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シキル・アインデ・バリスターのCD 【バリー・ブラック・ミュージック時代(1998~)】

98年からは、レーベルがバリー・ブラック・ミュージックへ変わります。
ディストリビューターのアイボリー・ミュジックがレーベル名となっているアルバムもありますが、
番号はBBMLで統一されています。

「ミュージック・マガジン」の3月号で紹介した“IMAGE & GRATITUDE” のみ番号が不明ですが、
カセットには番号が付いているものと思われます。
“WISDOM & CORRECTION” の番号も、遠藤さんのディスコグラフィにあった
カセットの番号を記しましたが、CDにはなぜか記載がありません。
曲目は、遠藤斗志也さんのディスコグラフィーを参照してください。
http://biochem.chem.nagoya-u.ac.jp/~endo/EASikiru.html

BBML02.jpg BBML03.jpg BBML004.jpg
"PROPHECY" Barry Black Music BBML02 (1998)
"ADIEU M.K.O ABIOLA" Barry Black Music BBML03 (1998)
"DEMOCRACY" Barry Black Music BBML004 (2000)

BBML005 Millennium Stanza.JPG BBML006.jpg BBML007.jpg
"MILLENNIUM STANZA" Ivory Music BBML005 (2000)
"FUJI MISSILE" Ivory Music BBMLCD006 (2001)
"FUJI BOOSTER" Barry Black Music BBMLCD007 (2001)

BBML014.jpg BBML015.jpg BBML016.jpg
"REALITY" Barry Black Music BBML014 (2004)
"CONTROVERSY" Barry Black Music BBML015 (2004)
"PRECISION" Barry Black Music BBML016 (2004)

BBML017018.jpg BBML019020.JPG
"WISDOM & CORRECTION" Barry Black Music BBML017,018
"IMAGE & GRATITUDE" Barry Black Music no number

CDと同タイトルのVCDも出ていますが、シキ・オルヨレ時代と同様に省略しました。
2005年頃にVCDのみでリリースされたライヴがあるので、これだけ最後に紹介しておきましょう。

VCD1.jpg VCD2.jpg VCD3-4.JPG
"BARRY BACK ON STAGE" Lati Alagbada & Sons no number
"BARRY BACK ON STAGE 2" Lati Alagbada & Sons no number
"BARRY BACK ON STAGE 3&4 FULL VERSION" Lati Alagbada & Sons no number
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シキル・アインデ・バリスターのCD 【シキ・オルヨレ時代(1978~1996)】

シキル・アインデ・バリスターは78年に自分のレーベル、シキ・オルヨレを興し、
アフリカン・ソングスから移籍して、黄金時代を迎えます。
CD番号はLP番号と同じで、遠藤さんのディスコグラフィーと照らし合わせてみたら、
欠落は048、050、055 の3枚だけ。よくまー集まったもんだ。

曲目は、遠藤斗志也さんのディスコグラフィーを参照してください。
http://biochem.chem.nagoya-u.ac.jp/~endo/EASikiru.html

001 Iya Laje Of Lagos.jpg 002-1.jpg 003.JPG
"IYA LAJE OF LAGOS" Siky Oluyole SKOLP001 (1978)
"AMUDA WA SUKURA" Siky Oluyole SKOLP002 (1978)
"LONDON SPECIAL" Siky Oluyole SKOLP003 (1979)

004.JPG 005.jpg 007.jpg
"FUJI REGGAE SERIES 2" Siky Oluyole SKOLP004 (1979)
"EYO NBO ANOBI" Siky Oluyole SKOLP005 (1979)
"AWA O JA" Siky Oluyole SKOLP007 (1979)

008.jpg 009 Oke Agba.jpg 010.jpg
"FUJI DISCO" Siky Oluyole SKOLP008 (1980)
"OKE AGBA" Siky Oluyole SKOLP009 (1980)
"AIYE!" Siky Oluyole SKOLC010 (1980)

011.jpg 015.jpg 016.jpg
"FAMILY PLANNING" Siky Oluyole SKOLP011 (1981)
"SURU BABA IWA" Siky Oluyole SKOLP015 (1981)
"ORE LOPE" Siky Oluyole SKOLP016 (1981)

017.jpg 018.jpg 019.jpg
"E SINMI RASCALITY" Siky Oluyole SKOLP017 (1982)
"IWA" Siky Oluyole SKOLP018 (1982)
"ISE LOGUN ISE" Siky Oluyole SKOLP019 (1982)

020.jpg 021.jpg 022 Nigeria.jpg
"EKU ODUN" Siky Oluyole SKOLP020 (1982)
"IJO OLOMO" Siky Oluyole SKOLP021 (1983)
"NIGERIA" Siky Oluyole SKOLP022 (1983)

023.jpg 024.jpg 025.jpg
"LOVE" Siky Oluyole SKOLP023 (1983)
"BARRY SPECIAL" Siky Oluyole SKOLP024 (1983)
"MILITARY" Siky Oluyole SKOLP025 (1984)

026.JPG 027.jpg 028.jpg
"APPRECIATION" Siky Oluyole SKOLP026 (1984)
"FUJI VIBRATION ’84 ‘85" Siky Oluyole SKOLP027 (1984)
"DESTINY" Siky Oluyole SKOLP028 (1985)

030.jpg 032.jpg 033.jpg
"SUPERIORITY" Siky Oluyole SKOLP030 (1985)
"FERTILIZER" Siky Oluyole SKOLP032 (1986)
"OKIKI" Siky Oluyole SKOLP033 (1986)

