So-net無料ブログ作成
前の30件 | -

ジャジー・ヨルバ・ポップ アデデジ

Adédèjì  ÀJÒ.jpg   Adédèjì  AFREEKANISM.jpg

こりゃまたスゴイ才能が、ナイジェリアから出てきたなあ。

洗練されたサウンドは、ジャジーでポップ。
そのくせメロディは、めちゃくちゃヨルバ臭いという、得難い個性。
ヨルバ版ラウル・ミドンといったら、一番わかりやすいかな。
本格的なジャズ・ギターも聞かせる才人なのであります。
12年のデビュー作を聴いて、こんな人がいたとは仰天。ずっと気付かず、ごめんなさい。

去年ティワ・サヴェイジとダレイにやられて、
ヨルバ音楽の未来は、もうジュジュやフジなんかじゃなく、
ナイジャ・ポップこそにあると確信したばかりのところに、
アデデジを知って、その波は確実に大きくなってきたのを実感します。
といっても、ナイジャ・ポップにはR&Bやヒップホップの単なる焼き直しも多いので、
その中に、どれだけヨルバなりイボなりの民俗性を発揮しているかがポイント。
欧米でヒットしたから注目するとかじゃなくて、自分の耳で聞こうよ、みんな。

その意味でアデデジは、ティワ・サヴェイジやダレイ以上に、ヨルバ色濃厚。
“Night And Day” のメロディを借用した“Odun Ayabo” のセンスに脱帽です。
アメリカン・スタンダードのメロディと、ヨルバ独特のメロディが入り混じり、
英語とヨルバ語で入れ替わりで歌うという、面白いトラックです。
「ナイジャポップ」ならぬ“Naijazz” とキメた曲では、
ギター・ソロとユニゾンでスキャットするジョージ・ベンソンばりのプレイを披露。

アーバンなジャジー・ソウルの“Jojolo” では、
トーキング・ドラムをバックにコーラスのレスポンスがインタールードで差し挟まれたり、
リオーネル・エルケをフィーチャーしたハイライフ・ナンバーまでありますよ。
途中、コーラスとコール・アンド・レスポンスをするパートのメロディは、
ハイライフではなく、完全にジュジュですね。

今年になってリリースされた、2作目にあたる2枚組新作は、
デビュー作の取組みを、さらに深化させたものとなっています。
ディスク1は、トーキング・ドラムの乱打で始まる
エドゥマレ(全能の神オロドゥマレ)賛歌でスタート。
2曲目の“IBA” は、アクースティック・ギターを核に、トーキング・ドラムほかの
パーカッション・アンサンブルが活躍するオーガニックなサウンドのジュジュ。
編成こそ40年代の電化前のジュジュだけど、このセンスは新しい。
ニュー・ソウルを通過した若者ならではのセンスだね、まいったなあ。

“Iyawo Ori Aja” は、オーランド・ジュリウスをゲストに迎えた本格的なハイライフ。
トーキング・ドラムのドラム・ランゲージを、
カリンバで演奏するアイディアには、脱帽。こういうセンスに、この人の才能が光ります。
アフロ・ファンクの“If You Don't Like To Fink (IYDL2Funk)” では、ウルマーよろしく
♪Jazz is the teacher, funk is the preacher ♪ なんて歌ってます。
アルバム・ラストも、トーキング・ドラムを中心とする
パーカッション・アンサンブルをバックに歌うコール・アンド・レスポンスで、
クールに締めくくっています。

ディスク2の聴きどころは、4曲目の“Ija Ominira” でしょう。
アフロビートをジャズ化したようなアフロ・ファンク・ジャズで、
フェラ・クティのナレーションをコラージュし、
ギターを弾き倒しているアデデジのソロが白眉。
さらに5曲目“Felasophy” でも生前のフェラのインタヴューをバックに流しながら、
アデデジはオーソドックスなスタイルのジャズ・ギター・ソロを披露しています。

演奏力の高さ、アレンジの緻密さは、ナイジェリアのミュージシャン随一といえ、
これほどジャズ・センスのある人は、初めてじゃないですかね。
今すぐブルーノートで公演したって、ぜんぜん不思議じゃありません。
ロンドンとオランダのカレッジでジャズを学んだ経歴を持ち、
ジョージ・ベンソン、ウェス・モンゴメリー、チャーリー・パーカー、サニー・アデ、
フェラ・クティの影響を受けたという音楽性をそのままに発揮しているアデデジは、
ギリシャのアテネにも活動拠点を置き、
ヨーロッパとナイジェリアを行き来しながら、活動中です。

Adédèjì "ÀJÒ" no label no number (2012)
Adédèjì "AFREEKANISM" Dejafrique Music no number (2017)
コメント(0) 

おばあちゃん子のヌーラ・ミント・セイマリ

Noura Mint Seymali_Tzenni.jpg   Noura Mint Seymali_Arbina.jpg

この夏来日した、モーリタニアの女性グリオ、ヌーラ・ミント・セイマリに取材して、
ムーア音楽の旋法体系を、大づかみながら理解できたのは、大収穫でした。

これまでムーアのグリオの古典的名盤であるオコラ盤の解説や、
ポール・コラール/ユルゲン・エルスナー著『人間と音楽の歴史 北アフリカ』などで、
ムーア音楽の旋法の基礎知識はあったものの、
資料ごとに内容が違っていたり、いまひとつピンとこないところもあったんですよね。
ヌーラの説明を聞いて、それまで漠然としか理解できなかったものが、
ようやくなるほどと腑に落ちたのでした。

ヌーラが語ってくれたムーア音楽の旋法体系については、
今月号の『ミュージック・マガジン』のインタヴュー記事をお読みいただくとして、
この時の取材で面白かったのが、ヌーラのおばあちゃん子ぶり。

ヌーラのインターナショナル・デビュー作“TZENNI” のジャケットで
意外に感じたのが、世界的に有名な継母のディミ・ミント・アッバの写真を載せず、
父親のセイマリ・ウルド・アフメド・ヴァルと祖母のムニナの写真を載せていたことでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-09-26

ディミ・ミント・アッバの威光を借りるのを、よしとしないからなのか、
インタヴューでもディミについて言葉少なだったのに比べ、
父と祖母については、たくさんの思い出を喋ってくれました。

Musique Maure.jpg

なかでも、祖母ムニナへの敬愛は相当なもので、
取材に持参したレコードと写真集が、ちょっとした騒ぎになりました。
レコードは先に挙げたオコラ盤LPで、
A面2曲目に収録されている女グリオの Mouninna は、
ヌーラの祖母ではないかと思ってヌーラに示したところ、大当たり。

先日出たばかりのシャルル・ドゥヴェル写真集にも、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-07-14
ムニナの別のショットがあったので、それも一緒に見せると、
ヌーラばかりでなく、同席していたギタリストのご主人ジェイシュ・ウルド・シガリ、
ドラマーのマシュー・ティナリ3人とも身を乗り出して、大興奮。
めいめいがスマホを取り出し、写真を撮りまくり、取材が中断してしまいました。

LP Photo Book Mounina.jpg

3人とも、ムニナの写真もレコードも初めて見たとのことで、むしろぼくの方がびっくり。
これまでヨーロッパやアメリカでさんざん取材を受けているだろうに、
このムーア音楽の名盤LPをヌーラに見せた人は、誰もいなかったのか。
まさか日本で祖母の写真を見るとはと、ヌーラは感無量そうでしたけれど、
これほどのリアクションは予想外で、重たい写真集を持っていった甲斐がありましたよ。

“TZENNI” に載っていたムニナの写真は、サングラスをかけていて
顔がよくわかりませんでしたけれど、オコラ盤のムニナの写真は、
ヌーラと顔立ちがそっくりなうえ、歌声まで似ているのだから、間違いようがありません。

ムニナはモーリタニアの紙幣にもなったという、
ドラマーのマシュー・ティナリの発言に、取材から帰って調べてみると、
なるほど旧1000ウギア札にアルディンを弾くムニナが描かれていて、
透かしにも、正面を向いたムニナの姿がデザインされていました。
ムニナは、モーリタニアを代表する名グリオとして、
ディミ・ミント・アッバ以上の存在だったんですね。

Banque Centrale de Mauritanie, 1000 ouguiya.jpg

シャルル・ドゥヴェルがモーリタニアでフィールド録音した音源は、
のちにプロフェット・シリーズから、CD3タイトルでリリースされましたけれど、
残念ながらムニナの録音はCDに収録されず、未CD化です。
オコラ盤LPも現在では入手が難しくなっていまいましたが、
ムニナの吟唱“Vagho” は、Youtube で視聴可能です。
ちなみに、Vagho は曲のタイトルではなく、「ヴァフォ」というモードの名称で、
オコラ盤LPの曲タイトルは、すべてモード名になっていました。

MB1415.jpg   MB1419.jpg

取材を終えてひと月後、偶然にも、ムニナのレコードを2枚見つけました。
入手したのは、モロッコのブシフォンから出たEPで、
調べてみると、ブシフォンからは以下のLP5枚も出ているんですね。
KAR MTAMASS (MB19)
FAKO TAMAJOUGA (MB20)
LAKHAL (MB21)
LABYAD AKOURASS (MB22)
LABTAYT AADAL (MB23)
LPはカヴァーなしのいわゆる白ジャケですが、EPにはスリーヴが付いていました。

