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レユニオンのローカル・ダンス・ミュージック ベフ・セガ

Bèf Séga  POU TWÉ.jpg

レユニオンというと、いまではすっかりマロヤの方が有名になっていますけど、
もともとはセガが盛んだった土地柄。
セガは、レユニオンばかりでなく、モーリシャスやロドリゲス、セーシェルなど、
マスカリン諸島からセーシェル諸島、チャゴス諸島に広く伝わる、
奴隷として渡ったアフリカ系住民が産み落としたダンス音楽です。

レユニオンではシャンソン・クレオールと結びついて、早くから歌謡化し、
戦後になると、観光開発にともなって、ヨーロッパからやってくる客を目当てにした、
カラフルな民族衣装を着た女性たちのダンスで有名になりました。
音楽の方もあまりに観光化されすぎて、LPやCDはつまらないものが多く、
地元民が楽しむ歌謡セガの美味しいところは、
EP盤でないと聴けないという時代が、長く続いたんですよね。

いまではタカンバが復刻したCDで、
往年の歌謡セガのヴィンテージ録音も容易に聞けるようになりましたけれども、
いま現在、地元でどんなセガが聞かれているのかというと、
とんと伝わってくるものがなくて、マロヤ再評価の影に隠れてしまった感があります。

今回入手したベフ・セガは、サン=ピエールを拠点に活動しているグループとのことで、
プロダクションは、はっきりいって地元仕様のチープさは免れません。
とはいえ、90年代主流だった打ち込みとシンセで組み立てられたサウンドではなく、
生のドラムス、手弾きのベースで、打ち込みで代用していないところは好感が持てます。
ギターやピアノも、アクースティックとエレクトリックを効果的に使い分け、
トランペットも加わり、ユーモラスな雰囲気を盛り立てています。

お気楽な軽いタッチのノリのセガばかりでなく、
パーカッション・アンサンブルを前面に立てた
アフロ色濃厚なマロヤもやっていて、演奏力は確かなグループですね。
プロデューサーに恵まれれば、もっといい作品も作れそうです。
マロヤばかりでなく、セガも、インターナショナルに飛び出して欲しいな。

Bèf Séga "POU TWÉ" Arts Et Vivre AAV001 (2010)
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コンテンポラリー・ガウーショ アレサンドロ・クラメル

Alessandro Kramer Quarteto.jpg

ブラジルの若手アコーディオン奏者の新作。

お店のコメントに、
「これまでのアコーディオン・ショーロの概念を打ち破る意欲作」とあるので、
期待して買ってみたら、期待とはだいぶ違っちゃいましたけど、好アルバムでした。

期待と違ったのは、そもそも本作は、ショーロ・アルバムではないこと。
アレサンドロ・クラメル自身、ショーロのミュージシャンではなく、
ショーロうんぬんのコメントをするのは、
このアルバムには適切じゃないし、誤解のもとだと思いますね。

ベベー・クラメルの愛称を持つというアレサンドロ・クラメルは、
南部リオ・デ・グランデ・ド・スル州ヴァカリア出身のアコーディオン奏者。
出身から察せられるように、アレサンドロはガウーショ(牧童)を自認していて、
19世紀末にイタリア移民によってもたらされた、
アコーディオン音楽が根付いた南部地方の音楽をルーツとする人です。
というわけで、アレサンドロはショーロの音楽家ではないんですね。

ブラジルのアコーディオンは、一般的にサンフォーナと呼ばれますけれど、
それは北東部のアコーディオンを指していて、
南部のガウーショたちが弾くアコーディオンは、ガイタと呼ばれます。
「サンフォーナとガイタはまったく別の楽器だ」と、
ギタリストのマルコ・ペレイラが本作のライナーで強調しているのは、
奏法や音楽性が別物だと言うことですね。

Renato Borghetti  PENSA QUE BERIMBAU É GAITA.jpg

現在リオで活躍するアレサンドロは、南部の音楽をベースに、
ショーロ、サンバ、北東部音楽、ジャズ、クラシックなど多様な音楽を吸収した
音楽性を発揮し、本作でもそれを聴き取ることができます。
古くからのブラジル音楽ファンなら、
レナート・ボルゲッチを思い起こす人もいるんじゃないでしょうか。
そう、アレサンドロは、レナートの後進にあたるガイタ奏者なわけですね。

アレサンドロは、ヤマンドゥ・コスタやガブリエル・グロッシなどと共演、
ヨーロッパなどにもツアーするなどのキャリアを積んでいるそうです。
本作は、売れっ子ベーシストのグート・ヴィルチ、
先日ニーナ・ヴィルチとの共演作を出したばかりのバンドリンのルイス・バルセロス、
7弦ギターのセルジオ・ヴァルデオスと演奏しています。
アレサンドロの自作曲は、
ガウーショらしいのどかさに現代性がミックスされた洒落た感覚があって、
コンテンポラリー・フォルクローレが好まれる現代によくマッチします。

Alessandro Kramer Quarteto "ALESSANDRO KRAMER QUARTETO" Borandá BA0031 (2017)
Renato Borghetti "PENSA QUE BERIMBAU É GAITA" RGE 342.6130 (1992)
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完全復調したコリントン・アインラ

Kollington Ayinla  EHUN FUNFUN.jpg

すっかり興味の失せたナイジェリアのフジ。
フジを生み出したシキル・アインデ・バリスターが10年に亡くなり、
ひとつの時代が終わったのを実感してからというものの、
自分の中でじょじょに関心が薄れていったのは確かです。

その大きな原因のひとつに、打楽器と肉声だけのフジを聞くことができなくなり、
シンセ、ギター、サックスなどの西洋楽器を取り入れたジュジュ寄りのサウンドが、
デフォルトとなってしまったことがあります。
黄金期のハードエッジな正調フジを知る者には、
中途ハンパに西洋楽器を取り入れたジュジュ・フジ・サウンドは、
いくら聞いても馴染むことができません。
かれこれ10年以上も、サウンドが気に食わないと、ブツクサと不満をいい続けながら、
新作を追いかけるのにも、いい加減疲れてしまいました。

中堅どころのワシウ・アラビ・パスマ、アバス・アカンデ・オベセレ、レミ・アルコ、
さらにもっと若いスレイモン・アディオ ・アタウェウェ、セフィウ・アラオ・アデクンレ、
アカンデ・アデビシ・カレンシーなどなど、歌えるシンガーは山ほどいるものの、
ヴォーカルと丁々発止をするでもない、キリッとしたソロをとるでもない、
メリハリのない垂れ流しの伴奏を付けるだけの、
シンセ、ギター、サックスには、もうウンザリです。

最近では、無理して新作フジを買うくらいなら、
昔のフジを聴くわという気分にどんどんなっていたので、
ひさしぶりに見かけたコリントン・アインラの新作を目にしても、
まったく手の伸びない自分に、自分で驚いてしまいました。
ひと昔前なら目の色変えて、飛びついただろうに。

Kollington Ayinla  BACK TO SENDER.jpg   Kollington Ayinla  POPSON.jpg
Kollington Ayinla  A DUPE LOWO OBEY.jpg   Kollington Ayinla  THANK YOU & SWEET MOTHER.jpg

コリントン・アインラの新作を買ったのは、かれこれ10年くらい前でしょうか。
最後に買ったのが“BACK TO SENDER” で、
遠藤さんのディスコグラフィでは07年頃の作品と書かれています。
その後、コリントンの新作CDが入手しずらくなり、
VCDで“POPSON” “A DUPE LOWO OBEY”
“THANK YOU & SWEET MOTHER” の3作をフォローしてきましたが、
かつての輝きは感じられず、CDを探そうという意欲はわきませんでした。

現地の報道によると、コリントンは精神的な問題を抱えていたようで、
じっさい活動は低迷していたようですね。
VCDなどで観たコリントンが、あてぶりにせよ、軽く歌っているという感じで、
生気がないように思えたのは、そのせいだったのでしょうか。

今年の3月に出たばかりの新作、
タイトルに使われた‘Esin funfun Ayinla tigbera bayi o’ は、
「先へ進もう。だれも私を止めることはできない」という意味で、
トラブルからすっかり吹っ切れたことを宣言しているようです。

ジャケット裏にはA面・B面とクレジットされていて、
A面はいつものジュジュ・フジのサウンドながら、
コリントンの歌声に張りが蘇っていて、流し歌いのようなところはみられません。
まったく期待もしていなかったせいか、思わず、おぅ!と声を上げてしまいましたよ。

そして、さらにオドロキはB面。
なんと最初から最後まで、シンセもサックスもギターもまったく登場しない、
打楽器と肉声だけによる正調フジ。
トラップドラムとパーカッションが鼓舞する、
コリントンのトレードマークだったバタ・フジが蘇っているんですよ。

これには、カンゲキしました。
祝詞のようなコブシ使いでじっくりと始めるイントロもかつてのようなら、
要所要所でメリスマを爆発させる歌いぶりは、これぞフジといえるものです。
80年代黄金期のような咆哮は求められないとはいえ、
これは完全復調といっていいでしょう。

Gen. Kollington Ayinla "EHUN FUNFUN" Corporate Pictures no number (2017)
Alhaji Gen. Kollington Ayinla "BACK TO SENDER" Corporate Pictures no number (2007)
[VCD] General Kollington Ayinla "POPSON" Jossy Halleluya Music no number
[VCD] General Kollington Ayinla "A DUPE LOWO OBEY" Jossy Halleluya Music no number
[VCD] Alhaji General Kollington Ayinla "THANK YOU & SWEET MOTHER" Jolaosho no number
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サン=ルイのゴールデン・ヴォイス アブドゥ・ギテ・セック

Abdou Guité Seck  NDIOUKEUL.jpg

このンバラ・シンガー、ただもんじゃない。

冒頭の1曲目にヤられました。
オープニングは、キャッチーなヒット性の高い曲を置くのが定石。
ところがこのアルバム、いきなり子供のア・カペラで始まり、
ハラムに導かれてアブドゥ・ギテが歌い始めるという、異色のナンバー。

コーラスも子供たちが歌っていて、伝統色の濃い曲と思いきや、
途中でアブドゥ・ギテがフランス語で語りを入れます。
なんらか明快なメッセージを持つ曲なんでしょう。
こういう曲を冒頭に置くところに、気骨を感じさせるじゃないですか。

そして、2曲目からは一転、
サバールとタマが炸裂するストレイトなンバラが炸裂します。
アブドゥ・ギテ・セックは、味のある歌い回しを持つシンガーで、
ユッスーと節回しがそっくり。ユッスーばりのハイ・トーンは炸裂しないけれど、
知らずに聞いたら、ユッスーと思う人がいるんじゃないかな。

そして、バンドの演奏力もすごく高いんですよ。
リズム・セクションがタイトに引き締まっていて、
ドラムスとパーカッションの絡みなど、小気味いい場面を随所に作っているし、
ギターも要所で光るプレイを聞かせます。
気になって、ジャケット裏のクレジットを見たら、
なんと、ジミー・ンバイじゃないですか!
ご存じ、ユッスーのシュペール・エトワールの名ギタリストですよ。

6曲目では、途中からサルサ・タッチのピアノがフィーチャーされるなど、
アレンジも気が利いています。
アレンジはアブドゥ・ギテとドラムスのウスマンヌ・カに二人が担当しています。