034.jpg 035 Ile Aye Ogun.jpg 036.jpg
"AMERICA SPECIAL" Siky Oluyole SKOLP034 (1986)
"ILE AYE OGUN" Siky Oluyole SKOLP035 (1987)
"MATURITY" Siky Oluyole SKOLP036 (1987)

037.jpg 040.jpg 041.jpg
"BARRY WONDER" Siky Oluyole SKOLP037 (1987)
"BARRY WONDERS @40" Siky Oluyole SKOLP040 (1988)
"FUJI GARBAGE SERIES 1" Siky Oluyole SKOLP041 (1988)

042.jpg 043.jpg 044.jpg
"FUJI GARBAGE SERIES Ⅱ" Siky Oluyole SKOLP042 (1988)
"CURRENT AFFAIRS" Siky Oluyole SKOLP043 (1989)
"FUJI GARBAGE SERIES Ⅲ" Siky Oluyole SKOLP044 (1989)

045.jpg 046 Fuji New Waves.jpg 047.JPG
"MUSIC EXTRAVAGANZA" Siky Oluyole SKOLP045 (1990)
"FUJI NEW WAVES" Siky Oluyole SKOLP046 (1991)
"FANTASIA FUJI" Siky Oluyole SKOLP047 (1991)

048 CDORBD067 New Fuji Garbabe.JPG
049.jpg 052.JPG
"NEW FUJI GARBAGE" GlobeStyle CDORBD067 (1991) [UK盤]
"DIMENSIONAL FUJI" Siky Oluyole SKOLP049 (1993)
"THE TRUTH" Siky Oluyole SKOLP052 (1994)

054-1.jpg 054-2.jpg 056.jpg
"PRECAUTION / CANADIAN FUJI" Siky Oluyole SKOLP054 (1996)
"PRECAUTION / CANADIAN FUJI" Adeyemo Rec. Studio BARR0209CD (1996) [UA盤]
"INFERNO" Siky Oluyole SKOLP056 (1996)

057.jpg
"OLYMPICS ATLANTA ‘96" Siky Oluyole SKOLP057 (1996)
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シキル・アインデ・バリスターのCD 【アフリカン・ソングス時代(1970s)】

「ミスター富士」ことナイジェリア、フジの創始者
シキル・アインデ・バリスターのアルバムもほぼすべてCD化されたようで、
見つけるたびにせっせと買っていたら、かなりの数が手元に集まってしまいました。
コンプリート・コレクションには興味がないので、欠けているアルバムもありますけど、
時代ごとに整理してみようと思います。

まずは、バリスター初期の70年代アフリカン・ソングス時代のアルバム。
1・3・8集が欠けていますが、
シキ・オルヨレ、TYC、ラティ・アラバダなどさまざまなレーベルからCD化されていて、
CD番号はオリジナルのLP番号とは異なっています。

曲目は、遠藤斗志也さんのディスコグラフィーを参照してください。
http://biochem.chem.nagoya-u.ac.jp/~endo/EASikiru.html

Vol.2.jpg Vol.4.jpg Vol.5.jpg
"VOL.2 : ALAYINDE MADE O" Siky Oluyole SKOLP002
"VOL.4 : ITAN ANOBI RASAQ" Siky Oluyole BBML004
"VOL.5 : ALAYINDE NKIYIN" Siky Oluyole BBML005

Vol.6 Orimi Ewo Ninse.jpg Vol.6-2.jpg CDAS89712.jpg
"VOL.6 : ORI MI EWO NINSE" TYC AS33L (1975)
"ORI MI EWO NINSE" Lati Alagbada & Sons Co. Ltd AS33L
"ALHAJI DR. SIKIRU AYINDE BARRISTER" African Songs CDAS89712 [UK盤]
TYC盤とラティ・アラバダ盤はともにVol.6 で同内容。
アフリカン・ソングス盤は、Vol.6 全曲とVol.7 のB面(CDでは2曲目)を収録。

Vol.7.jpg Vol.9.JPG Vol.10.jpg
"VOL.7 : ORISA BI IYA O SI" TYC AS41L (1975)
"VOL.9 : AJUWE JUWE" TYC AS55L (1976)
"VOL.10 : E JE K’AYINDE GBAIYE" TYC AS58L (1977)

Vol.11.jpg Vol.12.jpg CDAS89711.jpg
"VOL.11 : BISIMILAHI" TYC AS70L (1977)
"VOL.12 : OMO NIGERIA" TYC AS77L (1977)
"OMO NIGERIA" African Songs CDAS89711 [UK盤]
アフリカン・ソングス盤は、Vol.12 全曲とVol.7 のA面(CDでは1曲目)を収録。
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フランス語の響き ベン・ロンクル・ソウル

Ben L'oncle Soul.jpg

フランス語の歌が苦手です。
口の中でもしゃもしゃと発音するキレの悪い歌を聴くと、ほんとイライラするんですよ。
シャンソンやフレンチ・ポップスがおしなべてダメなのも、
そのほとんどの理由は、鼻母音を強調するフランス語の響きのせいですね。

そんなことを改めて考えさせられたのは、店頭で試聴して気に入り買ってきた、
ベン・ロンクル・ソウルというフランスの新人シンガーのアルバムのせい。
もろアメリカン60s趣味に飾られた紙ジャケ仕様のデザインに目を引かれ、聴いてみたらびっくり。
もろスティーヴィーな1曲目から、モータウンやスタックスのサウンドがてんこ盛り。
よくぞここまでと感心するほど、ノスタルジックな60年代ソウル・サウンドを徹底しています。