Noura Mint Seymali "TZENNI" Glitterbeat GBCD016 (2014)
Noura Mint Seymali "ARBINA" Glitterbeat GBCD038 (2016)
[LP] Sidi Ahmed El Bakay Ould Awa, Mouninna, Ahmedou Ould Meïddah, Les Griots De L’Emir Du Tagant "MUSIQUE MAURE" Ocora OCR28
[EP] Si Daty et Mounina "INALI MAOULANE KARIMANE / YA OUGUI" Boussiphone MB1415 (1966)
[EP] Si Daty et Mounina "IDA HAKA" Boussiphone MB1419 (1966)
コメント(3) 

アソウフが映す乾いた情感 ムドゥ・モクタール

Mdou Moctar  SOUSOUME TAMACHEK.jpg

珍しくサヘル・サウンズの新作が、CDリリースされました。
このレーベルはデジタル配信と限定アナログのリリースがメインで、
めったにフィジカルを出さないので、ひさしぶりです。
マリのトゥアレグ人バンド、アマナール以来じゃないかしらん。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-05-30

アマナールのCDはすでに入手不可能のようで、
本当にごく少量(100枚程度?)しか生産していないんでしょうね。
サヘル・サウンズのCDは、リリース直後に買わないと、
すぐ売切れ御免になってしまうので、要注意であります。

リリースされたのは、ニジェールのアガデスを拠点に活動する、
トゥアレグ人ギタリスト、ムドゥ・モクタールのアルバム。
ニジェールのトゥアレグ人ギタリストというと、
ボンビーノが世界的に有名になりましたけれど、
ムドゥ・モクタールはボンビーノより8歳年下で、まだ30歳そこそこの若手。
左利きのギタリストです。

13年にサヘル・サウンズから配信とアナログでデビュー作を出し、
14年配信のみのセカンドをリリース、
15年ムドゥ主演の映画のサウンドトラック
(トゥアレグ版『パープル・レイン』!)を経て、
17年、3作目にして初CDリリース(配信・アナログもあり)と相成ったわけですね。

目元をぐわっとアップで捉えた白黒写真が印象的なジャケットは、
デビュー作のロー・ファイなトゥアレグ・ロックとも、
セカンドのドラム・マシーンやシンセを多用した、
チープなエレクトロ仕立てとも違う予感を、漂わせていますね。

つぶやくようなヴォーカルで内省的な歌を聞かせる、
アクースティック・ギターの弾き語りをベースに、
エレクトリック・ギターやカラバシ、コーラスも自身で多重録音した、
ムドゥ・モクタール完全独奏の渋いアルバムとなっています。
ドローンを奏でるリズム・ギターと、ひたすらループする
リード・ギターのフレーズに幻惑され、沈み込んでいくような トランスに誘われます。

ムドゥの声が軽やかなせいか、ディープな感覚は乏しいですが、
トゥアレグ独特の乾いた哀感が伝わってきて、胸に沁みます。
これがタマシェク語で郷愁、憧憬、思慕、切なさを意味する、<アソウフ>なのでしょう。
デザート・ブルースでよく目にする assouf というワードは、
<サウダージ>に相当するトゥアレグ音楽にとって重要なキーワードですね。
秋の宵に、ゆっくりと聴きたい一枚です。

Mdou Moctar "SOUSOUME TAMACHEK" Sahel Sounds SS043 (2017)
コメント(0) 

ピアノ・トリオ+ビッグ・バンド フロネシス

Phronesis  THE BEHEMOTH.jpg

今年のジャズはヴィジェイ・アイヤーでキマリと、勝手に認定してますけど、
それにしても、こんなにジャズが面白くなるなんて、
ちょっと前には想像もつきませんでしたねえ。
ジャズ新作を買わなくなり、専門店からも足が遠のいていた時期が長かっただけに、
ひさしぶりに通い出すようになると、店の品揃えがガラッと変わっていて、
隔世の感というか、なんだかすごく新鮮です。

で、目下のお気に入りが、フロネシスというイギリスのピアノ・トリオ。
ピアノ・トリオといっても、
リーダーはデンマーク出身のベーシスト、イエスパー・ホイビーで、
イギリス人サックス奏者ジュリアン・アーギュロスの指揮・編曲による、
ドイツの名門フランクフルト・ラジオ・ビッグ・バンドとの共演作となっています。

ピアノ・トリオの演奏と、ビッグ・バンドのオーケストレーションを絡ませた編曲が絶妙で、
木管楽器を多用した厚みのある豊かな響きが、楽曲の魅力を引き立てています。
手数の多いアントン・イーガーのドラムスが、複雑なリズムをいとも軽やかに押し出し、
アイヴォ・ニームが紡ぐ込み入ったフレーズと絡み合って緊張感を生み出すところに、
ビッグ・バンドのハーモニーが雄大なサウンドスケープをもたらしていて、
いやあ、ぐっときますねえ。

息つかせぬ展開に汗握る場面など、ドラマティックなアレンジが効果的で、
現代的なビート・センスのピアノ・トリオが、カラフルなビッグ・バンド・サウンドを得て、
スケールの大きなサウンドを生み出しているんですね。
このピアノ・トリオの他のアルバムは聴いたことがないんですが、
ピアノ・トリオだけでは、このスケール感は出ないはずです。

ハード・ドライヴィングなインタープレイのあとに、抑制を利かせたオーケストラの
ハーモニーのパートをバランスよく配する構成には、降参というほかありません。

Phronesis "THE BEHEMOTH" Edition EDN1085 (2017)
コメント(0) 

狂おしいレディ・ソウル ミズ・アイリーン・リネー

Ms Irene Renee  UBIQUITOUS SOUL.jpg   Ms Irene Renee SERENDIPITOUS EXPERIENCE.jpg

ここのところネオ・ソウルぽいサウンドを耳にすることが多くて、妙な気分。
だって、ネオ・ソウル華やかりし頃には、あんまり興味を持てなかったもんだから。
サウンドには惹かれても、歌いぶりとか、声そのものがどうも苦手な歌手が多くて、
世間では大絶賛のシンガーにまったく反応できず、ほとんど素通りしてきただけに、
なんで今頃と、我ながら思ってマス。

で、また出会ってしまった1枚。
ニュー・ヨークで活動するシンガー、ミズ・アイリーン・リネーの2作目。
じっくりと歌うバラードでの、零れ落ちんばかりの情の深さにノックアウトされたのでした。
内に秘めた炎が、メラメラと燃えているのを感じさせるレディ・ソウル。
けっしてシャウトしないからこその狂おしさというか、
一語一語に託した思いが、ぐいぐいこちらに迫ってきて、ムネアツになりますよ。

こういうじわじわと迫るように歌う歌手は、
それこそレディ・ソウル盛んな70年代には珍しくありませんでしたけれど、
いまでは貴重な存在じゃないですかねえ。
『どこにでもあるソウル』なんて奥ゆかしいタイトルは、自信の裏返しなのか、
イマドキ、そんじょそこらにはないですよ。

すっかりこの新作にマイってしまい、
UK・ソウル・チャートでトップ10にランク・インしたという
デビュー作“SERENDIPITOUS EXPERIENCE” も聴いてみましたが、
アイリーンの歌いぶりは新作同様。本物の実力派シンガーですね。
ただし、プロダクションの完成度は、新作には及ばず。
それほどこの2作目は、歌・プロダクションともにパーフェクトです。

Ms Irene Renee "UBIQUITOUS SOUL" D.A.P. no number (2017)
Ms Irene Renee "SERENDIPITOUS EXPERIENCE" no label no number (2013)
コメント(0) 

ブラジルのシャバダバ・コーラス エジガル・エ・オス・タイス

Edgar E Os Tais.jpg

祝CD化。

ジスコベルタスがやってくれました。
ブラジリアン・スキャットの名盤として、
その筋のファンから絶賛されていた、ジャズ・ボサ・ヴォーカル・グループ、
エジガル・エ・オス・タイスの70年RGE盤です。

ブラジルのレア・グルーヴとして、一時期とんでもない値段が付けられてましたけど、
今はそんな狂騒も過ぎ去って、落ち着いた頃でしょうか。
そんな頃にぽろっとCD化されるというのも、フツーの音楽ファンには喜ばしいこと。
ばかばかしい高額盤には手を伸ばさなかった賢明なみなさま、
安心して楽しみましょう。レア度だけで騒いでたDJは、どうせ買わないだろうから。

エジガルことアントニオ・エジガルジ・ジアヌーロは、職人肌のギタリスト。
64年にファルーピニャから出したギター・インスト盤(乞CD化)でデビューし、
本作からもわかるとおり、ギタリストである以上にアレンジの才能が豊かな人でした。

ホーン・セクションを贅沢に配し、管楽器のソロも交えながら、
スウィンギーな演奏を繰り広げているんですが、
これがよくアレンジされてるんですよねえ。
短いソロがどれもキマっていて、これ、全部書き譜なんじゃなかろうか。
エレピやオルガン、ギターも、ここぞというところに、きっちり顔を出すんだから、
もう憎ったらしいったら、ありゃしない。これぞプロのお仕事ですね。