アブドゥ・ギテ・セック、あらためて経歴を調べてみると、
79年6月18日、サン=ルイのグリオの家系に生まれた人。
96年にサン=ルイでフランス白人のドラマーと、ンバラとロックをミックスしたバンド、
ウォック(ウォロフとロックの合成語)を結成して活動したのち、
02年にソロ・デビューしたといいます。

そういえば、この人のCD第1作の04年作を持ってたけど、手放しちゃったな。
デビュー・カセットから数えて今作で8作目。
十分なキャリアを積んだ人ならではの、ンバラ会心作です。

Abdou Guité Seck "NDIOUKEUL" AGS Music no number (2017)
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ンバラ100% ユッスー・ンドゥール

Youssou Ndour  SEENI VALEURS.jpg

まじりっけなしのンバラ。

昨年の“SENEGAAL REKK” に続き、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
地元セネガルでリリースされたユッスー・ンドゥールの新作は、
これまたまぎれもなくストレイトなンバラです。
いやあ、やっぱ底力が違うじゃないですか。
迷うことなく、またンバラを歌うようになったユッスー、
この輝きは他の誰にもマネできませんよ。

アラブへ行ったり、レゲエに行ったり、ジャズに行ったりと、
チャレンジといえば聞こえはいいけれど、
自分のやりたい音楽がなくなっちゃったんじゃないのという不満を、
かれこれ十年以上抱いていただけに、
この本格的なンバラ回帰には、やっと帰って来てくれたかという感慨があります。

他の音楽を試みることじたいは、もちろん批判されることじゃありません。
でも、その試行錯誤が、自分たちが育てたンバラにフィードバックされないのなら、
なんのためのチャレンジなのかと思ってしまうんですよね。
ンバラをより深める方向に向かわないことに、ずっと苛立ちを覚えていたんですよ。

昔のような輝かしいハイ・トーン・ヴォイスが出なくなろうが、
そんなことはかまいません。
どんな歌手だろうと、加齢は避けられないんだから、
年を取れば取ったなりの、老練な表現を身につけるだけの話じゃないですか。
だから、かつてのユッスーのハイ・トーンが聞かれなくなったことは、
ぼくにはちっともマイナスに感じません。

それよりも、円熟したンバラを聞かせてほしい。
かつてダカールの若者の音楽として誕生したンバラを、
大人の音楽として円熟した姿で示してほしいんですよ。
それをユッスーは、ついに見せてくれました。

前作で、インターナショナル向けにリリースされた“AFRICA REKK” と、
セネガル現地向けにリリースされた“SENEGAAL REKK” の
アルバム・タイトルのキー・ワードとなっていたウォルフ語の‘rekk’ とは、
‘onlly’ を指す言葉なんですってね。

それなら、「アフリカ」や「セネガル」という顧客マーケットを限定するんじゃなくて、
“MBALAX REKK” と音楽性を絞るのが、アナタのミッションでしょうが(←お説教)。
その昔、ポップ・ライが盛り上がった80年代に、
「ライ100%」というキャッチ・フレーズをよく目にしたけど、
「ンバラ100%」という心意気で、頼むよ、ほんとに。

P.S. しかし、今回の新作、ジャケットにはアーティスト名の記載なし。
どこを探しても、ユッスーのユの字もありません。う~ん、大物です。

Youssou Ndour "SEENI VALEURS" Prince Arts no number (2017)
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ファンシーなアヴァン・ジャズ メアリー・ハルヴァーソン

Mary Halvorson Octet  AWAY WITH YOU.jpg

こんな人がいたなんて。

『ミュージック・マガジン』8月号の特集記事「越境するギタリストたち」で、
初めてその名を知ったメアリー・ハルヴァーソン。
エリック・ドルフィーが今の時代に生まれ変わって、もしギターを弾いたら、
きっとこんなプレイをするんじゃないかと思わせるような、
独自の語法を持っている人で、その個性は際立っています。

ブルックリンを拠点に活動している人だそうで、
現在所属するファイアーハウス・12のレーベル・メイトでもある
アンソニー・ブラクストンやイングリッド・ラブロックとも共演歴があります。
クリアなギター・トーンを特徴としていて、
エフェクトに頼らず、ギター一丁で勝負する潔さが男前じゃないですか。

いちおうフリー系のギタリストとして括られる人だとは思うんですけれど、
彼女が演奏しているのは、フリー・ジャズじゃありませんね。
一聴して、ドルフィーを思い浮かべたように、
チャーリー・パーカーからの伝統を継いだ、
正統的なジャズの語法を持つ人だと思いますよ。

正統的とはいえ、その独自の音楽セオリーによるアブストラクトな語法は、
ドルフィー・クラスのジャズに相通じるんだから、スゴイ才能の持ち主ですよ。
パーカー~ドルフィー派のぼくにとって、これほど好みのプレイヤーはありません。
すっかり舞い上がっちゃいましたよ。

トランペット、アルト・サックス、テナー・サックス、トロンボーンの4管に、
ペダル・スティール・ギター、ベース、ドラムスのオクテット編成の本作は、
メアリーのギター・プレイばかりでなく、楽曲がすばらしくて、
コンポジションの才能も並外れています。
こちらは、カーラ・ブレイやヘンリー・スレッギル級ですよ。

穏やかな曲調が多いんですが、整合感のある穏やかさの中で、
メロディが逸脱して狂っていくようなところが、たまんないんです。
いや、もう、まいっちゃったな。

びっくりして、ファイアーハウス・12のサイトから、メアリーの過去作を聞いてみたら、
これがまた、全部いいんですね、ホントに。
こりゃあ、もうまとめて買うしかないだろう、と舞い上がったんですが、
なんだか冷静さを失ってるような気もするので、
一晩寝て、もう一度試聴することにしました。
で、翌日再トライしたわけなんですが、結果は同じ。
えぇ~い、ままよとばかり、一気に5作をまとめてオーダーしちゃいました。

こんな惚れ込み方をする音楽家と出会えるなんて、
人生、そうそうあるこっちゃない。
いや~、なんか嬉しいなあ。
こういう出会いがあるから、音楽を聴く喜びがあるっていうもんですよね。

ご本人の写真を見ると、知的な文学少女といった風貌の眼鏡女子で、
なんか、すごく意外なんですけど。
ギルドのフル・ボディのギターを抱えている姿は、
ジャズ・ミュージシャンというより、学校の先生みたい。

ファンシーなアヴァン・ジャズ、圧倒支持します。

Mary Halvorson Octet "AWAY WITH YOU" Firehouse 12 FH12-04-01-024 (2016)
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ラテンとサルサの違い ルベーン・ブラデス

Rubén Blades   SALSA BIG BAND.jpg

ひさしぶりのルベーン・ブラデスに、
「いいじゃん、いいじゃん」と盛り上がった前作。
(そのわりにイヤミな書きっぷりになりましたが)
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-05-01

はや新作が届くとは、精力的ですねえ。
というか、前作が2年遅れで入ってきたからでもあるんですが、
今回も、パナマのロベルト・デルガード率いるオルケスタが伴奏を務めています。
『サルサ・ビッグ・バンド』のタイトルどおり、
トロンボーン×3、トランペット×2、サックスを擁していて、
重厚でパワフルなサウンドというより、アレンジの妙でヌケのいいサウンドを
聞かせてくれるのが、このオルケスタの特徴ですね。

今回聴いていて、あらためて思ったのは、
ルベーンって、サルサの歌手だなあということ。
特にスローを歌うと、明らかなんですけれど、
ボレーロといった雰囲気がぜんぜん出てこないんですよね、ルベーンの歌って。
むしろ、ロックやソウルのシンガーが歌う、バラードやスローに近い感覚。
そこに、ブーガルーを通過した世代特有のセンスを感じます。

今思えば、チェオ・フェリシアーノとの共演作でも、
その歌いぶりの差は歴然としてましたね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14
チェオ・フェリシアーノもサルサ時代に活躍したサルサを代表するシンガーとはいえ、
その歌いぶりやセンス、味わいは、伝統的なラテンの美学を引き継いだものでした。
でも、ルベーンは違いますね。ルベーンにラテンの美学はない。
だからこそ、のちにロック的なセイス・デル・ソラールに向かったのは、
自然なことだったんでしょう。

今作はスロー・ナンバーが多いので、余計にそんなことを感じたわけなんですが、
70年の“DE PANAMÁ A NEW YORK” で歌った“El Pescador” の再演では、
前半をフォー・ビートにアレンジしてジャジーに歌っていて、
オリジナルのトロンバンガ・サウンドのスロー・バラードとは
また違った趣を醸し出しています。
いずれにせよ、その世界観は、ボレーロとは別物といえますね。

Rubén Blades - Roberto Delgado & Orquesta "SALSA BIG BAND" Rubén Blades Productions no number (2017)
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ついに日本でリリースされたルークトゥンの女王 プムプワン・ドゥワンチャン

Phumphuang Duanchan  LAM PHLOEN PHUMPHUANG DUANDHAN.jpg

「プムプワン本邦初の公式リリース」というメーカー・インフォメーションに、
思わずため息。
そうかぁ。ルークトゥンの女王とみなされた最大のスター、プムプワンのCDすら、
日本ではこれまで1枚も出ていなかったんだっけ。

90年代のワールド・ミュージック・ブームの時代には、
欧米経由ではなく、日本人によって紹介された東南アジアの音楽も
たくさんあったように記憶していましたけれど、それはすべて現地輸入盤で、
結局国内CDとしてリリースされたのは、
インドネシアとマレイシアぐらいしかなかったんだなあ。
タイやミャンマーやカンボジアは、蚊帳の外だったんですね。

それにしても、タイ音楽を掘り下げる Soi48 の活動ぶりには、
目を見張ります。今年彼らが出版した
『旅するタイ・イサーン音楽ディスク・ガイド TRIP TO ISAN』は、
たいへんな労作でした。
こんなにドキドキ・わくわくしながらページをめくった音楽書は、何年ぶりでしたかね。
今回のプムプワン・ドゥワンチャンの絶頂期にあたる、知られざるアルバムの復刻は、
まさしく彼ら(宇都木景一さん&高木紳介さん)にしかできない仕事といえます。

わずか30歳で夭折してしまったプムプワン・ドゥワンチャンの絶頂期が
80年代半ばだったことは、熱心なマニアの間での了解事項となっていましたけれど、
ぼくが当時の録音を聴くことができたのは、ずっと後のことで、
ようやく2000年代に入ってからでした。
なんせ当時のタイのメディアの主流はカセットだったので、
CDしか聞かない非マニアのファンにとっては、
CDでオリジナルのカセット音源を聴けるようになるまで、すごく時間がかかったんです。

Pumpuang Duangjan  NAAMPHUNG DUAN HAA.jpg

プムプワン・ドゥワンチャンというすごい歌手がいると知ったのも、
カセットとCDが同時リリースされた
91年の晩年作“NAAMPHUNG DUAN HAA” があったからこそ。
そこからプムプワンの過去作を追っかけていったものの、
その翌年にプムプワンが亡くなり、追悼に便乗してやたらとリリースされたCDは、
新旧録音ごちゃまぜの編集盤ばかりで、
なかなかプムプワンの全貌を捉えることができませんでした。

Phumphuang Duanchan  150KT002.jpg   Phumphuang Duanchan  150KT003.jpg
Phumphuang Duanchan  150KT004.jpg   Phumphuang Duanchan  150KT001.jpg

