、近年のR&Bアルバムお約束の長すぎっ!なアルバムですけど、
この長さを飽きさずに聞かせるんだから、大したもんです。
ブラコン・サウンドがキライだったので、ルーサーのシンガーとしての良さに気付いたのは、
だいぶ遅くなってからでしたけど、ブラコン時代の金太郎飴プロダクションではない、
いまどきの手を変え品を変えサウンドで、ルーサーばりの声を聞けるのはいいもんです。
ほどよく甘い、アダルトで中庸な味わいも、けっして悪くありません。
Fil Straughan "FIL THE SOUL" Vera’s Child Publishing FS070811 (2011)
2011-10-04 00:00
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甘く苦い都会の闇 マーク=アーモンド
なつかしさのあまり、思わず紙ジャケのCDを手にとったまま、レジに直行しちゃいました。
ジョン・マークとジョニー・アーモンドのデュオが残した78年の名作です。
プロデュースがトミー・リピューマ、エンジニアにアル・シュミット、
アレンジがクラウス・オマーガン、ミュージシャンにニュー・ヨークの精鋭たちがずらりと並んだ、
これ以上ないというくらい贅沢な布陣で制作されたアルバムなんですね、これが。
LP発売当時、ぼくはマーク=アーモンドを知らず、この豪華な布陣と、
アダルト・ムードいっぱいのジャケにまいって手を伸ばしたんですけど、
マイケル・フランクスの“THE ART OF TEA” を思わす都会的なメロウネスにシビれました。
当時はさして売れた様子もなく、発売元のホライゾン・レーベルが消滅したこともあり、
アメリカではとうに忘れ去られてしまいましたが、日本ではこれがたしか二度目のCD化。
このアルバムが成功したのは、東海岸のスタジオ・ミュージシャンを起用して、
ささやくようなジョン・マークのムーディーなヴォーカルを硬質なサウンドでくるんだ、
トミー・リピューマのプロデュース・センスにあります。
これがもし西海岸のミュージシャンを起用していたのなら、これほどピリッとした作品とはならず、
もっとベタっと甘いアルバムとなったかもしれません。
妖しく地を這うウィル・リーのベース、夜の闇を切り裂くジョン・トロペイのギター、
ネオン彩る夜景を映すレオン・ペンダーヴィスのキーボード、
柔らかな音色が涙を誘うジェリー・ヘイのフリューゲルホーン、
16分音符が連続するブレイクをキメるスティーヴ・ガッドのドラムスが、
大都会に暮らす人間の、愛と友情と孤独の物語を綴っていきます。
泣き出したくなるような、せつないメロディーの曲もあれば、
フックの効いたファンク・チューンもある、ビター・スウィートな一作。
都市生活者の甘く苦い闇を表現したアルバムとして、
シャーデーの“LOVE DELUXE” とともに忘れられない作品です。
マーク=アーモンド 「アザー・ピープルズ・ルーム」 ユニバーサル UICY75097 (1978)
2011-10-02 00:00
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