そんな最高の伴奏にのって、キャッチーな男女混成コーラスがフィーチャーされ、
シャバダバな高速スキャットがのるんだから、もうたまりません。
セルジオ・メンデスが好きなポップス・ファン、ソフト・ロック好き、
幅広くポップス・ファンにオススメです。

Edgar E Os Tais "CANTÁRIDA" Discobertas DBSL011 (1970)
コメント(0) 

ギネアのサップなギタリスト モー!クヤテ

Moh! Kouyate  LOUNDO.jpg   Moh! Kouyate  FE TOKI.jpg

秀逸なジャケット写真が印象的だったモー!クヤテの前作。
フランスのファッション誌から飛び出してきたようなデザインに、
ウェスタナイズしたアフリカ人モデルといった風情で写っているものだから、
さぞやフランス人受けをねらったサウンドかと思いきや、
これが直球のマンデ・ポップで、そのフレッシュさに頬がゆるんだのでありました。

モー!クヤテは、77年、ギネアの首都コナクリ生まれ。
クヤテ姓からわかるとおり、グリオの出身で、
セク・ベンベヤ・ジャバテやウスマン・クヤテなどギネアの名ギタリストに憧れる一方、
サンタナ、B・B・キング、ジャンゴ・ラインハルト、ベン・ハーパーなどの
ギター・テクニックを学んできたというギタリストです。
フランスに渡り、ファトゥマナ・ジャワラやバ・シソコの伴奏を務めたあと、
14年にデビューEPをリリースし、15年に初のフル・アルバム“LOUNDO” を出しました。

グリオ出身らしいマンデの伝統と、ロック、ブルース、ジャズから学んできた
ポップ・センスが無理なく同居していて、フランス人チェロ奏者ヴァンサン・セガールや
イギリス人歌手ピアーズ・ファッチーニとの共演曲もしっくりしていて、
マンデ・ポップのアイデンティティを何ひとつ損なうことなく、
グローバルに通用するポップスに仕上げているところが嬉しいアルバムでした。

ここには、世界的な成功を収めたアマドゥ&マリアムが見失ったものがありますね。
成功を収めて以来のアマドゥ&マリアムのアルバムは、
欧米のファンを意識して、ますますオーヴァー・プロデュースになっていて、
新作も、ヨーロッパ人好みのサウンドに装飾したプロダクションで、ヘキエキとしました。
そこへいくと、モー!クヤテのポップなプロダクションは、地に足がついています。

新作は、しなやかなサウンド・テクスチャーが光る、
洗練されたポップさに溢れたアルバムに仕上がっていて、前作を上回る出来。
ヒット性高そうな“Fankila” は、キャッチーなリフが本国ギネアでもウケそうだし、
ラストの哀愁味溢れるマンディングらしいスロー・ナンバーでは、
マカン・トゥンカラのンゴニ、セク・クヤテとモー!クヤテのギター二重奏が
織り成すアンサンブルに、カクシ味のように響かせたオルガンが妙味となっています。

しばらく聞かない間に、マンデ・ポップのサウンド・プロダクションも、
欧米サウンドへのアクセスの流儀がすっかり成熟したのを実感します。
モー!のファッションのサップールぶりにも、それが示されていますよね。
その自然体なモーの音楽に比べると、最新スタイルのサウンドへ擦り寄る
アマドゥ&マリアムは、あざとくすら聞こえてしまうなあ。

Moh! Kouyaté "LOUNDO (UN JOUR)" Foli Son Productions FOLISON811 (2015)
Moh! Kouyaté "FÉ TOKI" Foli Son Productions FOLISON927 (2017)
コメント(0) 

アフロフューチャリズムの偉才 ピエール・クウェンダーズ

Pierre Kwenders  LE DERNIER EMPEREUR BANTOU.jpg   Pierre Kwenders  MAKANDA.jpg

バロジ以来の逸材を発見しました。
85年、コンゴ民主共和国の首都キンシャサに生まれ、
16歳の時に母親とカナダへ移住した、
ピエール・クウェンダーズことジョゼ・ルイ・モダビ。
14年のデビュー作が、いきなりカナダ最大の音楽賞、ジュノー賞の
ワールド・ミュージック最優秀アルバムにノミネートされたという才人です。

今回2作目となる新作リリースで、この人を初めて知り、
話題のデビュー作ともども聴いてみたんですが、
いやあ、スゴイ才能だわ。この音楽性の豊かさはハンパない。
ヒップホップ、R&B、ハウスを縦横無尽に織り込んだトラックに、
コンゴの豊かなリズムが太い根っこになっているところが頼もしく、
カラフルなビートには、アフリカならではのポリリズムが息づいています。

ラップトップ世代であることを強烈にアピールするサウンドづくりには、
ジョニー・クレッグやイヴォンヌ・チャカ・チャカなど、
80年代南ア音楽からの影響も大とのこと。
こんなハイブリッドなアフロ・エレクトロニック・サウンドは、
コンゴ国内からはまず出てこないでしょう。
「フューチャリスティック・ポスト=ルンバ・エレクトロ=ファンク・グルーヴ」という、
コケオドシな形容詞を並べた評も、あながち大げさではありませんね。

デビュー作は、ルンバの要素皆無。
それなのに、強烈にコンゴ臭がするのは、
リンガラ語やルバ語が生み出すビートのせいでしょうか。
ケイジャン・フィドルをカクシ味にした“Mardi Gras” や、
アフリカ神話でおなじみの水の精霊マミ・ワタをタイトルにしたトラックなど、
さまざまなメッセージがこのアルバムには秘められているのは間違いなく、
バロジはじめ、多くのアフリカのラッパーをフィーチャーした話題性より、
注目すべきは、クウェンダーズの音楽性の方でしょう。

新作の方は、ギターや親指ピアノもフィーチャーして、
コンゴリーズ・ルンバを思わせるトラックも出てきますが、
そこにさらにサックスやストリングス・セクションをフィーチャーするなど、
この若者のクリエイティヴィティには、感心せざるを得ません。
インタヴューでは、自身の音楽をワールド・ミュージックと括られることに反発していて、
これだけ豊かな音楽性を持つ彼なら、その反発心もよくわかります。

欧米発のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに影響されたアフリカン・ポップスは、
アフリカの音楽性をミジンも持ち合わせていないクドゥロから、
南ア大衆音楽の伝統をうまく生かしたものも一部にはあるクワイトまで、
はっきりいって玉石混交。近年話題のゴムも、クドゥロ同様、現地消費用音楽で、
フォロー不要と割り切ってしまいたくなるところなんですが、
なかには南アのスポーク・マサンボのように、
突き抜けた才能を発揮する音楽家もいるので、なかなか無視もできません。

この方面の音楽は、デジタル・リリースが主流ですけど、
クウェンダーズはフィジカルでもリリースしていて、好感度大。
スポーク・マサンボの新作も、早くフィジカル化してくれないかなあ。
それはさておき、アフロフューチャリズムの偉才、
アフロ・ディアスポラのピエール・クウェンダーズに要注目です。

Pierre Kwenders "LE DERNIER EMPEREUR BANTOU" Bonsound BONAL037CD (2014)
Pierre Kwenders "MAKANDA" Bonsound BONAL054CD (2017)
コメント(0) 

トーゴリーズ・ファンク降臨 トーゴ・オール・スターズ

Togo All Stars.jpg

うぉう、ボトムが利いてるねえ。
セヴンティーズを意識したオールド・スクールなサウンドなれど、
この重量感あるリズム、これぞアフリカン・ファンクの醍醐味じゃないですか。

オランダから届いた、トーゴ・オール・スターズを名乗るアルバム。
ミュージシャン14人に、アディショナル・ミュージシャン4人の名前が
クレジットされていて、トーゴのロメで録音されています。

プロデュースとアレンジは、セルジュ・アミアノ。
アミアノは、フランス、モンペリエのアフロビート・バンド、ファンガを結成した
アフロビート~アフロ・ファンクに通じた人物。
数年前からトーゴのロメに拠点を移し、このプロジェクトに専念していたんだそうです。
ファンガの前作からアミアノの名が消えていたのは、そういうことだったのか。

フロントにヴェテラン・ハイライフ・シンガーのアゲイ・クジョーに、
「トーゴのジェイムズ・ブラウン」と称される
若手のダマ・ダマウザンの二人を立てているように、
往年の時代を知るヴェテランと若手を組み合わせたプロジェクトで、
70年代サウンドの再現ではなく、70年代のトーゴの貧弱な機材や録音設備では、
やろうとしても出来なかった、ファットで厚みのあるサウンドを実現しています。

最近70年代トーゴのソウルのシングル集が出ましたけれど、
聴き比べてみれば、それがよくわかるはずです。
本作は後ろ向きの回帰でも、レトロでもないんですね。

70年代に活躍したファンク・バンド、ブラック・デヴィルのフロントで活躍した、
伝説的なシンガー、ナポ・デ・ミ・アモールをラストに起用したのも、
往年のトーゴ人ファンにとっては、感涙ものなんじゃないかな。

曲ごとに形式が書かれていて、「アフロ・ファンク」が一番多いんですが、
エヴェ人の伝統的なダンス・リズムのアクペセやアグバジャをファンク化した、
「アクペセ・ファンク」「アグバジャ・ロック」もあり、
「ファンキー・ハイライフ」と「アフロビート」も1曲ずつあります。