へー、フランスにもこんなアメリカかぶれがいるんだー、面白いなー、
なんて思いながら聴き進んでいくうちに、英語じゃない曲が出てきて、おや?と思ったんですね。
よくよく聴けば、フランス語。ところが、ちっともフランス語みたいに聞こえない。
まるで英語のような響きなんですね。ほとんど鼻母音を使っていないように聞こえます。
それでハタと思ったんです。
そうか、こういうふうに英語ふうに歌えば、フランス語もキレがよくなってリズム感も出せるのかと。

考えれば日本語だって、フランス語とはまた別な意味でリズムに乗せにくい言語で、
はっぴいえんどの頃から試行錯誤の末、
洋楽ライクな日本語独自の発声法を獲得してきたんですもんね。
ワールド・カップのTV放送で最近やたらと耳にする、Superfly のヴォーカルの歌いっぷりなんて、
いやー、日本語の発声もここまで来たかと、おじさんには感慨深く思うものがありますからねえ。

このアルバムではフランス語の曲が8曲ありますけれど、英語の6曲とまるで違和感がありません。
こういう発声法って、フランス版桑田佳祐みたいなものなのかなあ。
ネイティヴの人のご意見をうかがいたいです。
ぼくが抵抗なく聴けるフランス語歌いでいえば、レ・ネグレス・ヴェルトのエルノ以来です。

Ben L’oncle Soul "BEN L’ONCLE SOUL" Motown 532745-7 (2010)
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天国からの贈り物 ボビー・チャールズ

Timeless.jpg

1曲目の昔と変わらぬ鼻唄を聴いたとたん、胸がいっぱいになりました。
ボビーが今年の1月に亡くなった時、お悔やみの記事を書けず、後悔が残っていただけに、
こんなすばらしいアルバムを最後に残してくれたことに、
言葉にならない感動を覚えています。

ボビー・チャールズを知ったのは、多くのファン同様、あの名作ベアズヴィル盤がきっかけでした。
高校二年の時、このアルバムをクラスメイトからはじめて聴かせてもらった時のことは、
今でも鮮やかな記憶として残っています。
もそもそとしたボビーの脱力ヴォーカルに、ザ・バンドの面々や
エイモス・ギャレット、ドクター・ジョンら名手たちがバックアップしたしなやかな演奏は、
このレコーディングの時だけに起きた、マジカルな瞬間だったのではないでしょうか。
このアルバムを聴き返すたび、なぜこんな歌と演奏がなし得たのか、
まさしく奇跡のようなレコーディングだったと感じ入らずにはおれません。
同じメンバーを揃えたとて、再現不可能だったとしか思えてならないのです。

愛犬に鼻を舐められ、スイカにかぶりつくジャケットの写真を見るだけでも、
そんじょそこらの若いシンガー・ソングライターにはマネのできない韜晦味を感じずにはおれません。
ずいぶん後になって、ボビーがチェスやインペリアル、ジュウェルといった黒人レーベルに
レコーディングを残していたことを知った時は、意外というよりも、
むしろそれだけのキャリアがなければ、単なる新人のデビュー作で、
あのベアズヴィル盤の芳醇な味わいと円熟味が出せるはずがないと、納得したものでした。

そのベアズヴィル盤でも歌っていたファッツ・ドミノへの提供曲
“Grow Too Old”を再演していたのには、思わずぐっときてしまいました。
(本作でのタイトルは“Before I Grow Too Old”となっています)
「急がなきゃ 年老いてしまう前に 世界中だって旅して回ろう
そして出会うすべてのカワイ子ちゃんにキスしよう」
70歳を過ぎてこの曲を歌ったボビーの胸中は、どんなものだったんでしょうか。
またボビーは、自分の死期を予感していたのか、“You'll Always Live Inside Of Me”で、
「ぼくが死んで天国に行こうとも、ぼくは君の中にいるよ」と歌っています。

ぼくもこの世とおさらばするまで、ボビーが心の中にいてくれていることを忘れません。
どうかやすらかに、ボビー。

Bobby Charles "TIMELESS" Rice ‘n’ Gravy RIC517 (2010)
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ブラック・ホークの選んだ99枚のレコード ロニー・ナイト

Lonnie Knight.jpg

いまや伝説ともなった渋谷百軒店のロック喫茶、ブラック・ホーク。
70年代当時、ブラック・ホークへは2~3度くらいしか行ったことがありませんが、
お店が出していたミニコミ誌『スモール・タウン・トーク』は、ずっと愛読していました。

しかしその『スモール・タウン・トーク』も、もう手元には一冊も残っていません。
20代半ば、音楽雑誌があまりにも増えすぎて保管場所に困り、
雑誌ごとに保管するか処分するかを決め、『スモール・タウン・トーク』は全部処分してしまいました。
ただその時、「ブラック・ホークの選んだ99枚のレコード」というオレンジ色の表紙の号だけは、
取って置こうかどうか、しばし逡巡した覚えがあります。
結局、やっぱりいいやとばかりに処分してしまったんですけど、
それはどこか、シンガー・ソングライター系音楽と決別したいという気持ちの表れでもありました。

ぼくは少年期にロックの洗礼をほとんど受けなかったとはいえ、
ザ・バンド、ランディ・ニューマン、ライ・クーダーといった、
円熟味を感じさせるロックには心を躍らせていました。
シンガー・ソングライター系の音楽もけっこう聴いていましたが、
エリック・アンダースンとかジャクソン・ブラウンなどの
<青春の光と影>ぽい人はほとんどダメだったりと、ひどく好みが偏っていました。
むしろ当時はブルースやソウルなどブラック・ミュージックの方が好きで、
ブラック・ホークへは数回しか行かなかったのと対照的に、
下北沢にあったブルース喫茶ゼムへは、高校時代入りびたってたものです。
まあ、やっぱり自分の好みは、黒人系だったんでしょうね。