カセットを熱心に聴くマニアだけが知っていたプムプワンの黄金期は、
アゾーナと契約していた時代。
83年から86年にアゾーナからリリースされたカセット8作品が
2イン1でCD化されたのは、04年のことでした。

今回復刻されたのは、アゾーナと契約が切れた直後の80年代半ばの作品。
ポップな感覚のルークトゥンで売り出していた当時としては異色の、
イサーン色の強いラム・プルーンを歌ったモーラム・アルバムで、
こんなアルバムがあったとは知りませんでした。
楽勝でモーラムも歌えるんですねえ。すごいな。

日本で初めて紹介される、ルークトゥンの女王プムプワンのCDが、
彼女のキャリアとしては異色の、地味なモーラム・アルバムだというのは、
初めてプムプワンを聴く人にとってはどうなのとも思いますけれど、
内容は極上なのだから、目をつむっちゃいましょうね。

テレサ・テンみたいなジャケットの絵が、80年代半ばにしてはやや違和感があり、
初期の録音をまとめたCDに近い雰囲気がありますけれど、
この絵はオリジナルなんでしょうか。
ライナーには本作の原盤ジャケットの写真が載せられていないのが、残念です。

どんなタイプの曲にも対応する、プムプワンの天才的な歌いぶりは、
この80年代半ばがまさしく絶頂といえますけれど、
それ以前の初期の録音にも魅力的なものは多く、
初期録音をまとめた好編集のCDを最後にご紹介しておきますね。

Phumphuang Duanchan  VOL. 1.jpg   Phumphuang Duanchan  CHIEWIT COHN PHUM.jpg
Phumphuang Duanchan  KUN MYLACK TANMY MYBOAK.jpg   Phumphuang Duanchan  SATCHAKUM CUP KWAAM LACK.jpg

Phumphuang Duanchan "LAM PHLOEN PHUMPHUANG DUANDHAN” EM EM1166CD
Phumphuang Duanchan "NAAMPHUNG DUAN HAA" BKP BKPCD58 (1991)
Phumphuang Duanchan "JA HAI RAW PORSOR NAI / DUANG TA DUANG JAI” Azona/KT Center 150KT002 (1982/1982)
Phumphuang Duanchan "SAO NA SUNG FAN / NAD POB NA AMPUR” Azona/KT Center 150KT003 (1983/1984)
Phumphuang Duanchan "TIN NAH LOOM THUNG / KON DAN LOOM RAN KWAAI” Azona/KT Center 150KT004 (1984/1985)
Phumphuang Duanchan "EU HEU LOR JUNG / HAN NOI TOY NIT” Azona/KT Center 150KT001 (1985/1986)
Phumphuang Duanchan "VOL. 1" Tulip Entertainment CDL029
Phumphuang Duanchan "CHIEWIT COHN PHUM" Lepso Studio LPSCD42A11
Phumphuang Duanchan "KUN MYLACK TANMY MYBOAK" Lepso Studio LPSCD42A64
Phumphuang Duanchan "SATCHAKUM CUP KWAAM LACK" Saha Kuang Heng SKHCD032
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50年代のサンバ・カーニバル

GENUÍNO CARNAVAL BRASILEIRO.jpg

ジョアン・マカコーンの新作で、
オルランド・シルヴァやジョルジ・ヴェイガが愛唱したサンバを聴いていたところに、
どういう風の吹き回しか、その二人に加え、カルメン・コスタや
ジャクソン・ド・パンデイロ、ブラック=アウトといった往時の人気歌手たちが歌う、
50年代半ばのカルナヴァル(カーニヴァル)集が届きました。

ブラジルでは、LP初期の時代から、毎年カーニヴァルの季節になると、
各レコード会社が競ってサンバ・アルバムを出していましたけれど、
今回届いたのは、コパカバーナ社が出した55年と56年の10インチ盤2枚のリイシューCD。
これに加えて、57年にトゥルマ・ダ・ガフィエイラを名乗る楽団が演奏する、
アルタミーロ・カリーリョ曲集の10インチ盤も一緒に復刻されています。

Carnaval 55.jpg   Carnaval 57.jpg

ぼくは、55年と57年の10インチ盤2枚を持っていますが、
56年の10インチ盤は持っていなかったので、今回初めて聴きます。
こうした企画アルバムが復刻されることは、めったにないことで、
なんでこんな昔のカーニヴァル集がCD化されたのか、謎なんですけど、
CD化したのはブラジルではなく、なんとポルトガルのCNM。

オフィス・サンビーニャの配給で日本に入ってきたCDで、
10年にポルトガルで出ていたんですね。知りませんでした。
どういう経緯で復刻されたのかわかりませんが、
曲目と歌手名、作詞・作曲者のクレジットがあるだけで、
解説の1文もなく、表紙はペラ紙1枚というそっけなさ。
せっかくの貴重な音源なのに、これヒドくない?
半世紀以上も昔のカーニヴァル集を、こんなテキトーな作りで復刻して、
果たして売り物になるんでしょうかね。

まあ、それはさておき、今のカーニヴァルと比べると、
ずいぶん素朴に聞こえるかもしれませんけれど、
まだ大資本の匂いのしない大衆味に溢れていて、
ほっこりとした温もりが伝わってきますよね。
ポコポコしたパーカッションの響きに、50年代のムードが溢れます。
ジャクソン・ド・パンデイロのポップさには韜晦味もあって、
北東部人ならではのセンスを発揮しているんじゃないでしょうか。

そして、カーニヴァル集のあとに収録されたトゥルマ・ダ・ガフィエイラが、貴重なんです。
クレジットがないので、書いておきますけど、エジソン・マシャード(ドラムス)、
シヴーカ(アコーディオン)、アルタミーロ・カリーリョ(フルート)、
ラウル・ジ・ソウザ(トロンボーン)、マウリリオ・サントス(トランペット)、
シポー、ぜー・ボデガ(サックス)、ゼキーニャ・マリーニョ(ピアノ)、
ルイス・マリーニョ(ベース)、ネストール・カンポス(ギター)という面々なんですよ。

当時最高の名手たちが勢揃いしているのもナットクのカッコよさで、
さすがこの面々のプレイだと、今聴いても、古さを感じさせませんよねえ。
トゥルマ・ダ・ガフィエイラにはもう1枚12インチLP(“SAMBA EM HI-FI”)があって、
そちらでは、バーデン・パウエルがギターを弾いているんです。

できれば、カーニヴァル集の方とは別に、
トゥルマ・ダ・ガフィエイラの2枚をCD化して欲しかったなあ。
それで、カーニヴァル集の方は、55・56・57年の3枚でCD化してくれれば最高でしたね。
とまあ、ファンはいろいろ勝手なことを言うものですけれど、
50年代のカーニヴァル集を聞いたことのない人なら、マストな逸品であります。

Black-Out, Jorge Veiga, Orlando Silva, Carmen Costa, Jackson Do Pandeiro, Angela Maria, Turma Da Gafieira and others
"GENUÍNO CARNAVAL BRASILEIRO" CNM CNM239CD
[10インチ] Black-Out, Jorge Veiga, Orlando Silva, Carmen Costa, Jackson Do Pandeiro, Gilberto Alves
"CARNAVAL COPACABANA DE 1955" Copacabana CLP2004 (1955)
[10インチ] Emilhinha Borba, Jorge Goulart, Vera Lucia, Ruy Rey, Vagalumes Do Luar, Duo Guaruja, Nora Ney and others
"CARNAVAL 57" Continental LPP47 (1957)
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古いサンバ・カンソーンの灯を消さないで ジョアン・マカコーン

João Macacão  BAILE DE CHORO.jpg

あぁ、こういう人の新作が、ちゃんと出るというのは嬉しいですねえ。
サンバ新世代のシーンが活発になって、またサンバに光が当たっているとはいえ、
こういう古いサンバを聴く人なんて、今のブラジルではほとんどいないだろうに、
それでも、きちんとCDが出るところに、ブラジル音楽業界の懐の深さを感じます。

シルヴィオ・カルダスの伴奏を20年以上務めた7弦ギタリスト、
ジョアン・マカコーンの新作です。
この人のおそらくデビュー作だったと思うんですけれど、
06年作を聴いて、頬がすっかりゆるんでしまったのを思い出します。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-07-22

古いサンバ・カンソーンやセレスタが好きな人には、
どストライクなサンビスタといえますけど、
そんな奇特な人にお目にかかったことがないもんなあ。
日本のどこかに、そんなファンが10人くらいはいそうな気がしますけど、
そういう人は、ネットとか見ない年代かもしれないなあ。
この記事が、そんなファンの目にとまれば、嬉しいんだけれど。

João Macacão  CONSEQUÊNCIAS.jpg

前作“CONSEQUÊNCIAS” も、アタウルフォ・アルヴィス、アリ・バローゾ、
パウロ・ヴァンゾリーニ、カルトーラ、ゼー・ケチといった人たちの、
シブい選曲で楽しませてくれましたが、
今回も、古いサンバ・ファンにはこたえられないレパートリーが選ばれています。

ネルソン・ゴンサルヴィスが歌った“A Deusa Da Minha Rua”、
オルランド・シルヴァが歌った“Curare”、
ジョルジ・ヴェイガが歌った“Piston De Gafieira”。
どれもメロディがいいよなあ。
今のサンバとは、情の濃さが段違いで、比べ物にならないですよね。

今作でも、バンドリン奏者ミルトン・ジ・モリをはじめとする、
伴奏陣のサンバ/ショーロのしっかりとした演奏が、
ノスタルジアに陥らない現代性を加味して、
低音ヴォイスのジョアンの味わい深い歌声を支えています。

João Macacão "BAILE DE CHORO" Pôr Do Som PDS0065 (2016)
João Macacão "CONSEQUÊNCIAS" Pôr Do Som/Atração ATR37045 (2013)
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セカンド・ライン・ファンクのクイーン シャーメイン・ネヴィル

Charmaine Neville  QUEEN OF THE MARDI GRAS.jpg

真夏の定番の話題をもうひとつ。
これは納涼用に夜聴くアルバムではなくて、
暑い夏は熱く燃えようぜ!という、真っ昼間のダンス・アルバムであります。

ネヴィル・ブラザーズのチャールズ・ネヴィルの娘、
シャーメイン・ネヴィルの最高傑作、98年の“QUEEN OF THE MARDI GRAS” です。
タイトルそのまんま、マルディ・グラのお祭り気分をたっぷり味わえる、
これぞニュー・オーリンズといった一枚で、愛聴されている人も多いんじゃないかな。

“Iko Iko” “Mardi Gras Mambo” “Second Line” “Mardi Gras in New Orleans” など、
おなじみの曲をハツラツと歌うシャーメインは、
さながら、ニュー・オーリンズのおてんば娘、といったところ。
ヒャッハァー! といった吹っ切れた歌いっぷりも気持ちいいんですけれど、
そのヴォーカル表現にはなかなか奥行きもあって、
ただ陽気なばかりじゃないってところに、引きこまれます。
アルバム・ラストの“Clean Up” で、終わりを告げるマルディ・グラを見送るような、
哀切のこもった歌いぶりも、味があります。

スタジオ・ライヴのような感じでレコーディングされた
ライヴ感あふれる演奏は、ギミックなしのストレイトさで、胸をすきます。
曲によりバリトン、アルト、ソプラノとサックスを吹き分けている、
レジー・ヒューストンが大好演。本作のサウンドの要となっています。
山岸潤史の職人的なギターも、随所で光るプレイを聞かせていますよ。