ホーンズの鳴りっぷりも逞しく、
今日びこれほど野性味あふれるファンクは、なかなか聴けるもんじゃありません。

Togo All Stars "TOGO ALL STARS" Excelsior EXCEL96499 (2017)
コメント(0) 

セーシェルのアフロ・クレオール・ミュージック グレース・バルベ

Grace Barbe  Kreol Daughter.jpg

拙著『ポップ・アフリカ800』の選盤で泣く泣く外したCDが、
最近エル・スールに入荷したのを、常連のお客さんのツイートで知りました。
ひさしぶりに目にしたもので、懐かしくなって、
CD棚からひっぱり出して聴き直したんですけど、う~ん、いいアルバムですねえ。
ああ、やっぱり入れたかったなあ。悔しさがまた込み上げてきます。

いい機会なので、ここで取り上げておこうかな。
インド洋のセーシェル出身の女性歌手、グレース・バルベのアルバムです。
6歳の時に母親とともにオーストラリアに移住し、その後またセーシェルに戻り、
現在は西オーストラリアのパースに暮らして、歌手活動をしています。
セーシェルとオーストラリアを行き来したことによって、
故郷のセーシェルのアフロ・クレオール・ミュージックに自覚的になったんでしょうね。

セーシェルの歌手というと、フォークぽいシンガー・ソングライターばかりが目立ち、
教会系の健全フォークといった感じの退屈なアルバムが多いんですけれど、
この人の08年のデビュー作は、違いましたね。
1曲目からグルーヴィなアフロビートが飛び出すので、ちょっとびっくり。
続く2曲目は、メロディカをフィーチャーした
オーガスタス・パブロばりの本格的なレゲエで、
セーシェルのひ弱なフォーキー・サウンドとはまるで違っていて、
おおっと思ったものでした。

歌声もアンジェリーク・キジョーばりのファットな感触があって、
イマドキの女性シンガー・ソングライターにありがちな線の細さがなく、好感触。
「クレオール娘」とその心意気や良しといったタイトルも好ましいんですが、
全体にレゲエ色が強く、セーシェルのアフロ・クレオール性が
はっきりと打ち出されていないのは、惜しい気がしました。

Grace Barbe  Welele!.jpg

ところが13年に出した2作目で、
セーシェルのアフロ・クレオール・ミュージックであるセガとムティヤを前面に押し出し、
これこそ「クレオール娘」の名にふさわしいアルバムに仕上げていたんですね。

オープニング・ナンバーのタイトルは、ずばり「アフロ・セガ」だし、
タイトル曲はセーシェル独自のアフロ・リズム、ムティヤで聞かせるんだから、
セーシェル・クレオールで攻めてます。
有名なセーシェル民謡“Mous Pran Fler” をセガにアレンジし、
ルンバ・マナーのギターとアニマシオンをフィーチャーするアイディアも、ニクイばかり。
このグレースの2作目が『ポップ・アフリカ800』に入れたかったアルバムで、
今回エル・スールに入荷したCDです。

デビュー作・2作目ともに、イギリス、ソールズベリー出身のギタリスト、
ジェイミー・サールが音楽監督を務め、グレースと曲を共作しています。
2作目の方では、グレースの妹のジョエル・バルベがドラムスを叩いています。
ソングライティングはいいし、アレンジばっちり、
プロダクションもしっかりしているという、申し分ないディレクションで、
う~ん、やっぱり、ブライアン・マトンベじゃなくて、
こっちに差替えるべきだったかなあ。

Grace Barbé "KREOL DAUGHTER" MGM Distrubution no number (2008)
Grace Barbé "WELELE!" Afrotropik no number (2013)
コメント(0) 

クインシー・ジョーンズの後継者 テラス・マーティン

20170927_Terrace Martin_Velvet Portraits.jpg   20170927_Terrace Martin_Sounds Of Crenshaw Vol.1.jpg

9月はグレッチェン・パーラト、ムーンチャイルドとライヴ三昧だったんですが、
最後にテラス・マーティンで打ち止め。

ケンドリック・ラマーにスヌープ・ドッグのプロデューサーとして、
脚光を浴びまくっているテラス・マーティンですけれど、
アルバムの方はなんだかスムース・ジャズみたいで、
この人の本領は、ナマを観なければわからなさそう。
そんな予感があって、9月27日ビルボードライブ東京のセカンド・ショウに足を運びました。

さすが、ロサンゼルスのジャズ・シーンと西海岸のヒップホップ・シーンを横断する才人。
テラスの音楽性は、フュージョン以前のジャズ・ロック~クロスオーヴァー、
ずばり70年代のハービー・ハンコックのファンク路線にあると思うんですけれど、
その基本から、ジャズ~R&B~ヒップホップへ多面的に発展していった
ブラック・ミュージックを、再統合したようなサウンドが全面展開されたのでした。

ヴォコーダーを操り、サックスをブロウするその所作をみていても、
やりたいようにやっているという自由さがあって、バンドを引っ張っていく力だけでなく、
その中で悠々と自分を表現する力量の大きさが示されていましたね。
もちろん自信のなせる業なんでしょうけど、
かつてのマイルズみたいな、おっかない親分といった存在感ではなくて、
曲間の長いMCも含め、気の置けないやんちゃな仲間みたいな気分が横溢していて、
テラスの笑顔に象徴されるリーダーシップに、古今を感じました。

ブラック・ミュージックのヒストリーをエンターテインメントで包んだ上に、
隣のあんちゃん的な気安さでもって提示することのできる才能。
ブラック・ミュージックを過去から未来に繋ぐ才人。
彼こそ、クインシー・ジョーンズの後継者といえるんじゃないでしょうか。

Terrace Martin "VELVET PORTRAITS" Ropeadope no number (2016)
Terrace Martin Presents The Pollyseeds "SOUNDS OF CRENSHAW VOL.1" Ropeadope RAD363 (2017)
コメント(0) 

小粋なキューバン・スウィング ボビー・カルカセース

Bobby Carcasses.jpg

こりゃあ、面白い。この人、どういう人なの?
キューバのエンタテイナー歌手なんですか、へぇ、初めて知りました。
ブラジルのカウビ・ペイショートに続いて、
老練なヴェテラン歌謡歌手のアルバムを聞くというのも、なんだか奇遇ですねえ。

外交官の家に生まれたボビー・カルカセースは、38年キングストン生まれ。
一家はボビーが4歳の時にキューバに戻り、
56年にボビー・コジャーソのヴォーカル・カルテットでプロ・デビューしたシンガー。
アフロ・キューバンにジャズをミックスした、ジャイヴィーな味のあるジャズ・シンガーで、
マルチ奏者でもある多芸なお人なんですね。
チューチョ・バルデース、エミリアーノ・サルバドールと共に、
60年代以降のキューバン・ジャズのスタイルを決定づけた功労者なんだそうです。

御年78歳になるわけですけれど、ジャケットを見ると、そんなお歳には見えませんね。
キューバ新世代として活躍中の息子ロベルト・カルカセースがプロデュースした本作は、
オリベル・バルデース(ドラムス)、ホルヘ・レジェス(ベース)、
フリート・パドロン(トランペット)、マラカ(フルート)といった、
現代キューバを代表するトップ・プレイヤーたちが勢揃いしています。

ベニー・モレーをモチーフにした1曲目のボビーのオリジナル曲から、
エリントンの「キャラバン」にボビーが詞を付けた“Caravana”、
「テンダリー」「ナイト・イン・チュニジア」といったジャズ・チューンのほか、
ティト・プエンテとデイブ・バレンティン他がアレンジした、
ペドロ・フローレスの“Obsesión” まで取り上げています。

ソフトで軽快にスウィングする歌い口で、スキャットも鮮やかに決め、
いや~、粋じゃないですか。
フロアでレディと踊りたくなりますよ。
ラストはボーナス・トラック扱いの“Son De La Loma”。
かの古典ソンのスタンダード・ナンバーを、
全編ア・カペラのスキャットで歌うとは、降参です。

Bobby Carcassés Y Afrojazz "BLUES CON MONTUNO" Bis Music CD1141 (2017)
コメント(0) 

ブラジル大衆歌謡歌手の矜持 カウビ・ペイショート

Cauby Canta Dick Farney.jpg

あの世に逝く前、最後にこんなふうに歌えたら、歌手人生も本望だろうなあ。
そんな思いを抱いた本作は、亡くなるわずかひと月前のレコーディングという、
カウビ・ペイショートの遺作です。

16年3月に本作のレコーディングを終え、
5月3日にリオでアンジェラ・マリアとステージで歌ったのを最後に、
そのわずか12日後の5月15日、肺炎で息を引き取ったというのだから、
急なことだったようですね。

カウビ・ペイショートというと、ちりちりヘアのルックスからして、
いかにも俗悪なブラジルの大衆歌謡歌手というイメージが強くて、
正直、これまでまともに聞いたことがありませんでした。
ロベルト・カルロス同様、本国では絶大な人気歌手でも、
ブラジル音楽好きの日本人が、無視するタイプの歌手といえます。