80年代になると、北米黒人音楽から世界の非白人音楽へと本格的に興味が広がり、
アメリカのナイーヴなシンガー・ソングライターなんぞ、
ヌルくって聴いちゃらんない、てな気分にどんどんとなっていきました。
その後は、むしろブラック・ホーク的な音楽を避けていたようにも思います。
とくにCD時代になってから、新しい音楽を追いかけるのに疲れた同世代の友人たちが、
CD化された70年代のアルバムを喜々として買っているのを横目に見ては、
「音楽を懐古で聴くなよ」とつぶやいていたものでした。
音楽をどう聞こうが人の勝手なわけですけど、感受性が衰え、
新しい時代の音楽にキャッチアップできなくなることを、どこかで恐れていたんだと思います。

そんな潮目が変わり出したと感じ始めたのは、21世紀に入ったころでしょうか。
ダン・ヒックスが復帰し、アクースティック・スウィング周辺が賑やかとなり、
ジョー・ヘンリーが“SCAR”を出した01年の頃です。
潮目が変わったのは、自分なのか、アメリカ社会の方なのか。
どうやらその両方のような気がしました。

そしてアメリカのシンガー・ソングライター系音楽に、時代の息吹が戻ってきたというか、
はっきりと現代のリアリティーを感じるようになったのが08年。
きっかけは、ランディ・ニューマンの“HARPS AND ANGELS” と、
ラリー・ジョン・ウィルソンの“LARRY JON WILSON”の2枚でした。

これはあくまでもぼくの個人的な感慨にすぎませんが、
あれほど長くブラック・ホークの音楽を遠ざけていた理由は、
その音楽が自分たち70年代世代のダメさというか、ひ弱さみたいなものと、
ベッタリ背中合わせになっているような気がしてならなかったからでした。

70年代当時、ぼくの世代は「シラケ世代」と呼ばれていました。
ぼく自身シラけていたという自覚はありませんでしたが、
確かに自分たちの上の全共闘世代とは違い、熱く社会とコミットすることもなく、
ノンポリのふわふわ浮ついた世代だったことは否定しがたく、
なんクリ世代(「なんとなくクリスタル」)と言われてもしかたありませんでした。
シンガー・ソングライター系の音楽には、
そんな自分たち世代の虚弱さが、モロに露呈しているように思えてならなかったのです。

そんなせいで、十年以上すぎても当時のシンガー・ソングライター系音楽を
懐かしがって聴くような気分には、とてもなれなかったんですね。
しかし、さすがに三十年も経ると、矮小な自分との折り合いのつけ方もいい加減覚えるというか、
現在の音楽と同等に向き合える気持ちのゆとりができたように思います。
そんな頃、「ブラック・ホークの選んだ99枚のレコード」の1枚と再会することができました。

それがこのミネアポリスのシンガー・ソングライター、ロニー・ナイトの75年作です。
ヴォーカルにやや少年ぽさの残るシンガーだったような記憶があったので、
今聴き直すと気恥ずかしいかと思いましたが、そんなことはありませんでした。
カナダのシンガー・ソングライターに通じるソング・ライティングの才能がある人で、
初期のブルース・コバーンとも共通する硬質のギター・サウンドに、魅力がありました。

それにしても、まさかアメリカのシンガー・ソングライター系音楽が、
韓国で紙ジャケCD化されるなんて、昔は想像さえしませんでしたけど。

Lonnie Knight "SONG FOR A CITY MOUSE" Big Pink no number (1975)
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敬遠しがちなトルコのポップス ネスリハン・デミルタシュ

Neslihan Demirtas.jpg

最近トルコのポップスって、聴いてないなー。
ネスリハン・デミルタシュという新人女性歌手のアルバムを手にして、いまさらながら気付きました。

サズなどの弦楽器の響きを活かしたハルクやアラベスクだと手も伸びるんだけど、
どうもトルコのポップスは重厚長大というか、
大仰なアレンジにヘキエキとさせられるものが多くって…。
セゼン・アクスの頃から変わらないですよね。良く言えばドラマティックってことなんでしょうけど、
<さりげなさ>なんぞクソクラエってなプロダクションは、正直シンドいです。
やっぱトルコは古典の方がいいなあと、アーカイヴものに現実逃避しがちになるんですが、
たまには最近のものも聴きたい、そう思って買ったのがこの人でした。

で、良かったです。
ハスキー・ヴォイスで、歌唱力も確かな実力派さんでした。
全体にはアクースティックな音作りで、
ジャコ・パストリアスふうのベースが活躍するフュージョン・タッチの演奏もなかなかカッコよく、
ネスハリンの情感のある歌がよく映えます。
アダっぽい歌い方に姉御肌を感じさせる人で、
大きく歌い上げても大仰にならないところが好感度高し。
自作曲のほか、セゼン・アクスの曲やアジダ・ペッカンのレパートリーも取り上げています。
今の季節じゃなくって、もっと寒い頃に出会いたかったアルバムではありましたが。

Neslihan Demirtaş "HERŞEYE RAĞMEN" DMC no number (2009)
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ブルガリアのエスノ歌謡チャルガの歌姫 ライナ

