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サミュエル・オボットとウフルー・ダンス・バンド【後編】

Uhuru Dance Band KWADWO DONKOH PRESENTS.JPG   Uhuru Dance Band  Freedom Tour in UK.JPG

第二期のウフルー・ダンス・バンドの録音では、70年代録音の2作がCD化されていますが、
この時代らしくアメリカのソウルやファンクの影響を受けたサウンドで、
60年代のビッグ・バンド・サウンドとはまた表情の異なる演奏が聞けます。
アーシーな音色のオルガンに、どっしりとしたリズム・セクション、
重量感のあるホーン・アンサンブルによるソウルフルなサウンドを爆発させていて、
う~ん、カッコいい。この時代のハイライフは、もっともっと聞かれてほしいですねえ。

Flash Domincii.JPG

一方、ウフルーを脱退したサミュエル・オボットはイギリスへ向かい、
ナイジェリア人移民のミュージシャンたちと合流して演奏活動をしていました。
ロック感覚のあるハイライフ・サウンドで評判をよんだ
ヨルバ人シンガーのフラッシュ・ドミンチのバンドに加わり、
彼の代表作である67年の“THE GREAT & EXPENSIVE SOUND OF THE SUPERSONICS” にも、
サミュエルの名が残っています。裏ジャケットにはサミュエルの写真も載っていますよ。

Matata  Feelin' Funky.JPG

ロンドンのハイライフ・シーンは70年代のアフロ・ロック・シーンへと繋がり、
サミュエルはアフロ・ロック・バンドのマタタに参加します。
マタタはケニヤなどの東アフリカ出身者によりイギリスで結成されたバンドで、
72年にシングル1枚を出した後、大量のメンバーがホームシックでアフリカへ帰国してしまい、
メンバーを一新してアルバムを制作したのがこの74年のアルバムです。
ジェイムズ・ブラウンのソウルをまんまコピーしたようなバンドで、
ホーン・セクションにはサミュエルのほか、
ドゥドゥ・プクワナとモンゲジ・フェザという南ア出身の超一級のメンバーも擁していました。

その後、70年代のいつ頃かは不明ですが、サミュエルは故国ナイジェリアへ帰国し、
85年にゆいいつのソロ・アルバム“I BELIEVE IN MUSIC” をSammy Obot 名義で出しています。
ブレイクビーツのネタ使いにしかなりそうにない、凡庸なディスコ・アルバムですが、
キャリアの最後まで現場の最前線を走り続けた、
サミュエルらしいアルバムだったといえるかもしれません。

Uhuru Dance Band "KWADWO DONKOH PRESENTS PROFESSIONAL UHURU DANCE BAND" Agoro no number
Professional Uhuru Dance Band "FREEDOM TOUR IN U.K." Tropic Vibe Productions TVPCD999010
Flash Domincii and The Supersonics "THE GREAT & EXPENSIVE SOUND OF THE SUPERSONICS" Thomas Organization FMTOPCD002 (1967)
Matata "FEELIN’ FUNKY" President PCOM1134 (1974)
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