それなのに、このアルバムに手を伸ばす気になったのは、
大衆歌謡歌手らしからぬアーティスティックなレーベル、
ビスコイト・フィーノからのリリースだったこと。
そして、プレ・ボサ・ノーヴァの時代に、粋なクルーナー歌手として活躍した、
ぼくの大好きなディック・ファーニー(ジッキ・ファルネイ)のカヴァー集という企画に、
ソソられたからなのでした。

幼い頃ナット・キング・コールに憧れて歌手になったというカウビ・ペイショートは、
典型的なアメリカナイズされたポップス・シンガー。
今回あらためて経歴を調べてみたら、
50年代半ばにアメリカに進出して成功し、タイム誌やライフ誌に
「ブラジルのエルヴィス・プレスリー」と書かれるまでになり、
57年には、アメリカで初のポルトガル語で歌ったロックン・ロールのレコードを
出していることがわかりました。
なんと、シロ・モンテイロの従兄弟だったんですね。

ブラジルに帰国してからは、ナイトクラブを中心に、
ロマンティックな歌を歌うショー歌手として活躍した人で、
ぼくの視界にまったく入らなかった歌手です。
晩年もナット・キング・コールや
フランク・シナトラのカヴァー集を出していたようですけど、
ラスト・レコーディングがディック・ファーニーのカヴァーでなければ、
カウピのアルバムを買うことは、一生なかったでしょうね。

いかにもクラブ歌手といった雰囲気の歌い口ではあるんですが、
若い頃のキザったらしさや、大仰な歌いぶりは影をひそめ、
枯れた味わいがディック・ファーニーのジャジーな歌にぴったりで、
イヤミのないダンディさが、ほどよいムードを醸し出しています。
ピアノ・トリオにサックスとギターを加えた伴奏も申し分ありません。

老いらくの恋を歌うには、こういうオールド・スクールな歌い口がよく似合うというか、
ロマンティック歌手のひとつの理想像を見るかのようで、
80越えて、こんな歌を歌えたら、いいもんだと思いますよ。

Cauby Peixoto "CAUBY CANTA DICK FARNEY" Biscoito Fino BF466-2 (2017)
コメント(2) 

目が覚めるショーロ チアーゴ・ソウザ

Tiago Souza.jpg

うひゃー、このリズムのキレ!
ボーっとしてた頭が、一瞬にしてシャキッと目が覚めました。
のっけからシャープなバンドリンに驚かされたのは、
エポカ・ジ・オウロのバンドリン奏者ロナルド・ド・バンドリンの息子
チアーゴ・ソウザのデビュー作です。

ジャケットに写る主役のルックスは優等生ぽく、ファッションもイケてないというか、
なんかいまひとつだなあと思いながら聴き始めたせいか、
出音イッパツで、椅子から転げそうになっちゃいました。

オープニング曲がチアーゴ自作のオリジナルなんですけど、
一瞬変拍子の曲かと思わせるような、複雑なリズムのシカケがある曲で、
おおっと前のめりになっちゃいました。
でも、いわゆるアミルトン・ジ・オランダのような
プログレッシヴなインスト・ナンバーではなく、まぎれもなくショーロなんですよね。
テクニカルな作曲能力と、ショーロ本来の味がちゃんと同居しているところが憎いなあ。

オリジナルは冒頭曲のみで、ほかはナザレーのような古典曲に、
マウリシオ・カリーリョ、ルシアーノ・ラベーロ、ペドロ・アモリン、
ゼー・パウロ・ベケールなどのショーロ・ナンバーを取り上げています。
どんなレパートリーでも、リズムが立っていて、
バンドリンの粒立ちの良い響きが鮮やか。
アルバム全編から、若々しさが溢れ出ていて、まばゆいほど。

曲ごとに編成も多彩で、ドラムスが入る曲もあれば、
トランペット、トロンボーン、バス・クラリネットなどの管楽器が加わる曲、
チェロ、アコーディオン、ヴァイオリンをフィーチャーした曲など、さまざま。
参加メンバーも豪華で、総勢40人近い名前がクレジットされています。
ヤマンドゥ・コスタ、ニコラス・クラシッキ、アレサンドロ・クラメルに、
お父さんのロナルドもいますよ。

ソンふうのトランペットを配した「ショーロ・クバーノ」なんておちゃめなナンバーや、
バイオーンとマラカトゥをミックスしたようなノルデスチ満開な曲もあり、
とにかく楽しめること間違いなし。
若手だからこそのフレッシュなショーロ・アルバムです。

Tiago Souza "DE SOSLAIO" Discmídia no number (2017)
コメント(3) 

ブラジルのコンテンポラリー・ジャズ最高峰のグループ ルデーリ

Ludede  RETRATOS.jpg   Ludere.jpg

ルデーリの新作が出ました。
ルデーリは、バーデン・パウエルの息子フィリップ・バーデン・パウエルのピアノに、
ギリェルミ・リベイロのアルバムでもプレイしていたダニエル・ジ・パウラのドラムス、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-12-06
ルビーニョ・アントゥネスのトランペット、ブルーノ・バルボーザのベースの4人組。
ブラジルのコンテンポラリー・ジャズ最高峰のグループと呼ぶのに、
なんのためらいもありません。

昨年リリースしたデビュー作が鮮烈で、
従来のブラジリアン・ジャズとはステージの違う、
世界標準の新世代ジャズのセンスを持っていることに驚かされました。
抜きんでたリズム表現、作曲能力の高さ、濃密なサウンド・アプローチ、
卓越したソロ・ワークと、どこを切っても、現代のジャズのエッセンスが充満しています。

パリ生まれ、ドイツ育ちのフィリップ・バーデン・パウエルをのぞき、
全員サンパウロのミュージシャンなのですが、
彼らの演奏には、ブラジル音楽の要素は見当たりません。
サンバやボサ・ノーヴァ、北東部など地方のリズムがまったく出てこないどころか、
参照すらされていないので、ルデーリの演奏を聞いて、
ブラジル人とわかる人は、まずいないんじゃないかな。
フィリップ・バーデン・パウエルのソロ作では、
ブラジリアン・ジャズらしい楽想も見受けられるんですけれど、
ルデーリではブラジルを封印しているかのようです。

今回の新作は、弦楽四重奏をゲストに迎えているところが聴きどころ。
アンサンブルが生み出すフック・ラインを、
弦楽四重奏が加わることで、より濃密なものにしています。
リズムの崩しも巧みなルビーニョのトランペット・ソロや、
現代ジャズ的な訛りのあるリズム・フィールを持ったダニエル・ジ・パウラの
サウンドに流れを生み出していくドラミングが、すごくイマっぽい。
う~ん、ライヴを観てみたいですねえ。

Ludere "RETRATOS" Blaxtream BXT0011 (2017)
Ludere "LUDERE" no label no number (2016)
コメント(0) 

リズムの偉才、爆発 ヴィジェイ・アイヤー

Vijay Iyer Sextet  Far From Over.jpg

わ~お♪
こういうフォーマットで聴きたかったんですよ。
3管入りのセクステットとなったヴィジェイ・アイヤーの新作。
ずっとピアノ・トリオの作品が続いていて、
リズムの鬼ヴィジェイの凄みは、そこでも十分発揮されていたとはいえ、
もっと大きな編成で聴いてみたいと思っていたもんだから、願ったりかなったり。

どういうメンバーを集めたのかとクレジットをみれば、
トランペットにグレアム・ヘインズ、アルト・サックスにスティーヴ・リーマン、
ドラムスにタイショーン・ソーリーを起用しているじゃないですか。
こりゃあ、すごい。俊英を揃えましたねえ。

M-Base の影響大なヴィジェイにとって、グレアム・ヘインズはうってつけだし、
ぶっといトーンでぶりぶり吹きまくる期待の若手、
スティーヴ・リーマンを起用したのも嬉しいですねえ。
そして、マーカス・ギルモアから交替したドラマーが、
そのリーマンと一緒にプレイしているタイショーン・ソーリーなんだから、
こりゃあ期待が高まるってもんです。
半年前に“MISE EN ABÎME” を愛聴していたばかりなので、嬉しさ倍増。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-02-12

レーベルがECMなので、
ヴォリュームをいつもの13から20へと上げて、プレイ・ボタンを押したんだけど、
オープニングのピアノの音量がちっちゃすぎて、聞こえやしない。
まったく、どんだけ音圧低いんだよ、ECM。
ひとりごちながら、さらにヴォリュームを26まで上げると、
3管のユニゾンから一気に爆発。どひゃーあ、来た、来たぁ~!