Raina.jpg

あれ、ライナって、こんなに良かったっけか。
02年のデビュー作“GASNE PRAMAK” を買ったけど、それほど印象に残っていなかったので、
この07年の最新作にはびっくりというか、見くびっていたことをちょっぴり反省。

ライナ(本名ライナ・キリロヴァ・テルジースカ)は、
ブルガリア南西部の街サンダンスキ出身のポップス・シンガーで、
チャルガと呼ばれる、ロマの音楽やトルコ音楽の影響を強く受けた歌謡ポップスを歌っています。
ロマやトルコ人を嫌うブルガリアのインテリ層からは、露骨に毛嫌いされているチャルガですが、
インドネシアのダンドゥット同様ポップス度を高め、徐々に偏見も薄まっているとのこと。
ライナが所属するチャルガを代表するレーベル、パイネルのアルバムを見ても、
そのジャケット・デザインは、ブルガリアの普通のポップスと区別がつきません。

でも音楽の方はチャルガらしさを失っておらず、エスノ歌謡路線まっしぐら。
バルカンらしいアコーディオンとクラリネットをフィーチャーしたダンス・チューンでは腰が浮き立ち、
ギリシャの島唄ニシオーティカのような地中海の潮の香りのする曲にはしんみりさせられたりと、
生音重視のエスノ歌謡で占めた全15曲、よくプロデュースされています。

5曲目の超絶テクのクラリネットとアコーディオンがたっぷりとソロを交歓するあたりが、
最高の聴きどころでしょうか。ひさしぶりに聴いたチャルガの傑作盤でした。

Raina "MAJKO, EDBA SI NA SVETA" Payner Music PNR27091169-714 (2007)
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日本のジャズ・コーラスの元祖 中野忠晴

中野忠晴.jpg

中野忠晴は、これまでも『日本のジャズ・ソング』や『服部良一 僕の音楽人生』などで
聴いてきたつもりでしたけど、ぜんぜんこの人の偉業がわかってませんでしたね。
今回CD2枚に集大成された『中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ』で、
ジャズ・コーラス・グループの草分け、中野忠晴の先見性をはじめて実感できました。

日本のジャズ・コーラスの名曲といわれる「山寺の和尚さん」も、
<服部良一の編曲>という括りで紹介されることが多く、
ジャズ・コーラスをはじめて前面にフィーチャーした中野忠晴への評価は、
低かったような気がします。

今回の復刻では、全46曲中半数にあたる23曲が、初CD化音源となっていますが、
なかでもドギモを抜かれたのが、1937(昭和12)年11月に発売された「皇軍万歳」。
タイトルどおり、軍国主義丸出しの歌詞なんですが、
作曲したのは、なんとハワイの作曲家ジョニー・ノーブル。
「フラワー・レイ」「フラ・ブルース」などを書いた、あのジョニー・ノーブルですよ。

ハパ・ハオレ、いわゆる通俗ハワイアンをたくさん書いたジョニーですが、
こんな曲を書いていたとは、オドロキです。
本人、こんな歌詞がついているのを、知ってたんでしょうか。
もしジョニーの曲に勝手に歌詞を付けたのだとしたら、ヒドいもんですが。
この4年後には、ジョニーのいるハワイが日本に奇襲攻撃されるんですからねえ。

アレンジがこれまた奇っ怪で、軍歌調のオーケストラ演奏に前後サンドイッチされて、
ジャイヴ・コーラスがハワイアン風な演奏にのって歌われています。
歌詞は帝国日本軍礼賛の内容でも、音楽はまるで軍をおちょくってるかのよう。
この曲が世に出た昭和12年って、どんな年だっけと調べてみたら、
盧溝橋事件で日華事変が勃発し、大本営令が公布され、
軍国主義的な統制がまさに加速されていた年でした。

中野忠晴のジャズ・コーラスは、戦争の機運が高まる34年に始まり、
日米開戦によってジャズが敵性音楽として排除される41年までの、ごく短い歴史で幕を閉じます。
ジャズ・ソングを自由に歌えるようになった戦後に、中野は歌手を廃業してしまったことも、
長きに渡って、戦前日本のジャズ・コーラスの存在が忘れられた理由のひとつだったのでしょう。

中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ  「中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ」 コロムビア COCP36178-79
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21世紀のKSA キング・サニー・アデ

King Sunny Ade_Morning Joy.JPG

「サニー・アデって、今どうしてんの?」
ここ5~6年、こんな質問をいったい何回受けたことやら。
そのたびに「いまでもナイジェリアで新作を出してますよ。」と答えるんですが、
「あ、そーなんですか。ふーん。」と、これまたいつも反応がニブいというか、冷たいんですよねえ。

こういう質問をする人は、アデが80年代の半ば、イギリスのアイランドからアルバムをリリースし、
インターナショナルに活動していた頃のことを、よーく知っているわけです。
したがってその質問には、かつてのような華々しい活躍への期待が暗に込められているから、
本国ナイジェリアでドメスティックな活動しかしていないことに、期待はずれ感を持つのでしょう。

でもぼくは、アデが国際舞台から身を引いて、良かったと思っています。
アイランドの連中は、ナイジェリアのジュジュを第2のレゲエに仕立てて、
ひと山当てようとたくらんでたんでしょうが、
結果、そうならなかったことは、ジュジュにとって幸いでした。
欧米マーケットに引きずり出されて、おもちゃにされたあげく、ポイされるより、
国内のシーンで切磋琢磨して、音楽を熟成させることのほうが、なんぼか大事でしょう。
じっさいジュジュはその後、フジと競い合って、ちゃんと進化していきましたから。