セカンド・ライン・ファンクの合間に、
メンバーみんなで口笛を吹く“Whistle Krewe” のような曲があったりと、
アルバムは変化に富んでいて、楽しいことこの上なし。

シャーメインはこのアルバム以前の92年に、自身のバンドを率いて来日し、
ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾に出演していたそうです。
05年のハリケーン・カトリーナの被害では、シャーメインが生々しい惨状を伝えて、
話題を呼んだこともありましたね。
その後、CADASIL(遺伝性脳小血管病)という
難病と闘っているという話を聞いて心配しましたが、
2017年の今も、元気にライヴ活動をしているようです。

Charmaine Neville "QUEEN OF THE MARDI GRAS" Ten Birds GT1120 (1998)
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南国リゾートのラウンジで ビバップ・バハマ

BeBop Bahama.jpg

マイアミから飛行機で、カリブ海をひとっ飛び。
カリブ海の一大リゾート地、バハマのナッソーのホテルに宿泊して、
ラウンジのバーでくつろいでいると、
ハウス・バンドのショウ・タイムが始まりました。

ビバップ・バハマの音楽を表わすなら、こんな感じでしょうか。
肩肘の張らない、イージー・リスニング・ジャズ。
ラウンジー気分で楽しめる、夏の夜の納涼盤であります。
久し振りに思い出して、棚から取り出してきました。

ビバップ・バハマは、スティール・ドラムをリーダーとする、
ヴィブラフォン、ベース、ギター、ドラムスの5人編成。
ヴィブラフォンとベースは、曲により交替する別の2人がいて、
7人の名がクレジットされています。

スティール・ドラムでジャズというと、
モンティ・アレキサンダーとオセロ・モリノーの共演や、
現在来日中のアンディ・ナレルを思い浮かべますけれど、
こちらは、もっとイージー・リスニング寄りのグループ。

レパートリーは“On The Sunny Side of The Street”
“Shiny Stockings” “Here's That Rainy Day” “In A Mellow Tone”
といった有名スタンダード曲が中心で、
グループ名にビバップを名乗るだけあって、
ガレスピーとパーカーの古典曲“Groovin' High” “Au Privave” を取り上げ、
カリプソにアレンジしたところがミソ。

選曲はいかにも凡庸で、典型的なBGM用の駄盤に思われがちですけど、
これがあにはからんや、なかなかいいんです。
スティール・ドラムをフィーチャーしたイージー・リスニングもので、
このビバップ・バハマは、頭一つ抜けた作品といえますね。

正直買う前は、あまりにヒドいジャケット・デザインに、ビビったんですどね。
コンピュターで書いたヘタウマならぬ、テキトーなグラフィックは、キッチュの極み。
スティール・ドラムとベースとドラムスが演奏するステージは、
カリブというよりポリネシアのイメージだし、
なんだかティキティキみたいな安っぽい南国風レストランみたいで、
聴く気も萎えるんですが、これは侮れない一枚です。

あ、ちなみに、メンバーは全員LA出身のミュージシャンです。
バハマのミュージシャンというわけではないので、あしからず。

BeBop Bahama "BEBOP BAHAMA" Sea Breeze SB3064 (2004)
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トゥンバン・スンダで納涼 イダ・ウィダワティ

Ida Widawati  SEDIH PATI.jpg

あづい~~~~~。

あちいですねえ、今年の夏も。
毎朝夕のウォーキングがシンドイ季節ではありますけど、
帰りは、汗だくになったあとの風呂が待ってますからねえ。

思えば、ウォーキングをする習慣ができるまでは、
夏はシャワーだけで、湯船に浸かることはしなかったんですが、
有酸素運動でたっぷり発汗したあとの風呂の極楽気分は、格別。
この快感を、ぼくは四十半ばにして、初めて知りました。

老廃物がきれいさっぱり流れ落ちて、身体の外側も内側も蘇るような感じ。
この気持ち良さがあるから、酷暑のウォーキングも甲斐があるってなもんで、
秋になって涼しくなると、ウォーキングには楽な季節とは思いつつ、
真夏の全身の細胞が活性化するような快楽を味わえなくなって、
少し物足りない気持ちにもなるのでした。

ま、そんなわけで、暑い時には暑い時にしか味わえないことを楽しみましょう、
ということで、タイミングよく見つけた納涼の1枚。
インドネシアは西ジャワのトゥンバン・スンダ。歌入りのカチャピ・スリンですね。
インドネシア伝統音楽の専門レーベル、SPレコードが出したCDで、
このレーベルのトゥンバン・スンダでは、タティ・サレのCDを1枚持っています。

今回手に入れたのは、タティ・サレよりひと回り若いイダ・ウィダワティのCD。
ひと回り若いといっても、イダ・ウィダワティは56年生まれ、
タティ・サレは44年生まれだから、二人とも大御所クラスのヴェテランです。
いつ頃出たアルバムなのか、よくわからないんですが、
おそらくゼロ年代半ばかと思われます。

タティ・サレのCDは伴奏が力量不足で、せっかくのタティ・サレの見事な歌唱に、
演奏が応えていないという不満があったんですけれど、こちらはいいですね。
タティ・サレのCDにはクレジットもありませんでしたが、
本作には、カチャピ・インドゥン、カチャピ・リンチック、スリン、ルバーブ全員の名が
記されていて、ちゃんと名のあるメンバーだということが想像されます。

落ち着いたイダの声と繊細な歌いぶりに、高原の涼風を伝えるスリンの音色、
深奥な夜に引きこむカチャピの響きが、汗の引いた身体に染みわたります。
スンダの伝統音階ソロッグ、ペロッグ、サレンドロを3曲ずつ歌ったレパートリーも、
変化に富んでいて、楽しめます。

その昔、若いニニン・メイダのトゥンバン・スンダのCDを愛聴しましたけれど、
イダの円熟味のある歌声は、西ジャワの貴族の嗜みとされた
トゥンバン・スンダの魅力を、たっぷりと味あわせてくれます。

Ida Widawati "TEMBANG SUNDA CIANJURAN / SEDIH PATI" SP SPCD027
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40年目の『エクソダス』 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

Bob Marley EXODUS 40.jpg

世の中に「デラックス・エディション」はいろいろあれど、
01年にリリースされた、ボブ・マーリーの『キャッチ・ア・ファイア』の
デラックス・エディションくらい衝撃的だったのは、ほかにありませんでしたね。

イギリス・アイランドからリリースされた公式盤と、
ジャマイカ録音のオリジナル・ヴァージョンを並列させたものだったんですが、
ギター・ソロをオーヴァー・ダブしたり、回転数をあげてお化粧した公式盤を、
それこそ何百回とヘヴィー・ローテーションした者にとっては、
あの骨格のみで、力強くもみずみずしさを湛えたオリジナル・ヴァージョンに、
大げさでなく、腰が抜けそうなほどびっくりして、また感動したのでした。

オリジナル・ヴァージョンの素晴らしさに、あらためてマーリーの底力を知るとともに、
あのお化粧が、世界に進出するためには必要なものであったことも、
あらためて再確認できたのでした。
買っただけで棚の肥しになりがちな、他の「デラックス・エディション」とは違って、
あの2CDは、本当に愛聴したものです。驚愕のオリジナル・ヴァージョンだけでなく、
公式盤と続けて聴くことに妙味のある、極上のデラックス・エディションでした。

ボブ・マーリーのデラックス・エディションはいい! とまたも言えるのが、
今回出た『エクソダス』のリリース40周年記念エディションです。
公式盤のディスク1に、ジギー・マーリーの再編集による『エクソダス40』のディスク2、
アルバム発表時のライヴ音源(ほぼ初出)集のディスク3という内容なのですが、
再編集されたディスク2が、これまた目ウロコというか、大発見があったのです。

個人的な告白をすると、マーリーを初めて聴いたのが『キャッチ・ア・ファイア』なら、
これを最後にマーリーを聴かなくなった、
いわばマーリーとのお別れ盤が、『エクソダス』だったのですね。

ダークなA面に対して、ラヴ・ソングも並んだソフトなB面に大きな抵抗を感じ、
ラスタファリアンがポップ・スターにでもなる気なのかよと、
マーリーの変節を感じて、幻滅したのでした。
まあ、こちらも若くて、思慮が浅かっただけの話ではありますが、
そんなわけで、その後来日した時も、もう関心はないよと、
コンサートには足を運びませんでした。

さて、そんな狭量なぼくがマーリーとお別れした『エクソダス』。
A面は好きだったとはいえ、CD化した時にちょっと聴き直しただけで、
たぶんもう30年近く聴いてないんでありますが、
ジギー・マーリーが再構成したディスク2には、ちょっとびっくり。
当時もしこのヴァージョンで聴いていたら、「マーリーの変節」などとは思わなかったかも。

まず、「エクソダス」でスタートする曲順変更がいい。
しかも、やや冗長でもあったオリジナル・バージョンを、
2分20秒以上短くエディットしただけでなく、
マーリーの歌声がオリジナルより野性味を増しているのだから、驚かされます。

なんでもジギーは、当時の没テープから、未使用のヴォーカルや演奏の断片を取り出し、
ミックスし直す大変な編集作業を行ったとのことで、
オリジナルからあえて音を抜いて、ダブ的な効果を高めるなど、
慎重なミックスをしています。
海外リスナー受けをネラった装飾をことごとく削り取っただけでなく、
曲順も変更してオリジナルのA・B面の落差を埋め、
楽曲の持つ本質的な力を再創造したのは、素晴らしい仕事と言わざるを得ません。

もともと気に入っていたオリジナルのA面についても、
どこかレイドバックしすぎている印象があって、
やっぱりエッジが甘くなったよなと感じていたんですが、
今回の『エクソダス40』には、オリジナルにはなかった太いグルーヴが貫かれていて、
すっかり見直してしまいました。

Bob Marley & The Wailers "EXODUS (FORTIETH ANNIVERSARY EDITION)" Tuff Gong/Island 00602557546712
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ヒップホップよりサンバで輝くラッパー クリオーロ

Criolo  ESPIRAL DE ILUSÃO.jpg

ブラジルのアンダーグラウンド・シーンから登場したクリオーロ。
大ヒットとなったインディ制作の2作目は、
イギリスや日本でもリリースされ、話題を呼びました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-09-28

アフロビートあり、サンバあり、レゲエあり、ダブありと、
豊富な音楽性に裏打ちされたサウンド・クリエイターぶりが鮮やかで、
クリオーロのルーディなラップや歌より、魅力的なバックトラックに耳を惹かれました。

さて、そのクリオーロの新作は、サンバ・アルバムだというので、
かつてのマルセロ・デー・ドイスみたいなヒップホップとのミクスチャーを想像していたら、
これがヒップホップ色皆無の、伝統サンバ集だったのは、意外でしたねえ。

まず、一聴して驚かされたのが、クリオーロの声がぜんぜん違うこと。
ヒップホップをやってる時は、もっとダークな印象が強くて
歌だって、あんまりうまい人という印象がなかったので、別人かと思ったほど。

甘い歌い口で歌うかと思えば、朗々と歌劇ふうに演出した歌いぶりを聞かせたり、
子供たちのコーラスにのせて、キレのいいサンバを歌うなど、とにかく表情が明るい。
ヒップホップのルーディなキャラと、どっちがこの人の本質なんだろか。