数学的なリズム使いは、ヴィジェイのリズム探究の賜物ですけれど、
反復/垂直的なM-Base を、加算的に変化させていくヴィジェイのリズム使いには、
やっぱりこの人、インド人だよなと思わずにはおれません。
時間軸に水平移動してリズムを動かしていくところなんて、
インド古典音楽のリズム・サイクルであるターラと同じ発想だもんねえ。
それが、ジャズのアフリカ起源的な垂直方向に動かすリズムとレイヤーして、
新しいポリリズムとグルーヴのあり方を提示しているかのようで、ドキドキしてきます。

ピアノ・トリオだと、
数理的なリズム・オリエンテッドな演奏が前面に押し出されますけれど、
今回は3管、ピアノ、ドラムスそれぞれのソロが大暴れして、
マッシヴなジャズの快楽を味わえる、ヴィジェイの最高傑作です。

Vijay Iyer Sextet "FAR FROM OVER" EMI ECM2581 (2017)
コメント(2) 

ビルマ大衆歌謡の黄金時代 コー・アウンジー

Ko Aunt Gyi  A KAUNG TA A KAUNG SONE TAY (1).jpgKo Aunt Gyi  A KAUNG TA A KAUNG SONE TAY (2).jpgKo Aunt Gyi  A KAUNG TA A KAUNG SONE TAY (3).jpg

先月、井口さんが出来立てほやほやのウー・ティンの新作CDを持って、
ヤンゴンのご自宅まで届けに行った際に見つけてきたというCD3枚。
井口さん、お土産、ありがとうございます。

コー・アウンジーという、初めて聞く名の男性歌手のアルバムで、
ベスト・アルバムが3タイトルも出ているほどなのだから、
相当有名な歌手なんだろうなということは、容易に想像がつきます。
井口さんによれば、最近亡くなったとのこと。

さっそく聴いてみると、50~60年代とおぼしき録音で、
これまでほとんど耳にすることができなかった、
ビルマ時代の大衆歌謡がたっぷり入っていて、大カンゲキ。
サイン・ワイン楽団が伴奏に付く古典歌謡と、
ラウンジーな大衆歌謡がごたまぜになっています。

録音時期にもバラツキがあり、3枚のアルバムに、
レパートリーも新旧録音もお構いなしに放り込んだといった編集ですね。
3枚それぞれ編集の意図があるようには思えませんけれど、
第1・3集は古典曲が多く、第2集は大衆歌謡中心のレパートリーになっています。
古典曲は8分を超す長尺のものが多く、なかには、伝統スタイルの伴奏と西洋風の伴奏が
交互にスイッチする、のちのミャンマータンズィンのような曲も聞けます。

コー・アウンジーは、メジャー曲では、晴れ晴れと伸びやかな歌声を聞かせる一方、
哀愁味のある曲では、情のある歌い回しで聴き手を引きつけます。
やわらかで甘いバリトンの声は耳に心地よく、
日本にも50~60年代は、こういう声の男性歌手が多かったような気がしますねえ。

アコーディオン、クラリネット、オーボエをフィーチャーし、
マラカスとクラベスがラテン・ムードを醸し出すナンバーや、
オルガンにブラシのドラムスのコンボ編成によるスウィンギーなナンバーなどは、
同時代のマレイシアのP・ラムリーやサローマを思わせます。
一方、アコーディオン、ギター、ヴァイオリン伴奏のポルカや、
オーケストラ伴奏による映画挿入歌ふうの曲などは、
「軽音楽の夕べ」といった雰囲気(若い人、わかります?)濃厚で、
昭和の香りが漂ってくるようじゃないですか。

この人のバイオを調べようと、ネットで検索してみたんですが、
今年の6月23日に亡くなったことくらいしかわかりませんでした。
CDのインレイを見ると、ギター、テナー・ギター、三味線(!)、
ピアノ、アコーディオン、オルガンを弾いていて、マルチ奏者でもあったようですね。

第2集のバック・インレイに、
ギターとバンジョーを弾く白人2人と一緒に写っている写真があり、
同じ時のものとおぼしき映像がYoutubeに上がっています。
それによると、二人の名は、スティーヴ・アジスとウィリアム・クロウ・フォードだそうで、
コー・アウンジーと共にビルマ語で歌っています。
3人の後ろには、膝の上に置いたバマー・ギターをスライドしているギタリストもいますね。

このあと、3人は「おお、スザンナ」をギター、バンジョー、パッタラーの伴奏で歌い、
続いてサイン・ワイン楽団が演奏するという共演風景も記録されています。
CDには収録されていませんが、どういう人たちだったんでしょう。

まだまだ未知のビルマ時代の大衆歌謡、
さらにさかのぼって、SP時代の録音も、ぜひ聴きたくなるじゃありませんか。
そんな好奇心を強烈にかきたてられた3枚でありました。

Ko Aunt Gyi "A KAUNG TA A KAUNG SONE TAY (1)" Rai no number
Ko Aunt Gyi "A KAUNG TA A KAUNG SONE TAY (2)" Rai no number
Ko Aunt Gyi "A KAUNG TA A KAUNG SONE TAY (3)" Rai no number
コメント(0) 

バマー・ギターの生き証人 ウー・ティン

U Tin  Virtuoso of Burmee Guitar.jpg

昨年のベスト・アルバムに、幻のビルマ・ギター(バマー・ギター)の名手、
ウー・ティンのアルバムを選ばなかったのは、泣く泣くだったんですよ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-08-06

演奏内容こそ、ベスト・アルバムとしてなんら不足はないものの、
井口寛プロデューサー個人の自主制作盤のため、一般に出回っていないことに加え、
まったく世間に知られていないバマー・ギターのアルバムなのに、
なんの解説もないという不案内ぶりは、
ベスト・アルバムとして選ぶのに、ちょっとどうかと、ためらってしまったからです。

ミャンマーの謎めいたギターに、長い間ずっと関心を寄せてきたぼくのような物好きが、
ここでいくら大騒ぎしても、このままでは一般に知られず、忘れ去られてしまう。
このアルバムの内容がどれだけ貴重で、
リリースされたことの意義深さを痛感しているぼくには、それがどうにもじれったく、
焦燥感に駆られてどうしようもなかったんですよね。

そんな後ろ髪を引かれる思いがあったので、
井口さんから、ウー・ティンの2枚目のCDを出そうと思っているとの連絡を受け、
ついては、解説を書いてもらえないかという依頼には、
合点!と、すぐさまお引き受けしたのでありました。

今作は前回のアルバムと同時期の録音ですが、ソロ・ギター演奏ではなく、
竹製の木琴パッタラーと女性歌手をフィーチャーしています。
古い大衆歌謡のなかで演奏されてきた、
かつてのバマー・ギターのスタイルをうかがわせる趣向となっているんですね。

ぼくがウー・ティンを知るきっかけとなったオランダPAN盤でも、
ヴァイオリンやツィターなどとの合奏3曲が収録されていましたけれど、
今回歌手が加わったことで、歌のメロディとギター・フレーズの対比が、
よくわかるようになりました。
世にもまれなるユニークすぎるスライド・ギターの妙技を味わうにしても、
完全ソロ演奏よりも、今回のように歌の伴奏として聞く方が、
ミャンマー音楽に不案内の人には耳馴染みやすいのではないでしょうか。

今回、井口さんが新作のリリースを考えたのは、
実は今年の春、ウー・ティンが脳梗塞で倒れたことがきっかけでした。
ウー・ティンが元気なうちに、早くCDを届けたいということで、
急遽制作されたのですが、先日出来上がったばかりのCDを
ミャンマーに届けにいったところ、予後が良く、ギターも問題なく弾いているとのこと。
もうギターが弾けなくなってしまったのではと心配していただけに、ほっとしました。

解説はぼくばかりでなく、ウー・ティンに弟子入りした柳田泰さんも書かれています。
世界中を見渡したって、こんなスライド・ギター、ミャンマーにしかありません。
ぜひ聴いてみてください。

U Tin "MUSIC OF BURMA VIRTUOSO OF BURMESE GUITAR -MAN YA PYI U TIN AND HIS BAMA GUITAR-" Rollers ROL004 (2017)
コメント(0) 

ポップ・マロヤに見るレユニオン史

Ote Maloya.jpg

インド洋レユニオン島で75年から86年に出されたシングル盤から、
マロヤのナンバーを選曲したコンピレーション。

サブ・タイトルに「エレクトリック・マロヤ」とあるように、
フランス人プロデューサーが海外向けに制作した伝統マロヤではなく、
現地のヒット・ソングとして聞かれていた、ポップ・ロック化したマロヤを集めているので、
ドス黒いパーカッション・ミュージックが苦手な人にも、
親しみやすいアルバムになっていると思います。
エレクトリック化したポップ・マロヤは、なんともローカルな味わいで、
垢抜けない電子楽器の使用もチープながら、ほほえましく聞けますね。

そして今回のストラット盤に驚かされたのは、32ページにおよぶライナーの解説。
いやあ、これはすごい勉強になりました。
セガを起源とするというマロヤ発祥の17世紀までさかのぼり、
マロヤの歴史を解説していて、これはマロヤ史の第一級の資料といえます。

これまでセガとマロヤは、別系統の歴史を持つとされていたのが、
マロヤがセガから生まれたという新説は、興味深いものがあります。
セガ=アフリカ+ヨーロッパ、マロヤ=アフリカ+スワヒリ+インドという理解が、
新たな視点によって新たな発見が生まれるかもしれません。

Georges Fourcade  LE BARDE CRÉOLE.jpg

このほか、ジョルジュ・フルカド(1884-1962)について、
1928年に“Caïamb Et Sombrère” のなかで、
「ポルカを踊るのは好きじゃない。ぼくが踊るときはマロヤで踊るのさ」と
いう歌詞があるという指摘にも驚かされました。
あわててタカンバ盤の“LE BARDE CRÉOLE” をチェックしてみると、
確かにはっきりと maloya と歌っています。
これまでジョルジュ・フルカドを、ヨーロッパナイズされた歌手とみなしていたので、
認識を改めさせられました。