サニー・アデについていえば、90年代に入り後輩のシナ・ピーターズに水をあけられていました。
アデもシナ・ピーターズのアフロ・ジュジュ路線に対抗すべく、急速調なジュジュを展開しましたが、
21世紀に入ってからリリースしているアルバムを聴くと、時代の流行を追うのをやめ、
ヴェテランらしい味わいで勝負しようとしているようです。

今年の春に出たばかりの新作“MORNING JOY” では、
アデの黄金期だった80年代サウンドが蘇っていて、嬉しくなりました。
現在のジュジュ・シーンで流行となっているサックスは使っておらず、鍵盤系の出番も控えめ。
複数台のギターとスティール・ギターを中心に、雄弁なトーキング・ドラムと絡ませるアンサンブルは、
80年代のリッチなジュジュそのものです。
ファンにはおなじみ、アデのトレードマークのギター・フレーズも飛び出しますよ。

シナ・ピーターズの流行以降、フジのようなドスの効いたヴォーカルが、
ジュジュでも主流となりましたが、アデのヴォーカルやコーラスのソフトな歌い口は昔のまま。
羽布団のような心地よさで、天国へ行けます。
流行とは一線を画した、オールド・スクールなジュジュ。ぼくは支持します。

King Sunny Ade "MORNING JOY" Master Disc no number (2010)
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緑の鳥 セシリア・トッド

CANCIONES DE HENRY MARTÍNEZ.jpg

前々回、ロリータ・クエバスの話題で、「小学校の音楽の先生みたいな」と書いて、
ベネズエラのセシリア・トッドの軽やかな美声を連想しました。
セシリアが歌うのは、NHKの「みんなのうた」ぽい、子供からお年寄りまで愛される国民歌謡です。

ベネズエラの伝承歌を翻案した歌を歌い続けてきたセシリアの最高傑作といえば、
2000年にビゴー財団からリリースされた『ヘンリー・マルティネス作品集』でしょう。
ジャーノのホローポやトナーダ、カラカスのメレンゲ、スリアのガイタ、アンデスのバンブーコ、
オリエンテのマラゲーニャやポロなどなど、ベネズエラ各地の伝統形式を借りて、
現代的な感性で詩的世界を紡ぎ出すヘンリー・マルティネスの作品は、
セシリア・トッドと最高の相性を示しています。

民謡調の曲の合間に挟まれた、コンテンポラリー感覚のメランコリックな曲も、
これまた格別の美しさ。
歌詞の一語一語を噛みしめるように発声するセシリアの丁寧な歌唱と
ディクションの正確さに、ほれぼれとするばかりです。
クアトロやマンドリンなどの弦楽器に、フルートほかの管楽器を組み合わせた伴奏も、
セシリアの歌唱をみずみずしく引き立てていて、申し分ありません。

セシリアほどメロディーを一切崩さずに歌う人は、ちょっと珍しいんじゃないでしょうか。
ストレートに歌を歌うってことは、ある意味、歌手にとっては挑戦的なことですよね。
まったくごまかしは利かず、歌手の力量が丸裸にされてしまうからです。
<きれいなメロディーをきれいに歌う>というのも、これまた難しいことで、
<きれいに歌えている自分に酔っているような歌>になったりもしがちなんですが、
セシリアの歌には、なんのてらいもければ、気取りも感じられません。
自分の歌唱力をひけらかすような素振りとも、もちろん無縁です。
余計な邪心を持たず、正面から歌を歌うことだけに心を砕くところに、
ぼくはセシリアの歌手としてのスケールの大きさを感じます。

PAJARILLO VERDE.jpg    Uma Sola Vida Tengo.jpg

セシリアは、2003年10月にベネズエラ大使館が招聘したコンサートで来日しましたが、
生で聴いた彼女の歌声はCD以上に軽やかで、
風にのって舞うように飛ぶ「緑の鳥」そのものでした。
あ、「緑の鳥(Pajarillo Verde)」というのは、
セシリアの74年デビュー作のタイトル曲ともなった曲で、
彼女の代表曲ともなったベネズエラの伝承歌です。
デビュー作では、セシリアのクアトロ弾き語りに、
ギター、ベース、マラカスが加わったシンプルな伴奏で素朴に歌っていましたが、
再演した93年の"UNA SOLA VIDA TENGO"ではすっかり円熟し、
軽みのある喉で歌っていました。

現在のラテン界を見渡しても、これほど清廉な歌声が聴けるのは、
セシリア・トッドだけではないでしょうか。

Cecilia Todd "CANCIONES DE HENRY MARTÍNEZ" Fundación Bigott FD2662000853 (2000)
Cecilia Todd "PAJARILLO VERDE" Acqua AQ003 (1974)
Cecilia Todd "UNA SOLA VIDA TENGO" Acqua AQ018 (1993)
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グルーヴ・マスター・オヴ・ラテン・ソウル ジョー・バターン

Subway Joe.JPG

あぁ♡ カラダが、カラダが悦んでる…。
足が自然とステップを踏んで、気持ちよく踊らせてくれた至福の一夜でした。
残り火のようなカラダの火照りが、し・あ・わ・せ♡
なんかオネエ言葉で、変なことになってますが、見逃してやってください。
それほど幸福な100分だったんです。

まさかジョー・バターンを日本で観れる日がこようとは。
夢みたいな気分で会場に駆けつけた大勢のお客さんが、フロアを埋めつくしていました。
ジョーを観れるだけで十分。歌ってくれるだけで十分。白状してしまうとそんな思いの方が強く、
正直、こんなにすばらしいステージングをしてくれるとは、期待していませんでした。