ま、とにかく、それくらい、これまでのアルバムとは違うんですが、
ひさしぶりに聴くサンバで、これほどフレッシュなアルバムもなかなかありませんよ。
クリオーロの突き抜けた歌いっぷりも、すがすがしいですけれど、
パーカッシヴに弾けるリズムもピチピチとしていて、爽快そのもの。

北東部セアラー州生まれ、サンパウロ郊外のファヴェーラ育ちのクリオーロは、
初めて夢中になった音楽がヒップホップで、11歳で初めて曲を書き、
14歳でラッパーとなったといいますが、こんなにサンバを本格的に歌えるというのは、
やはりブラジル人のなせる業なんでしょうね。

両親が好きだったマルチーニョ・ダ・ヴィラ、
モレイラ・ダ・シルヴァ、ルイス・ゴンザーガを、
幼い頃から日常的に聴いていたからなのか、
サンバの歌い回しやリズム感がしっかりと身についていて、
こういっちゃあなんだけど、ヒップホップよりサンバの方が、何倍も輝いて聞こえますよ。

Criolo "ESPIRAL DE ILUSÃO" Oloko OLK015 (2017)
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声とバンドリン ニーナ・ヴィルチ&ルイス・バルセロス

Nina Wirtti e Luis Barcelos  CHÃO DE CAMINHO.jpg

レトロなサンバのレパートリーを、
ショーロ風味の伴奏で鮮やかに聞かせてくれた
5年前のアルバムが忘れられない、ニーナ・ヴィルチの新作。
ルイス・バルセロスとの共同名義作と聞いて、楽しみに待っていました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=Nina+Wirtti+

ルイス・バルセロスといえば、
あちこちのレコーディング・セッションでひっぱりだこの人気バンドリン奏者。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-04-20
ニーナ・ヴィルチの前作はもちろん、ニーナ・ベケールのドローレス・ドゥラン集でも、
少ない音数の中で、ルイスのバンドリンが重要な役割を担っていました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-11-09

本作の伴奏は、サブ・タイトルに「声とバンドリン」とあるとおり、
グート・ヴィルチのベースが加わる1曲を除いて、
ルイス・バルセロスが弾くバンドリンのみ。
このサブ・タイトルは、ジョアン・ジルベルトやジルベルト・ジルの
「声とギター」をもじったんでしょうね。

レパートリーは、ルピシニオ・ロドリゲス、エルベ・コルドヴィル、
バーデン・パウエル、ヤマンドゥ・コスタ作の新旧サンバ・カンソーンに加え、
チャブーカ・グランダの「ニッケの花」や、
古いアルゼンチン・タンゴ“Fruta Amarga” なども取り上げています。

ふんわりとしたニーナ・ヴィルチの声が、
軽やかに響くルイス・バルセロスのバンドリンにのせて歌われると、
原曲のメロディの良さが素直に引き出されて、胸にしみます。
大衆歌謡というものは、芸術性をことさら演出しなくても、
純度高く煮詰めることで、その美を露わにできることを証明する一枚です。

Nina Wirtti e Luis Barcelos "CHÃO DE CAMINHO" Fina Flor FF078 (2017)
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昔気質のショーロ職人 イザイアス

Izaías e Seus Chorões  CHORANDO NA GAROA.jpg

うわぁ、ごぶさたしてました~、お元気でしたかあと、
思わずジャケットに声をかけてしまった、
サンパウロのヴェテラン・バンドリン奏者、イザイアスの新作です。

前作がいつだったか、もう十年以上も前のことで記憶になくて、
ブラジルのディスコグラフィ
Dicionário Cravo Albin da Música Popular Brasileira
をチェックしてみたんですけど、なぜだか載ってないんですよね。
たしか、黒バックにショーロの楽器を並べた
ジャケットだったという記憶があるんだけどなあ。

エレピだったか、シンセだったか、もう忘れましたけれど、
鍵盤楽器の起用がいただけなくて、
ソッコー処分してしまったもんだから、タイトルを覚えてないんですよ。
もうひとつのディスコグラフィ Clique Music の方をのぞいてみたら、
ありました、ありました。
99年に出た“QUEM NÃO CHORA NÃO AMA” というアルバムですね。

やっぱりねえ、イザイアスの最高作はデビュー作の“PÉ NA CADEIRA” ですよ。
ちょうどぼくがショーロに夢中になっていた頃に手に入れたLPなので、
ことのほか思いも深く、ジャコー・ド・バンドリンのように、
「バンドリンを泣かせる」正統派らしいプレイにゾッコンとなったんですよね。

それなのに、上の二つのディスコグラフィとも、
イザイアスのデビュー作を正しく載せていないのは、遺憾千万。
81年にサンパウロのマイナー・レーベル、JVから出たレコードなのに、
99年にクアルッピがCD再発した時のアルバムとして載っているんですよね。
ぼくはこのデビュー作でイザイアスに夢中になっただけに、この扱いは悲しいなあ。

Isaias e Seus Chorões  PÉ NA CADEIRA LP.jpg   Isaias e Seus Chorões  PÉ NA CADEIRA.jpg

また、このデビュー作のジャケットがいいんですよ。
シャッターが半分下がったお店の中で、
ショーロを演奏しているレジオナルのメンバーたちの様子がちょっとのぞいているという、
なんとも雰囲気のある構図でした。
99年にクアルッピがCD化した時は、裏ジャケットの写真が表紙になってしまい、
このジャケットの写真がバック・インレイになってしまったのは残念だったなあ。

本名イザイアス・ブエノ・ジ・アルメイダ。37年6月7日生まれということで、
もう80歳になったんですね。そのプレイに衰えはみじんも感じられません。
曲の雰囲気に合わせて弾き方を変え、
思い入れたっぷりに、たっぷりとタメて間を長くとるかと思えば、
一方で、前のめりになって性急なフレージングを弾く曲あり、
律儀に音符どおり、きっちりと弾き、
プリング・オフやトレモロを駆使して、キリッとした響きを聞かせる曲あり、
曲の解釈にイザイアスのショーロ演奏家としての才能を感じます。

特に、スローでの泣かせ方、フレージングに合わせた音の強弱のつけ方、
スラーを効果的に加えたり、最後の音を印象的に美しく響かせるテクニックに、
これぞイザイアスだと感じさせる場面が多数あって、嬉しくなってしまいました。
昔気質のショーロ職人といったプレイに味わいをおぼえる、珠玉の一枚です。

Izaías e Seus Chorões "CHORANDO NA GAROA" Pôr Do Som PDS068 (2017)
[LP] Isaias e Seus Chorões "PÉ NA CADEIRA" JV JV003 (1981)
Isaias e Seus Chorões "PÉ NA CADEIRA" Kuarup KCD122 (1981)
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音楽をする喜び ブラッデスト・サキソフォン feat. ビッグ・ジェイ・マクニーリー

Bloodest Saxophone feat. Big Jay McNeely.jpg

なんて羨ましい連中なんだろう。
ミュージシャンをこれほど羨ましく思わせるアルバムも、
なかなかないんじゃないかな。

自分たちが、その音楽をやる直接の動機となった、
伝説クラスの音楽家と共演できる幸福。
会えるだけでも、自分たちの音楽を聞いてもらうだけでも、
天にも昇る心地となるほど憧れた相手と、今一緒に演奏しているということ。
そんな敬愛の念がびんびんと伝わってきます。

しかも、そんなリスペクトの気持ちが、遠慮につながってないところが、またいい。
とかく、こういう愛が強すぎる共演では、愛する側が遠慮しすぎてしまって、
萎縮してしまったりするもんですけれど、ぜんぜん、そんなになっていない。

伝説のホンカー、ビッグ・ジェイ・マクニーリーを前にして、
ハンパな演奏など、恥ずかしくてできないぜとばかり、
全力を出し切ろうとする、ブラッデスト・サキソフォンの演奏ぶり。
ソロ・リレーでは、ビッグ・ジェイに負けてなるかと挑む、
その熱い気持ちがびんびん伝わって来て、目頭の裏をジーンとさせます。
12年のクラブクアトロで踊りながら泣いたあの夜を、また思い出してしまいました。

あの後、ライヴ盤が出て、
その3年後に再来日し、レコーディングをしたことは聞いていたので、
待ちに待ったアルバムです。
クリス・パウエルの“I Come From Jamaica” をやってくれたのは、嬉しかったなあ。
モノラル録音の良さも格別。

ジュウェル・ブラウンとの共演も感動の一作でしたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-12-09
音楽で結びついた日米・老若の友情に、胸アツとなる大傑作。
ビッグ・ジェイ、この時、88歳。とんでもありません。

Bloodest Saxophone feat. Big Jay McNeely 「BLOW BLOW ALL NIGHT LONG」 Mr. Daddy-O SPACE006 (2017)
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ジョー・キャロル祭り

Joe Carroll  THE EPIC & PRESTIGE SESSIONS.jpg   Joe Carroll  MAN WITH A HAPPY SOUND.jpg

希代のジャイヴ・シンガーであり、
バップ・ヴォーカリストである、ジョー・キャロルの代表作2枚、
56年録音のエピック盤と、62年のチャーリー・パーカー盤が揃って復刻しました!
こりゃあ、めでたい!! この夏は、ジョー・キャロル祭りでっす!!!

ジョー・キャロルが、どんなにカッコいいシンガーかは、
一度ここできっちりと書いたので、もう繰り返す必要はありませんね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14
あの記事を書いた時、日本だけでCD化されていたエピック盤、
アメリカのコレクタブルズがCD化したチャーリー・パーカー盤ともに、
入手が難しくなっていた時期でもあったので、これは大歓迎でしょう。
さらに、すでにCDを持っているという人でも、買い替えをオススメします。
すんごいお宝が、ボーナス・トラックで入ってるんですから。

まずは、エピック盤の方。
サブ・タイトルにあるとおり、エピック盤全曲のあとに、
プレステッジ録音の4曲が収録されています。
この4曲は、古株のファンにはおなじみですね。
オムニバス盤“THE BEBOP SINGERS” (PR 7828) に、
エディ・ジェファーソンの4曲とアニー・ロスの6曲とともにカップリングされていた、
52年12月録音のセッションです。

続いて、ガレスピー楽団でパリを訪れた53年2月に録音した5曲が収録されています。
クレジットによると、ヴォーグの10インチ盤だそうですが、
う~ん、これは見たことないなあ。ぼくも今回初めて聴きました。

しかも、これだけじゃないんですよ。
さらにボーナス・トラックとして、52年の2月と7月、
ニュー・ヨークでガレスピー楽団(セクステット/クインテット)とともに録音した
6曲が収録されているんだから、すんごいヴォリューム。
クレジットによると、ガレスピー自身のレーベル、ディー・ジーと
アトランティックに残したSP音源とのことなんですが、
アトランティックに録音を残していたなんて知らなかったので、びっくり。

ところが、アトランティック録音の2曲を聴いてみると、あれれ。
これって、スウェーデンのメトロノームから出ていた、
ガレスピーのEP盤(MEP450)所収の2曲と同じじゃないの。
う~ん、原盤はアトランティックのSPだったのかあ。
なかでも、ガレスピーとデュエットするアフロ・キューバンの“This Is Happiness” は
ゴキゲンなトラックで、これがCD化されたのは嬉しいですねえ。