マロヤ初のLPをレユニオン共産党が制作したことや、
のちにマロヤがプロテスト・ソングに組み込まれていくこととなった
レユニオンの政治状況なども、今回初めて知りました。
おかげで、ダニエル・ワロが共産活動家だったという背景が、ようやく理解できました。
ほかにも、マロヤの宗教音楽としての側面から、
セガとマロヤとが歌謡化していくなかで互いに影響していく関係などが、
具体的なエピソードで書かれていて、なるほどとうなずくことしきりでした。

世界遺産に指定されたことで、マロヤの伝統文化の面については、
広く知られるようになりましたけれど、大衆歌謡史という面からは、
ほとんど言及されてこなかっただけに、この解説はとても貴重なものです。
解説はナタリー・ヴァレンティン・ルグロとアントワーヌ・ティションのお二人。
ストラット、いい仕事してます。

Caméléon, Michou, Jean Claude Viadère, Ti Fock, Gaby Et Les Soul Men, Vivi, Maxime Laope, Gilberte and others
"OTE MALOYA : THE BIRTH OF ELECTRIC MALOYA IN LA REUNION 1975-1986" Strut STRUT151CD
Georges Fourcade "LE BARDE CRÉOLE" Takamba TAKA0105
コメント(0) 

アフリカと欧米の相互作用 ムサフィリ・ザウォーセ

Msafiri Zawose  Uhamiaji.jpg

ウィキペディアによれば、故フクウェ・ザウォーセの5番目の子供という、
82年生まれのムサフィリ・ザウォーセ。
90年12月にバガモヨのフクウェ・ザウォーセのお宅にうかがった時、
家にいっぱい子供たちがいたけど、あの中にムサフィリもいたんだろうか。
12月31日生まれというから、ちょうど8歳になる手前だったはず。

あんまり子供が多いので、「この子たちみんな、あなたの子供なの?」と聞いたら、
「そうだ」と答えるので、絶倫男かよと思ったもんですけど、
5番目の子供というのは、これいかに。
あの時の人数から考えれば、十何人目の子供のはずなんだけどなあ。

それはさておき、ムサフィリ・ザウォーセは、
ザウォーセ・ファミリーの中でも若手のせいか、リアル・ワールド盤や
ザウォーセ・ファイヴのフィンランド盤には参加していません。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-06-04
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-04-27

ザウォーセ・ファミリーからチビテにグループ名を変えてから、
ムサフィリもメンバーの一員となり、08年に日本にも来ているんですね。
なんとその時、ぼくはムサフィリと会っているはずなんですけれど、
8人もメンバーがいたので、どの人が誰やら、記憶に残っていません。

というわけで、はじめて聴くムサフィリ・ザウォーセのソロ・アルバム。
デジタル・リリースでは、何作か出しているようですけれど、
フィジカルはこれが初のはず。サウンドウェイからのリリースで、
サム・ジョーンズというイギリス人(?)とコラボした作品になっています。

見開きジャケット内のライナーに、
かつてフクウェ・ザウォーセとマイケル・ブルックスがコラボした“ASSEMBLEY” に
触発されたようなことが書いてあって、おいおい大丈夫かよと心配しましたが、
あんな史上最低最悪の作品とは比べ物にならない、
アフリカ人と欧米人互いの理解が進んだ作品に仕上がっています。

サム・ジョーンズは、アレンジ、シンセ、ローズ、ドラム・プログラミングを
担当していますが、ゴゴのリズムをよく理解したプログラミングを施していて、
ゴゴのグルーヴを強化しています。
ホーンズの起用や鍵盤の扱いも、サウンドを装飾するのにとどまらず、
ムサフィリが弾くイリンバやゼゼとがっちり組み合ってサウンドをレイヤーし、
より肉感的に仕上げることに成功しています。

アフリカ人と欧米人の共演は、こうであってほしいですよねえ。
互いの音楽性を理解しあい、しっかりと組み合うことで、
化学反応を起こすコラボにしなきゃ、共演の意味がありません。
フクウェ・ザウォーセとブルックの共演なんて、
ザウォーセはブルックの音楽に何の関心もないし、
ブルックはザウォーセの音楽をサンプリングのネタ扱いして、
好き勝手にイジリ倒すだけという、およそ共演などとは呼べないシロモノでした。

欧米側の先鋭的な音づくりでハッタリかましたり、
コンテンポラリーな味付けでサウンドを装飾するだけじゃダメ。
アフリカ側も積極的にプログラミングに関与して、
ハイブリッドな相互作用が起こらなければ、コラボは成功しません。
それをきちんと実現しているのが、本作です。

Msafiri Zawose "UHAMIAJI" Soundway SNDWCD122 (2017)
コメント(0) 

トニー・アレンのビートに追い付いたジャズ

Tony Allen The Source.jpg

トニー・アレンがアート・ブレイキーのトリビュート盤EPを
ブルー・ノートから出すという話を聞いた時は、
これは面白い企画を考えついたもんだなあと期待したんですが、
出来上がりは、予想に反し平凡な仕上がりで、ちょっと肩すかしでした。

トニー・アレンのドラミングは、古いハードバップ・スタイルまんまなところがあるので、
アート・ブレイキーをやるならバッチリと思ったわけなんですけど、
世間では、そんなふうにトニー・アレンを聴いている人はいないようで、
前にもピーター・バラカンさんのラジオ番組でそんな話をしたら、
ピーターさんもすごく意外そうな反応を示されたもんなあ。

でもねえ、言っときますけど、トニー・アレンって、フェラ・クティと活動する前は、
ジャズ・ドラマーだったんですからね。
だいたいトニー・アレンと出会った当時のフェラからして、
まだジャズに夢中になっていた時代で、
アフロビートを作り出すのは、もっとずっと後のことだったんですよ。

というわけで、せっかくブルー・ノートからリリースするのなら、
ジャズ・アルバムを作ればいいのにと思っていたので、
新作はまさに願ったりの作品に仕上がっていたのでした。
いやあ、これ、アレンのソロ作としては、
02年の“HOMECOOKING” 以来の大傑作じゃないですか。
あのアルバムとは、ぜんぜん性格が違いますけれども。

オープニングのチューバ、トランペット、サックスの合奏から、
いきなり引きこまれましたよ。
まるでギル・エヴァンスみたいなサウンド・オーケストレーションじゃないですか。
バックはどうやらフランス人ミュージシャンのようなんですが、
知っている名前が一人もいな~い。
トニー・アレンと並んで作編曲のクレジットに名を連ねている、
ソプラノ・サックス奏者のヤン・ジョンキエレヴィックスが、
どうやらキー・マンのようです。

オープニングの“Moody Boy” ばかりでなく、“Cruising” のホーン・アレンジにも、
ギル・エヴァンスの影響がはっきりと聴き取れますよ。
デューク・エリントンのオーケストレーションも、研究していそうだなあ。
5管編成のホーン・セクションの面々は、いずれも相当な実力者とみえ、
ダニエル・ジメルマンの呻くようなトロンボーン、
ジャック・イランゲのナマナマしいテナー・サックスには、耳をそばだてられます。
こういう管楽器の肉声を感じさせる鳴らしっぷりが、ぼくは大好物なんですよ。

達者なジャズ演奏などにするのではなくて、
ジャン=フィリップ・デイリーのピアノが転げまわったり、
ジャズ・マナーではないアフリカンなリズムを刻むギターを起用するところも、
トニー・アレンのドラミングとの相性をちゃんと考えていますよね。
ちなみに、このギタリスト、アンディ・ディボンゲはカメルーン人とのことで、
フランス人じゃないのは、この人だけなのかな。

ムラトゥ・アスタトゥケを連想させる“Bad Roads”、
トランペット・リフがディジー・ガレスピー・オーケストラを思わせる“On Fire”、
ニュー・オーリンズのマーチング・バンドのサウンドを借りたような“Push and Pull”
マイルズ・デイヴィスがアフロビートをやってるみたいな“Ewajo” など、
曲ごとにおおっと思わせる仕掛けが凝らされたアレンジに、脱帽です。

それでいて、アルバムを通して、アレンのドラミングを浮き彫りにした統一感があり、
ヴァーサタイルなミュージックとなった現代ジャズとしても、一級品の作品。
トニー・アレンのキャリアとしても、最高のセッションになりましたね。
ようやくジャズが、トニー・アレンのビートに追いついたんですよ。

Tony Allen "THE SOURCE" Blue Note 5768329 (2017)
コメント(2) 

爆撃から守られたソマリ音楽のアーカイヴ

SWEET AS BROKEN DATES.jpg

「ソマリ音楽のアーカイヴは、ちゃんと保存されている」
昨年来日したソマリランドのサハラ・ハルガンが、
ぼくにきっぱりと語ってくれたことが、忘れられません。

ソマリアの国営ラジオ局ラジオ・モガディシュに残された、
3万5千リールに及ぶ膨大な録音のデジタル化作業が
進行中ということは耳にしていましたが、
それとは別に、ソマリア北西部に位置するソマリランドにも、
オープン・リールとカセット・テープが大量に存在するという話を
サハラ・ハルガンから聞かされた時は、ちょっと興奮が抑えられませんでした。