ところが、どーです、この見事なグルーヴ・マスターぶりは。
真っ赤なスーツと真っ赤なハンチング姿で登場すると、
ライヴ開始早々、あっという間に観客のハートをわしづかみにしてしまいましたからね。
苦労を重ねてきたことが偲ばれるがらがら声も、歳に見合った枯れ方をしていたし、
ムダな贅肉のついていない体つきや腕っぷしの太さが、
バリオで生き抜いてきたタフな人生を物語っているようでした。

そしてバンドがまた、ほんっと!最高でした。
ジョーのハウス・バンドを連れてくるより、格段に良かったんじゃないでしょうか。
いや、じっさいのところはどうだか知りませんよ。
だけど、ウィリー・ナガサキをはじめとする日本人ミュージシャンの優秀さは抜きん出ていて、
本場ものをぜったい凌いでいたと思います。
メンバーと目で合図しあうジョーも、本当に嬉しそうだったもんねー。

そしてさらに、集まったお客さんも良かったじゃないですか。
六本木あたりのサルサ・クラブに通うお姉さまたちでいっぱいかと思ったら、
ローライダー系・ちょっとコワモテ兄貴風な皆様も大挙集結で、気分も大盛り上がり。
ジョーのライヴなんだから、こーじゃなくっちゃ。
オシャレなオネーちゃんばっかりじゃ、シラけちまいますよ。

ジョーとバンドとお客さんの三拍子が揃い、フロアが温かなクラーベで揺れて、
アンコールの“Gypsy Woman”まで、ここちよい汗をかくことができました。
ライヴに向かう前までは、スタンディングかー、
もう歳だしツライなあ、なんて言ってたのに、現金なものです。
「また来週から、お仕事がんばろっ♪」と、気分はすっかりごきげんさん。
サンキュー、ジョー!

Joe Bataan "SUBWAY JOE" Fania SLP345 (1969)
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ハイチ古謡を歌う ロリータ・クエバス

Lolita Cuevas_FP811.JPG Lolita Cuevas_FP811_Liner Notes.JPG Lolita Cuevas_FW6811.JPG

先月のハイチ応援イヴェントのレコード・コンサートで、
古いシャンソン・クレオールを1曲かけたいので、
なにかレコードを持ってきてとの北中正和さんからのご依頼に、
すぐに思い立ったのがロリータ・クエバスのフォークウェイズ盤。

フォークウェイズの10インチ盤の新品がまだぎりぎり買えた70年代半ば、
ジャマイカのルイーズ・ベネットの10インチ盤とともによく聴いた、ぼくの長年の愛聴盤です。
だいぶあとになってからのことですが、オリジナル盤(写真左)を見つけた時は嬉しかったなあ。
スミソニアン・フォークウェイズからカスタムCD-Rで出ているジャケットも、
最初にぼくが買ったジャケットの方が使われているので、このオリジナル盤はちょっと珍しいかも。
ちょっと自慢したくなって、ライナーノーツまで見せびらかしたりして。えへ。

で、このアルバム、『ハイチ民謡集』は、ちょっとタイトルに偽りありで、
じっさいは、作曲家の名も知られているハイチの古謡を集めたものです。
クラシック出身のギタリスト、フランツ・ケソーの洗練されたアレンジで、
ロリータ・クエバスが麗しい美声を響かせます。
レコード・コンサートでは、1曲目の“Haiti” をかけました。
サロン・メラングという形式名のある、穏やかな甘さにあふれたスロー・ナンバーです。
ほかにもハイチ古謡として有名な“Choucounne” “Angelique, O” のほか、
農民のワークソングであるコンビットをアレンジした曲も歌っています。

ロリータ・クエバスはプエルト・リコ人両親のもと、プエルト・リコのマヤゲスに生まれましたが、
2歳の時、両親とともにハイチへ渡り、ハイチ文化のなかで育ちます。
幼い頃から歌が上手だった彼女は、15歳で初のコンサートをポルトープランスで開き、
その後プロの歌手となって、ラジオやナイトクラブで活躍、
ベネズエラ、メキシコ、マルチニック、プエルト・リコにも活動の場を広げたそうです。

彼女の端正な歌声は、どこか小学校の音楽の先生を思わせるところがありますね。
ジュリー・アンドリュースが演じた「サウンド・オヴ・ミュージック」の家庭教師、マリアみたいな。
蓄音機時代を思わせる古雅な歌声は、NHKの「みんなのうた」で流れても似合いそうです。

[10インチ] Lolita Cuevas "HAITIAN FOLK SONGS" Folkways FP811 (1953)
[ライナー・ノーツ] 同上
[10インチ] Lolita Cuevas "HAITIAN FOLK SONGS" Folkways FW6811 (1953)

【訂正とおわび】ハイチ応援イヴェント「ハイチの音を聴く ハイチの声を聞く ハイチの光を見る」
で配布した「ハイチ音楽名盤40選」のチラシの中で、
ロリータ・クエバスのレコード番号と発表年にまちがいがありました。正しくは上記のとおりです。
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エドゥアルド・ベタンクール&ルイス・ピノ@草月ホール

Eduardo Betancourt.JPG    Luis Pino.jpg

ベネズエラからやってきた若手アルパ奏者エドゥアルド・ベタンクールと、
クアトロ奏者ルイス・ピノのデュオ。
ここ十年くらい、ベネズエラ伝統音楽の音楽家がコンスタントに来日してくれていて、
ベネズエラ音楽ファンとしては嬉しい限りであります。