そして、チャーリー・パーカー盤の方は、ボーナス・トラックは2曲。
エピック盤に比べると少ないですけれど、
これしかレコーディングされてないんだからしょうがない。
チャーリー・パーカーからは、LP1枚とシングル盤2枚がリリースされていて、
シングル盤2枚のうち1枚はLP収録曲ですが、もう1枚はLP未収録曲で、
これが今回CD化されたというわけ。

このシングル盤は、LPのレコーディングの1年前、61年3月に録音されたもので、
バリトン・サックス奏者セシル・ペインのクインテット
(デューク・ジョーダンのピアノに、ロン・カーターのベース!)をバックに、
“Anthropology” “Hi-Fly” をスキャットしたもの。
この「アンソロポロジー」が、サイコーなんですわ。
63年にダブル・シックス・オヴ・パリがガレスピーと一緒に録音してるより、2年も早い。
「アンソロポロジー」のスキャット・ヴァージョン初演なんじゃないですかね。

ランディ・ウェストンの「ハイ=フライ」は、
セシル・ペインとスキャット合戦を繰り広げます。
スキャットはジョー・キャロルの圧倒的勝利って感じなんだけど、
セシル・ペインもほっぺたを鳴らす技などを繰り出してジョーに対抗、
なかなか面白いヴァージョンになっています。

いや~、大満足。
ジョー・キャロルの録音もほぼCD化されたといっていいと思いますが、
残るは、78年にニュー・ヨークのクラブ、ジャズマニアでライヴ録音した
アルバムも、ぜひCD化をよろしくお願いします。

Joe Carroll "JOE CARROLL THE EPIC & PRESTIGE SESSIONS" Fresh Sound FSRCD935
Joe Carroll "MAN WITH A HAPPY SOUND" Blue Moon BMCD1637
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あくなき探究心 チャーリー・パットン

Charlie Patton  TRUE REVOLUTION  THE GENNETT RECORDINGS.jpg

戦前ブルース研究所の仕事ぶりには、いつも敬服してしまいます。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-07-26
徹底した実証主義、科学的調査にもとづいて、発見される歴史的新事実。
これまで当たり前に思っていたことが、次々とひっくり返される痛快さ。
そのあくなき探究心に、頭が下がるばかりです。

ここ十年くらいの音楽研究で、これに匹敵する研究を他の分野で知りません。
ロックやワールド・ミュージックには、皆目見当たらないし、
ジャズにユニークな楽理研究がいくつかあるとはいえ、
やはり専門家のための研究で、
読み進めているうちにワクワクするといった類のものじゃありませんね。
だからこそ、彼らの仕事に大きな刺激を受けつつ、正直、嫉妬もおぼえるのでした。

彼らの音楽研究がすばらしいのは、
文献や資料をもとにアプローチするような学者の仕事とは違って、
長年愛聴してきた音源に疑問を持ち、その疑問を出発点に、
じっさいにギターを弾きながら、仮説を立て、検証しているところです。
研究の出発点がミュージック・クレイズであり、ミュージシャン気質であることろが、
学者の仕事とは決定的に異なる、痛快さや面白味につながるんですね。

ロバート・ジョンソンの録音から、ヴォーカルだけを取り出し、
音声信号分析ライブラリにかけて周波数を測定したうえで、
セント値(半音の1/100が1セント)に変換し、
これを平均律からのずれとして表記し、正確な音程による譜面を作成しようなんて、
誰が思いつきます?
そして、これをヴォーカロイドにかけて歌わせてしまうんだから、面白すぎる。
こういう試みを嫌う人もいるだろうけど、ぼくはもろ手を挙げて大賛成。
研究は、奇抜な発想があってこそ面白いし、思いもよらない発見があります。

そして、その彼らの研究成果が、このほど一つのCDとしてまとめられました。
チャーリー・パットンの初録音である、リッチモンド、ジェネット・スタジオでの録音。
29年6月14日、パットンのみならず、ウォルター・ホーキンズも交えて
当日行われた録音18曲すべてを収録しています。
そこにあった複数のギター、そして、音叉にピッチ・パイプにピアノという、
異なるチューニング・マシーンの存在。
さらに、カッティング・マシンは、異なる回転数で回っていた事実。

これらを修正するのに、
彼らがどんな試行錯誤を繰り返したかは、CD解説にゆずるとして、
これまで聴いていたパットンの録音が、いかに早回しだったかがわかります。
本盤を聴いたうえで、Pヴァイン盤を聴き直すと、
リズムは上滑っているし、パットンのヴォーカルにコクがありませんね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-07-13
Pヴァイン盤は、全体に高音がカットされていて、
ヴォーカルが後ろに引っ込んでいるんですが、
本盤はヴォーカルが前面に飛び出して、
ダミ声のパットンのヴォーカルが生々しく聞こえます。

う~ん、味わいのあるヴォーカルですよねえ。
“A Spoonful Blues” でのコミカルでセクシーな歌いっぷりや、
シャープなギターにほれぼれとしますよ。
原音で聴くと、迫力がぜんぜん違うじゃないですか。
パットンや相棒のウィリー・ブラウンみたいなダミ声に、
はや高校生でホレこんでたのだから、
のちにアインラ・オモウラにゾッコンになるのも、むべなるかなであります。

こんな迫力に満ちたパットンを聴いてしまうと、
29年10月や30年5月のセッションも、修正音源でぜひ聴いてみたくなりますねえ。
“High Water Everywhere” “Moon Going Down” がどれほど変わるのか、
ぜひとも体験したいものです。

Charlie Patton 「TRUE REVOLUTION : THE GENNETT RECORDINGS JUNE 14, 1929」 Pan KRG1027
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シャルル・ドゥヴェル写真集

The Photographs of Charles Duvelle.jpg

大学生の頃、アフリカの民俗音楽を集中的に聴き込んでいたことは、
一度ここで書いたことがあります。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-07-08
当時、進路に迷っていた頃で、文化人類学の研究者になる道へ転向するか、
それとも、今の大学で経済学部に籍を置いたまま卒業して、一般企業に就職するか、
結局、フツーの会社員になる道を選んだわけなんですが。

当時、アフリカの民俗音楽で一番お世話になった先生のひとりが、
ディスク・オコラを設立した音楽学者のシャルル・ドゥヴェルでした。
そのシャルル・ドゥヴェルの写真集が出るというので、
楽しみにしていたんですが、届いてびっくり。
296ページに及ぶ、ずっしりとした重量感たっぷりのファイン・アート写真集。

オコラのレコードで見慣れた写真が、多数掲載されているんですが、
シャドウがつぶれていたり、粗い印刷だったものが、
見違えるような美しさに生まれ変わっていて、
ページをめくるたびに、コーフンにつぐコーフン。
6×6で撮ったモノクロームの諧調の美しさは、絶品です。
もちろん初めて目にするカット、未発表だった写真もたっぷりあって、
夢中になって見てしまいました。

巻末のインタヴューを読んで驚いたのは、
シャルル・ドゥヴェルの関心が、民俗音楽いっぺんとうではなかったということ。
彼はアフリカン・ポップスも大量に聴いていて、
オコラを辞めたあと、ナイジェリアでフェラ・クティと親交を持ち、
カラクタ襲撃事件直前のカラクタに、数日間滞在したこともあるそうです。

また、オコラの音源に、ピアノとエレクトリック・ギターを被せてヒットを呼んだ
「ブランディ・ブラック」に関しても、オドロキの事実が書かれていました。
「ブルンディ・ブラック」を発売したバークレイ社のオーナー、
エディ・バークレイとシャルル・ドゥベルは友人同士で、
エディ・バークレイは、「ブルンディ・ブラック」の制作当初から、
シャルル・ドゥヴェルに相談を持ち掛けていたそうです。
シャルル・ドゥヴェルは、ブルンディ大使館を通じ、
録音権利者への分配が行えるように手配したうえで、
制作されたシングル盤(61398L)だったんですね。

当初、ブルンディ大使館の全面的なバックアップによって、
発売されたものであったのにも関わらず、
80年になってイギリスでリミックスされた12インチで、再度ヒットを呼ぶと、
帝国主義的な第三世界の文化搾取といった文脈で、強く非難されたものでした。

ブルンディ・ブラックについて書かれた記事は、
ミュージック・マガジンの81年7月号で中村とうようさんが書かれた
「運命の波にもまれるブルンディ・ドラム」が最初だったと思います。
この記事では、文化搾取式の言辞は述べられていませんが、
「そのすばらしいブルンディのタイコの録音に、
けしからぬ小細工をほどこしたやつが現れた」
と書かれているので、とうようさんがお気に召さなかったのは事実でしょう。

のちにこの記事が、『地球が回る音』に再録された際は、
タイトルが「盛大に盗用(?)されるブルンディ・ドラム」と改題されていました。
「(?)」を付しているあたりは、さすがに慎重ではありますが、
単純な盗用ではなかったという経緯を知れば、
とうようさんの評価も違ったものになったかもしれません。

この写真集には2枚の付属CDも付いていて、
アフリカとアジアのフィールド録音がそれぞれ編纂されています。
オコラとプロフェットのディスコグラフィーも最後に掲載されていますが、
シャルル・ドゥヴェル自身がフィールド録音したアルバムも、
録音は別人が行い、ディレクションのみ関わったアルバムも特に区分けされていません。

OCR24 Musique Malgache.jpgOCR28 Musique Maure.jpgOCR35 Musique Kongo.jpg

最後に、個人的に思い出深いオコラのアルバムで、
シャルル・ドゥヴェル録音・監修の3枚(上)と
録音は別人で監修のみの3枚(下)をご披露しましょう。

SOR9 Musique Fali.jpgOCR16 Musique Kabre du Nord-Togo.jpgOCR40 Musique du Burundi.jpg

[CD+Book] Hisham Mayet "THE PHOTOGRAPHS OF CHARLES DUVELLE : Disques OCORA and Collection PROPHET" Sublime Frequencies SF110 (2017)
[LP] "MUSIQUE MALGACHE" Ocora OCR24 (1965)
[LP] "MUSIQUE MAURE" Ocora OCR28 (1970)
[LP] "MUSIQUE KONGO" Ocora OCR35 (1966)
[10インチ] "MUSIQUES FALI (NORD-CAMEROUN)" Collection Radiodiffusion Outre-Mer SOR9
[10インチ] "MUSIQUE KABRÈ DU NORD-TOGO" Ocora OCR16
[LP] "MUSIQUE DU BURUNDI" Ocora OCR40
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モノクロームなロマンティック ニイア

Niia  I.jpg

なんか、ネオ・ソウル、きてない?
RC&ザ・グリッツにムーンチャイルドと、
ここのところ、お気に入りになるアルバムに、ネオ・ソウル色の濃いものが多くて、
なんか風が来てる? てな感じを持ってたんですけど、
どうやら風どころか、けっこう大きな波になってるのかも。

今日試聴して耳にひっかかったのが、ことごとくネオ・ソウル・ライクなアルバムばかり。
なんでもかんでもよく聞こえてしまう時って、
気を付けないと、あとで後悔すること多しなので、
もう1度試聴し直して、手元に積み上がった5作から厳選して、この1枚だけを購入。

これは、ゼッタイいいぞ、という確信ありの1枚、
家でじっくり聴き直しましたが、絶品です。
1曲目のプレリュードに続いて、
重くファットなベース音に載せて滑りこんでくるニイアの歌声は、
ダブル・ベッドのまっさらなシーツに、長い足と腕を差し込んで、
身体を引き寄せてくる長身の美女を想像させます♡
(ジャケットからの妄想)

シャーデー・アデュをホウフツとさせるクール・ビューティ、
と思いきや、繊細な歌声のままに、振り絞るように歌う曲もある。
それでも、歌の表情はどこまでも軽やかで、歌いすぎの感を与えない。
デビュー間もない頃のジョニ・ミッチェルに、ちょっと似た印象もあったりして。

幼い頃からクラシック・ピアノと歌を習い、ハイ・スクールの頃には、
ジュリアード大学院やバークリー大学のプログラムに参加して、
ニュー・ヨークのニュー・スクール大学に進んで、ジャズ・ヴォーカルを専攻したとのこと。
大学在学中にワイクリフ・ジョンと出会い、ちょうど十年前の07年に、
ニーアをフィーチャリングしたワイクリフのシングルがヒットして、話題になったんだとか。
経歴そのまんまの音楽性を聞かせてくれます。

生演奏ぽいドラムスの音や、選び抜かれたシンセの音色、美麗なストリングスと、
どこまでもスタイリッシュなプロダクションに、スキなどありません。
プロデュースはロビン・ハンニバル。どおりでライに似てるわけだわ。
安心して身を任せ、酔いしれましょう。

Niia "I" Atlantic 560036-2 (2017)
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J-R&Bのネクスト・ステージ RIRI

20170709_RIRI.jpg

これ、17歳の女子高生が歌ってるの!?
ま・じ・で・す・か。
うおぅ、ついに日本にも、ジョス・ストーンみたいな才能が登場したってか。

いやあ、びっくりさせられましたねえ。
CDショップのR&Bコーナーの試聴機にセットされていた、新人女性歌手のEP。
は? なんで洋楽フロアに日本人の女のコのCDが入ってんの?
なんて思いながら、ボタンを押したら、脳天に雷落ちました。

こんな衝撃は、宇多田ヒカルの「Automatic」のMVを、
深夜放送の音楽番組で初めて見た、あの時以来。
偶然にも、あの時TV初登場だった「Automatic」を目撃したぼくは、
あわてて「宇多田ヒカル」とメモして、リリースの日を待ったんですが、
無名の新人のデビュー・シングルを心待ちにしたなんて経験、生涯あの1回こっきり。
のちに空前のブームが巻き起こるなど、その時点では想像だにしませんでした。
その「Automatic」ショックに匹敵する衝撃を、
RIRIの『RUSH』におぼえましたよ。

思い起こせば、ゼロ年代あたりからでしたかね。
R&Bを歌う新人シンガーが、それ以前の日本のR&Bとは、
一段も二段もレヴェルの上がった歌を聞かせるようになったのは。
本場アメリカとヒケをとらない歌に、
「うほ~、カッコいい。さすが、若い人は違うねぇ」と思いつつも、
身銭切ってCDを買おうとまで思わせる人は、残念ながらいませんでした。

やっぱり、うまいねえ、だけでは、心は震えんのですわ。
どんなに本場モノに迫るといっても、イミテイトだけじゃ満足できません。
うまいだけなら、イギリスにだって、カナダにだって、
それこそ今や、韓国や香港やマレイシアにだって、R&Bシンガーはいますよ。

ですが、このRIRIは、違いましたね。イミテイトを超したサムシングがある。
繊細な歌い出しから、一気に歌い上げるダイナミクスの大きな歌唱、
その若さに似合わぬ豊かな表現力が、さまざまな表情をみせ、聴き手を翻弄します。
もちろんそのマナーは、さまざまなアメリカの先達から吸収したものではあっても、
このコ自身の中からあふれ出るパッションが、
まごうことなき、オリジナルの輝きを放っているんですね。
わずか11歳で出場したデイヴィッド・フォスターが主催したオーディションで、
なんとファイナリストに選ばれたという実力は、ケタ違いです。

RIRI I LOVE TO SING.jpg

あまりの衝撃に、昨年出したというデビューEPもあわてて買ってみたんですが、
これまた、爆発せんばかりの歌いっぷりにノックアウトされました。
もう、歌いたくて歌いたくて、歌わずにはおれないといった気持ちが、
アルバム中からほとばしり出ています。
上滑りしてるくらいの感じが、いいじゃないですか。胸に響きますよ。

英語詞も日本語詞も分け隔てのないクリアなディクションで、
身体ごとぶつけてくるような歌いぶりは、歌のスキルを超え、
圧倒的な説得力をもって迫ってきます。
この時で16歳なのかあ。空恐ろしい才能、というより、
むしろこの若さ、デビュー当初だからこその輝きを捉えた、
逸品といえるんじゃないですかね。

このトンデモな才能のナマ声を聴きに、
タワーレコード新宿店のインストア・ライヴに行ってきました。
すんごい。ホンモノだわ、このコ。
リハーサルの歌い出しの第一声で確信しました。
笑顔がチャーミングなことといったら♡♡♡
十代特有の屈折なんて、関係ないって感じ。
MCを聞いていても、女子高生とは思えぬしっかりとしたトークで、
きちんと躾けられたことのわかる言葉づかいに、大好感。

いずれビッグになって、ドーム・クラスのハコで歌うシンガーに成長するはず。
デビュー間もない時期に目前で拝んだことは、将来貴重となるかも。

RIRI 「RUSH」 The Mic-A-Holics Inc. TMAH0002 (2017)
RIRI 「I LOVE TO SING」 The Mic-A-Holics Inc. TMAH0001 (2016)
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ノースウェストのソウル王 アンディ・ストークス

Andy Stokes  FULL CIRCLE.jpg

おぉ、再プレスされたか!
去年の秋にリリースされたアンディ・ストークスの新作EP。

これが極上の内容なんですけど、
リリースまもなくソールド・アウトになってしまい、ずっと入手できず。
日本に入ってきた形跡もなく、
これを欲しがっている黒汁マニアさんも、結構いるんじゃないかしらん。
アマゾンのウィッシュ・リストに入れておいたら、
気付かないうちにオーダー可能になっていて、喜び勇んでポチりました。

ポートランドのファンク・バンド、クーラーの
リード・シンガーとして80年代後半から活躍してきたアンディ・ストークス。
すでにヴェテランの域にあるシンガーで、
「ノースウェストのソウル王」とも称されるこの人、歌えるんですよ。

もろにインディを思わせる、手抜きジャケット・デザインが悲しいんですけれど、
K-Ci&ジョジョやジョニー・ギルを手掛けた
ラルフ “ファントム” ステイシーがプロデュースを務め、
プロダクションにインディの弱みはありません。
流麗なステッパーズ・ナンバーで聞かせるソウルフルなノドなど、
スムースなR&Bサウンドにのせて歌う、黒光りするこの声にヤられます。

あっという間の、7曲25分42秒。
フル・アルバムも期待したくなりますねえ。

Andy Stokes "FULL CIRCLE" New5 no number (2016)
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猟師を称えるヨルバのチャント オグンダレ・フォヤンム

Ogundare Foyanmu  E KU EWU OMO.jpg   Ogundare Foyanmu  VOL.3  IJA ORE MEJI.jpg
Ogundare Foyanmu  VOL.5  IKINI NILE YORUBA.jpg   Ogundare Foyanmu  VOL.7  OMIYALE.jpg
Ogundare Foyanmu  VOL.9  OLODUMARE.jpg   Ogundare Foyanmu  VOL.11  ITANIJI.jpg

オラトゥボシュン・オラダポは、ヨルバ文化に根差した詩人、劇作家であり、
ブロードキャスターや音楽プロデューサーとしても活躍した人。
77年にヨルバの口承芸能専門のレーベル、オラトゥボシュン・レコーズを立ち上げ、
数多くのヨルバの伝統芸能の録音を残してきました。

オラトゥボシュン・レコーズからは、
ダダクアダのオドライェ・アレムのアルバムがまとまってCD化され、
あらためてヨルバの伝統音楽の妙味を堪能しましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-05-17
イジャラのオグンダレ・フォヤンムのCDも出ていることを最近知りました。

オグンダレ・フォヤンムは、36年オヨ州オボモショの出身で、
イジャラというのは、ヨルバの猟師の音楽です。
猟師の音楽というと、マリ、ワスル地方の猟師結社ドンソの音楽、
ドンソ・ンゴニが連想されますけれど、
ヨルバのイジャラは火、鉄、戦いの神であるオグンを祀っています。
「オグンダレ」という名前が、オグンへの崇拝を表わしていますね。

猟師の勇気を称えるイジャラのチャントは、
メロディらしいメロディがなく、ほとんど語り物に近いといえます。
トーキング・ドラムが伴奏につくものの、
ダダクアダのように当意即妙なかけあいは聞かれず、
スウィング感たっぷりのリズムもありません。
トーキング・ドラムは、お囃子が追唱する脇で、
控えめに合いの手を入れる程度のもので、ほとんど目立たないんですよね。

正直なところ、ヨルバ語を解さない者には、イジャラの面白味を感じ取るのは難しく、
さすがのヨルバ音楽好きのぼくも、今回入手したオグンダレ・フォヤンムの6タイトルは、
1回聴いただけで、たぶん棚のこやしになりそう。
ずいぶん昔に買った第4集と、ほとんど同じでしたね。
ほかのイジャラのアーティストでは、
アカンビ・アケロヨというすごいダミ声の人のLPを持っていますけれども、
音楽的に楽しむというところまで、なかなか行き着きません。

というわけで、ディープなナイジェリア音楽ファンにも、あまりおすすめはできませんが、
こんなヨルバの口承芸能もあるという、イジャラのご紹介でありました。

Ogundare Foyanmu "E KU EWU OMO" Olatubosun ORCLP90
Ogundare Foyanmu "VOL.3 : IJA ORE MEJI" Olatubosun ORCLP103
Ogundare Foyanmu "VOL.5 : IKINI NILE YORUBA" Olatubosun ORCLP118
Ogundare Foyanmu "VOL.7 : OMIYALE" Olatubosun ORCLP120 (1980)
Ogundare Foyanmu "VOL.9 : OLODUMARE" Olatubosun ORCLP168
Ogundare Foyanmu "VOL.11 : ITANIJI" Olatubosun ORCLP187
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エストニアの祝祭感 トラッド。アタック!