おとといのコンサートは、日本のアルパ演奏家ルシア塩満さんの企画で行われたもの。
なんでもルシアさんが、3年前のパラグァイのアスンシオンで開かれた
第1回世界アルパ・フェスティバルに日本代表で出演したさい、
ベネズエラ代表で参加していたエドゥアルドのプレイを聞いて感激し、
日本に呼びたいと思っていたのだそう。

ルシアさんを感激させたエドゥアルドのテクニック、いやー、スゴかったです。
アルパ・ジャネーラの奏法を革新したカルロス・オロスコも顔負けの、
機関銃フレーズを駆使した即興演奏は、ほとんどジャズのインプロビゼーションでしたね。
曲のサイズが短めで、実力の半分も出してなさそうな、余裕を残しまくった演奏ぶりでしたけど、
それであの華麗なテクニック。本気出したら、どんだけなんでしょ。
もちろんテクニックばかりでなく、ベネズエラのアルパ・ジャネーラならではの力強い指さばきも強力。
ハープでビートやノリを生み出すのは難しいなんて常識は、ベネズエラのハープには通用しない。
ポリリズムとシンコペーションがせめぎ合って、リズムばきばきでしたね。

ルイス・ピノは天才クアトロ奏者チェオ・ウルタードの弟子だったそうで、
アンサンブル・グルフィーオでチェオの代役も務めているとの前評判に、
さぞチェオ直伝の離れ業を見せつけるかと思ったら、プレイは案外地味なもの。
チェオ譲りのリズム・カッティングでエドゥアルドをもっと挑発したら、
すごいインプロビザーションの応酬が聞けたのではと、想像を膨らましてしまいましたが、
それはまた今後のお楽しみということで。

会場で売っていた二人のソロ・アルバムを買ってきましたが、
エドゥアルドのアルバムはアンサンブル重視で、テクニックは抑え目。
スタジオで一気に録ったかのような内容なのに対し、
ルイスのアルバムは1曲ごとアレンジを凝らし、
クアトロの華麗なるテクニックを駆使した内容となっています。
コンサートとはまるで逆なのは、意外でしたね。

ルイスのアルバムには、ゲストにベネズエラ歌謡最高の女性歌手セシリア・トッドや、
ヴェテラン・コーラス・グループのセレナータ・グアヤネサのほか、
バンドーラ奏者イスマエル・ケラレス、クラリネット奏者アンドレ・バリオ、
フルート奏者ルイス・フリオ・トロなどの名手たちも華を添えています。
装丁も凝っていて、丁寧に作られた気持ちのいいアルバムです。

ところで余談になりますが、アンサンブル・グルフィーオの新作、
なんとアミルトン・ジ・オランダとの共演だって知ってました?
まだぼくは手に入れていないんですけど、届くのが楽しみです。

Eduardo Betancourt Y Su Grupo Tolvaneras "MELODÍAS DEL RECUERDO" no label FD2522005224
Luis Pino "A LOS CUARTO VIENTOS" Cargill FD2522009864 (2009)
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いまなおリアルな南アのクワイト

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Mujava.JPG Mgo.JPG DJ Fresca & Kudoskelem.JPG

ドイツのアウト・ヒアからリリースされた南アの最新クワイトのコンピレーション、
“AYOBANESS!” が大評判のようです。日本でもライスからリリースされ、
ミュージック・マガジン最新号では、なんと10点を獲得していました。

コンピレが好きじゃないうえ、現地盤を優先させるクセが直らないもので、
スルーしてたんですが、10点と聞いては心穏やかではおれません。
あわてて収録曲をチェックしてみたところ、
半分はすでに持っていたアルバムの中に入ってたので、ちょっとホッとしたりして。
あらためて収録曲を聴いてみると、キラー・トラック揃いで、
“AYOBANESS!” の選曲は、美味しいとこどりといえそうです。

上に並べたのが、その“AYOBANESS!” に収録されていた元ネタ・アルバム。
ヨハネスブルグやダーバンのゲットー・ディスコを沸かせている、
現在のクワイト・シーンを飾る連中が勢揃いしています。

ハウスを核にヒップホップやラガをミクスチャーしたクワイトが誕生して、はや15年。
アメリカのヒップホップやジャマイカのダンスホールがとっくに失ってしまった、
ストリート感覚のナマナマしさを持ち続けているところが、クワイト最大の魅力です。

ぼくはラップやヒップホップは苦手なんですけど、
クワイトにはすごく引きつけられます。
クワイトのアシッドなファンク・サウンドには、
厳しい現実で直面する絶望と諦観を、ダンスで浄化しようとする感覚をおぼえます。
それが哀感のあるハウスの四つ打ちと見事にシンクロして、
自己を突き放して踊るような刹那さとも繋がっていてるように思えてならないのです。
もちろんそれは、南アの若者たちにとって抜き差しならない失業問題や、
犯罪と深く関わっていることは間違いありませんが、
そこにこそ、この音楽にリアルな質感を失わない理由があるといえます。

Shana "IYO LONDABA” Universal CDRBL357 (2006)
L’vovo Derrango "L’VOVO DERRANGO” CCP CDCCP(WB)1341
DJ Cleo "ES’KHALENI UNIT 5” Will of Steel Productions CDWOS008 (2008)
Mujava "SGUBHU SA PITORI 3" Sheer Music SHCD106 (2008)
Mgo "NGINAWE” Outrageous CDRAGE(WCPB)018 (2009)
DJ Fresca & Kudoskelem "URBAN TONE SOUNDS SESSION 1” Shelter SHELT006 (2009)
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