Trad.Aack!  AH!.jpg

トラッド方面は、できるだけ歌の素の味を愉しみたいというキモチが強いので、
トラッド・ロックは苦手です。クラブ・マナーなエレクトロ仕立てとか、
プログレ方面にサウンドが向かうのも、御免こうむりたいですね。
ドラムスが入ると、ヤボったくなると思ってるもんで、
よほどセンスのよい使い方をしていない限り、満足できないんですよ。
昔から、フェアポート・コンベンションすらダメという、
狭い器量の持ち主なもんで、すんません。

で、エストニアのこの3人組。
ロック・バンドと変わらないドラム・セット、かき鳴らし系アクースティック・ギター、
残る女性がバグパイプ、口琴、ソプラノ・サックス、ホイッスルを持ち替えて演奏するという
変則トリオで、そっからして、自分向きじゃないなと思ってたんですが、
意外や意外、面白かったです。

エレクトリックな意匠がないところも個人的嗜好に合いましたけど、
半世紀ほど昔のエストニア女性が歌ったアーカイヴ音源をサンプリングして、
曲を組み立てるというアイディアが面白い。
それらの音源は、エストニアの伝統的な歌い手によるもので、
メンバーのギタリストのお婆さんの録音も使われています。

1曲目のお婆さんが唱えるバター作りの呪文が面白くって、
この曲のヴィデオがYoutubeにもあがっていますけど、とってもユニークな仕上がりです。
ほかにも、治癒のための歌など、
メロディのない呪文めいた語りのサンプル音源を練り込んでは、
ユニークなサウンドづくりをしていて、聴きものです。

北欧的なダークさがなく、解放感のあるダンス・ミュージックが中心で、
リズムが多彩なところにも興味をひかれました。

Trad.Attack! "AH!" Nordic Notes NN068 (2015)
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アラブ式オペラを開拓したアラブ歌劇場のパイオニア サラマ・ヒジャズィ

Salāma Ḥigāzī  PIONEER OF THE ARAB MUSICAL THEATRE.jpg

レバノンのアラブ音楽保存調査財団AMARから新作が届きました。
今回も、アラブの文芸復興運動ナフダが盛り上がった、
19世紀後半から20世紀初頭のエジプトで活躍した歌手の復刻で、
サラマ・ヒジャズィ(1852-1917)の3枚組になります。

エジプト古典歌謡のアーカイヴというと、アラブ近代歌謡の道を拓いた
サイード・ダルウィッシュ(1892-1923)までは容易にさかのぼれても、
それ以前の歌手の録音となると、なかなか耳にすることができず、
かろうじてぼくが長年頼りにしてきたのが、87年にオコラが出した
“ARCHIVES DE LA MUSIQUE ARABE VOL.1” でした。

ARCHIVES DE LA MUSIQUE ARABE VOL.1  Ocora.jpg

これまでAMARが復刻したアブドゥル・ハイ・ヒルミや
ユースフ・アル・マンヤーラウィも、このオコラ盤にはちゃんと収録されていて、
今回のサラマ・ヒジャズィも収録されています。
今あげた3人の単独復刻は、AMARが初ではなく、
90年にクラブ・デュ・ディスク・アラブAAAが出していましたけれど、ぼくは未入手。
AAAのムハンマド・アブドゥル・ワハーブやウム・クルスームあたりは
買いましたけど、それ以前の歌手にまではとても手が回りませんでした。

さて、今回も充実した解説が付いていて、それによるとサラマ・ヒジャズィは、
ムアッジン(コーラン詠み)から世俗歌手に転向した人だということが書かれています。
のちに劇団に歌手として引き抜かれて歌劇と深い関わりを持ち、
エジプトからシリアやチュニジアまで巡業して名声を高め、
歌劇場のパイオニアという役割を担った人だったんですね。

のちにサイード・ダルウィッシュが、
近代歌謡の旗手として短い生涯にもかかわらず名声を残せたのも、
サラマ・ヒジャズィが西洋近代化の波が押し寄せたエジプトで、
歌劇場という場をアラブ古典音楽の実験場として切り拓き、
アラブ式オペラを開拓した前史があったからこそだったんですね。

歌劇場からアラブ大衆歌謡の基礎はスタートして、
のちにレコード、ラジオ、映画というメディアの発達によって、
近代アラブ音楽の黄金時代を迎えることとなるわけですけれど、
そのまさに出発点といえるのが、本作に収録された録音ということになります。

音源は、ドイツのオデオン社によって1905年から1911年にかけて
録音された50枚以上のSPで、組ものの長編の曲も収録されています。
音質はかなり貧弱とはいえ、サラマ・ヒジャズィの歌声は、
アブドゥル・ハイ・ヒルミにも通じるナマナマしさがあり、
ヒジャズィの歌劇を観覧した当時の人々が、
物語のあらすじや俳優の演技よりも、ヒジャズィの歌を聴きに行ったというのも、
なるほどとうなずける、メリスマの技巧も鮮やかな歌声を堪能できます。

Salāma Ḥigāzī "PIONEER OF THE ARAB MUSICAL THEATRE" Arab Music Archiving & Research Foundation P1131193
Muhyiddin Ba Yun, Muhammad Al-Ashiq, Yusuf Al-Manyalawi, Ali Abd Al-Bari, Salama Higazi, Abd Al-Havy Hilmi and others "ARCHIVES DE LA MUSIQUE ARABE VOL.1" Ocora C558678
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ターボ・フォークは姐御におまかせ エマ・エマ

Ema Ema.jpg

お! ぼく好みのターボ・フォーク、来たぁ。

クラリネットとサックスがぶりぶりと、バルカン独特のコブシをつけて吹きまくれば、
アコーディオンが仄暗い情念を秘めた妖しい旋律を奏でる。
まっこと、いいですなあ、これぞバルカンであります。

ハスキー・ヴォイスのエマ・エマさん、変わった芸名でいらっしゃいますが、
迫力満点の身体つき同様、歌もパワフルそのもの。
見得を切るような節回しもキレよく、説得力を持って迫ってきます。
歌いぶりは熱くても、歌は暑苦しくなく、爽快感さえあります。

アップ・テンポで迫る曲ばかりでなく、
ギリシャ歌謡やトルコのハルクふうのスロー・ナンバーもあり、
多彩なレパートリーとなっているところがいいですね。
抒情味あふれるスローでも、情熱的に歌うエマ・エマにグッときますよ。
エキゾなムードが横溢するクレズマーのようなワルツもいいなあ。
全8曲、わずか28分にも満たないミニ・アルバムなんですけれど、
1曲1曲にそれぞれ趣向が凝らされ、充実したプロダクションとなっています。
ストリングスもオーケストラ並みの大人数をフィーチャーしていて、ゴージャスです。

やっぱ、ターボ・フォークの歌手は姐御肌でないと。

Ema Ema "EMA EMA" Grand Production CD692 (2016)
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テクノ・ホロン参上 ギュルセレン・ギュル

Gülseren Gül  MAVİŞİM.jpg

トルコ北部黒海沿岸の伝統舞踏、ホロンにぶったまげたのが2年前。
民俗的な伝統舞踏が、そのまんまトランス・ミュージック化してしまうという、
その強烈にキテレツな音楽のあり様に、ノックアウトされたんでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-07-27

その後話題が話題を呼び、現地絶賛品切れ中だったエミネ・ジョメルトも、
日本からの熱烈オーダー呼びかけで再プレスが実現し、
今年になり、めでたく日本盤がリリース。
ちまたでは、ホロン病患者が続出しているとか(ウソです)。

どうやらエミネ・ジョルメトの“HOLON” をリリースしたAK・システムが、
テクノ・ホロン(当方の勝手な命名です)を量産する代表的なレーベルらしく、
このレーベルから出た04年の旧作を今回たまたま手に入れたんですが、
これまた見事なテクノ・ホロンぶりに、ノケぞってしまいました。

すでに十年以上も前から、
ウチコミとケメンチェのフリーキーなインプロヴィゼーションがくんずほぐれつする、
テクノ・ホロンが存在してたんですねえ。
打ち込みの隙間をウネウネと暴れ回るベース・ラインがこれまたテクニカルで、
ヒプノティックなトランスを誘います。

このアルバムは、そうした高速ホロンと、
いわゆる普通のトルコ民謡らしいスローなハルクとが交互に収められています。
エミネ・ジョルメトのように、徹頭徹尾ホロンで迫りまくるといった内容ではないとはいえ、
スローなハルクも5拍子だったりと、
黒海地域のリズムが生かされていて、一筋縄ではいきません。

去年の暮に、ダウード・ギュロールがホロンをやっていたのを再認識しましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-12-26
欧米のプロデューサーたちは、まだホロンを発見していないのかな。
オネスト・ジョンズやグリッタービートあたりが取り上げたら、
ホロンも、シャンガーン・エレクトロやコロゴみたいに注目されると思いますけどねえ。

Gülseren Gül "MAVİŞİM" AK Sistem no number (2004)
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芸術ぶった大衆歌謡の矜持 プナール・アルティノク

Pınar Altınok  DORUKTAKI ŞARKILAR.jpg

19世紀から20世紀に移らんとするオスマン帝国末期。
そのSP時代に栄えた古典歌謡を再興しようとする近年の傾向は、
「トルコ古典歌謡のルネサンス」と呼ぶにふさわしいものといえます。
その中心的レーベルともなったのが、
トルコ航空も後押しするアラトゥルカ・レコーズですね。

こうした新しい傾向が生まれる以前のトルコ古典歌謡といえば、
大編成のオーケストラをバックに、大仰な歌い回しで歌う、
わざとらしさ満点な歌謡音楽といったイメージが強かったですからねえ。
女装したゼキ・ミュレンがその典型で、
20世紀後半にサナートというジャンル名で呼ばれるようになった古典歌謡は、
いにしえの古典歌謡、シャルクと呼ばれた軽古典とはまったく異質の、
大衆歌謡がいびつに芸術化した音楽でした。

シャルクが小編成の室内楽的な伴奏で歌われる、
軽妙で爽やかな味わいを持つものであったことは、
初期のゼキ・ミュレンや、さらに昔のSP時代の録音が復刻されるまで、
気づくことができませんでした。

20世紀後半に、シャルクからサナートと称する芸術音楽に変質したのは、
1923年のオスマン帝国崩壊とともに野に下った帝国の宮廷楽士たちが、
イスタンブル新市街のナイトクラブを根城として大衆歌謡化した音楽に、
「芸術音楽」と称して箔を付けるための演出であって、
いわば宮廷楽士のプライドでもあったのでしょうね。

重々しいオーケストラが、やたらともったいつけて長ったらしい前奏をつけ、
やっと歌が出てきたかと思えば、聴き手を脅かすように声を張り上げたりと、
サナートはまさにケレンだらけの音楽になったんでした。
そんなことから、ここ最近のトルコ古典歌謡のルネサンス傾向の音楽を、
サナートと呼ぶのはふさわしくないんじゃないかと思うようになったきっかけが、
タルカンが昨年出した話題作“AHDE VEFA” でした。

なんと本作は、ミュニール・ヌーレッティン・セルチュークに、
サーデッティン・カイナクといった古典歌謡曲を、
ポップスの貴公子タルカンが取り上げた驚きのアルバムだったんですが、
最近の新傾向マナーではなく、
女装ゼキ・マナーのサナートを踏襲した内容だったんですね。
なるほど、旧態依然としたサナートも健在なんだなと、
あらためて気づかされたというわけです。
そういえば、ザラのアルバムも、同じように昔ながらのサナートでしたよね。

で、そのタルカンもザラもスルーしていた当方でありますが、
プナール・アルティノクというこの女性歌手のサナート作には、
ひっかかるものがありました。
オーケストラは厚ぼったいし、歌いぶりもケレン味たっぷり。
だけれど、なぜか惹かれるのは、強力な歌唱力がこれみよがしではなく、
歌い手として昇華したものを感じさせるからでしょうか。

芸術ぶった大衆歌謡が、必ずしもイヤらしくならないのは、
歌手が歌に殉じる、その透徹した美意識が表出するか否かにかかっているのかも。
そんな思いにとらわれた一枚です。

Pınar Altınok "DORUKTAKI ŞARKILAR" Elenor Müzik no number (2014)
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