ニュース映像などで、内戦でことごとく破壊された街を目にしてきた者には、
こんな状態で音源が残されたなんて、奇跡としか思えません。
ラジオ・ハルゲイサに勤務していたソマリランド初の女性ジャーナリストで、
現在ソマリランドの文化省副大臣の要職にあるシュクリ・アーメドが、
本作のライナーノーツで驚くべき秘話を明かしています。

ソマリア空軍の大規模な空爆が目前に迫っていた88年、
ラジオ・ハルゲイサの職員たちは、通信手段を破壊するために、
ラジオ局が標的となるのを見越して、空爆にも耐えられる地下深くに、
オープン・リールやカセット・テープを埋めたというのです!
空爆直前と思われる88年のハルゲイサ録音の曲も本作には収録されていますが、
ソマリの人々の決死の思いに、胸を打たれずにはおれません。

平和を取り戻してから掘り起こされた1万点を超すアーカイヴ音源は、
現在ラジオ・ハルゲイサとハルゲイサ文化センターに保管され、
デジタル化が進められています。
こうして内戦をサヴァイブした音源や、ジブチで録音された音源、
さらに国外脱出したソマリ移民がトロントやミネアポリスで録音した音源が集められ、
ヴィック・ソーホニーを軸に、一大プロジェクトでモガディシュ、ハルゲイサ、
ジブチ、さらに在外ソマリ社会での取材・調査を経て制作されたのが本作です。

ソマリアが平和だった70年代は、60年代ロンドンをホウフツとする
若者文化が開花した「スウィンギング・モガディシュ」の時代だったと、
ヴィックはライナーノーツで語っています。
ソマリの伝統音楽にスーフィーのプレイズ・ソングやカラーミなどのソマリ歌謡、
アラブ音楽、スーダン歌謡、インドのフィルムソングなど、
さまざまな音楽がミックスされて独自のサウンドを生み出したソマリ・ポップは、
ロックやソウル、ファンクと出会って、
より若い世代にマッチした新しいサウンドを獲得していったんですね。

ライナーノーツには、社会主義の革命政権下のソマリアで、
州がスポンサーとなって音楽家や演劇人などのアーティストたちが組織化され、
管轄下におかれた様子や、国立劇場で政府主催のコンサートや文化イヴェントが行われ、
多くの公営バンドが活動した往時の様子が、詳細に語られています。

ドゥル・ドゥル・バンドのように、国の庇護を受けず自由な活動を求めて活動した
民営のバンドもいたとはいえ、それはごくごくわずかだったんですね。
2年前に復刻された民営レーベル、ライト&サウンドの音源は、
音楽産業が育たず、国営ラジオ局にしかレコーディング設備のないソマリアでは、
例外中の例外だったということがよくわかります。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-12-16

本作のライナーノーツには、
これまでまったく情報のなかったソマリ・ポップの貴重な証言が満載で、
むさぼるように読みながら、胸の動悸が高まるのを覚えましたよ。
ソマリ・ポップへの長年の渇望を癒してくれた、超弩級のリイシュー。
ヴィック・ソーホニー、本当にすごい仕事をやってくれました。

Ethiopian  Groove  The Golden Seventies.jpg

思い起こすのは、かのフランシス・ファルセトが、
94年に初めてエチオピアン・ポップの黄金時代の録音復刻を手がけた
“ETHIOPIAN GROOVE - THE GOLDEN SEVENTIES” です。
あのアルバムが、のちの「エチオピーク」シリーズを始める
原点となったことを知る人は、今どのくらいいるでしょうか。
ぼくには本作が、あのアルバムとダブってみえるんですよ。

どうか本作がこの一作に終わることなく、
ソマリ・ポップ発掘の第二弾、第三弾と続くことを、切に願います。
ヴィックも意欲満々のようなので、期待できそうですよ。

V.A. "SWEET AS BROKEN DATES: LOST SOMALI TAPES FROM THE HORN OF AFRICA " Ostinato OSTCD003
V.A. "ETHIOPIAN GROOVE - THE GOLDEN SEVENTIES" Blue Silver 002-2
コメント(2) 

アフロ・ポップ・リイシュー・レーベルのニュー・カマー

SYNTHESIZE THE SOUL.jpg

ニュー・ヨークで新たに誕生したオスティナート・レコーズは要注目です。
カーボ・ヴェルデの70~80年代音源をコンパイルした
“SYNTHESIZE THE SOUL: ASTRO-ATLANTIC HYPNOTICA
FROM THE CAPE VERDE ISLANDS 1973-1988” は、
確かな審美眼をうかがわせる選曲で、
ずっと無視していたのを、深く後悔させられました。
この内容だったら、『レコード・コレクターズ』誌にも紹介すべきだったなあ。

ずっとスルーしていたのは、タイトルを見て、去年アナログ・アフリカがリリースした、
カーボ・ヴェルデのコンピレーションと同趣旨の内容と思い込んでしまったから。
あれ、しょうもないモンド盤だったもんなあ。
最近アナログ・アフリカがコンパイルするCDは、
先日出たカメルーンのマコッサのコンピレーションもそうでしたけど、
B・C級とすらいえない駄曲ばかりセレクトしていて、ウンザリさせられます。

カーボ・ヴェルデものも、チープなシンセを使い始めた時期の録音を、
「コズミック・サウンド」などと称して面白がっているような内容でしたよね。
こういうイロモノを見る目で、
アフリカン・ポップスにアプローチする態度って、ヤだなあ。
カメルーンのフランシス・ベベイを、宅録エレクトロ趣味で再評価するのとかさぁ。

というわけで、「シンセサイズ」「アストロ」「ヒプノティカ」といったフレーズを
タイトルに散りばめたオスティナート盤も、
どうせ愚にもつかぬモンド盤だろうと、早とちりしてしまったわけなんですが、
レーベルを主宰するヴィック・ソーホニーの選曲は確かでした。

カーボ・ヴェルデ独立前後の熱気あふれる若者たちによる、
エレクトリック化されたコラデイラやフナナーが詰まっていて、
アナログ・アフリカの上っ面のサウンドを面白がるような視点と、次元が違います。
この人、ちゃんと音楽を聴いてるなという信頼感を持てますね。

すっかり感心して、フェイスブックでヴイックさんにコンタクトしてみたら、
この人、インド生まれで、タイ、シンガポール、フィリピンで育った人なんですね。
ニュー・ヨークの大学院を卒業した後、ドイツ、アフリカ、ハイチで仕事をし、
多文化の中で育ち、仕事をしてきた自身の体験とも重なって、
移民がポップスへ果たしてきた役割に、目が向くようになったといいます。

カーボ・ヴェルデ独立直後のエレクトリック・ポップに注目したのも、
リスボン、パリ、ロッテルダム、ボストンへ渡ったカーボ・ヴェルデ移民が、
本国の島にはなかった新しいポップスをクリエイトした過程に、興味を抱いたからとのこと。

独立後エミグレのカーボ・ヴェルデのミュージシャンたちは、
欧米で手に入れた電子楽器を島に持ち込む一方、
本国の伝統リズムを学ぶために、地方の農村や漁村を旅するようになったそうです。
そこで壊れたアコーディオンがシンセサイザーに置き換わり、
島と欧米の移民社会との間に、
文化的なサプライ・チェーンが築かれたと、ヴィックはいいます。
エレクトリック・フナナーも、そうした歴史の中から誕生したわけなんですね。

カーボ・ヴェルデ音楽の電子化のキー・マンとして、
アナログ・アフリカ盤と同じくパウリーノ・ヴィエイラに注目しながら、
選曲にこれだけ差が生まれるのは、単なるセンスの問題ではなく、
移民社会との文化交流に目を向けた、ヴィックの視点の確かさによるものでしょうね。

ヴィックは、オスティナート・レコードを立ち上げる以前、
アナログ・アフリカのサミー・ベン・レジェブとも一緒に仕事をして、
“ANGOLA SOUNDTRACK” や“BAMBARA MYSTIC SOUL” などを手がけています。
最近では、フローラン・マッツォレーニ監修のミスター・ボンゴ盤の
マリ音楽のコンピレーションも、ヴィックが選曲をしていたんですね。

そんな彼が、カーボ・ヴェルデに続いて、失われたソマリ音楽の復刻にアプローチ。
素晴らしい仕事をしてくれました。これについては、次回ご紹介しますね。

V.A. "SYNTHESIZE THE SOUL: ASTRO-ATLANTIC HYPNOTICA FROM THE CAPE VERDE ISLANDS 1973-1988" Ostinato OSTCD002
コメント(0) 

知られざるインスト・レゲエ名盤 アルベルト・タリン

Alberto Tarin  JAZZIN’ REGGAE.jpg

『ギター・マガジン』がおもしろい。

注目したきっかけは、「恋する歌謡曲」と題した今年の4月号。
ろくにクレジットされてこなかった歌謡曲のバックのギターにスポットをあてて、
山口百恵の「プレイバック part2」や中森明菜の「少女A」、
寺尾聰の「ルビーの指環」を分析する切り口も斬新なら、
チャーと野口五郎との対談や、歌謡曲のギター名フレーズなどなど、
これまで過小評価されていた歌謡曲のギター・プレイに注目した名企画でした。

その後も、モータウンのギタリストを特集したりと、企画が秀逸なうえ、
毎回100ページを超すという熱の入れようで、掘り下げ方がハンパない。
「最近の音楽雑誌は面白くない」とボヤく人には、『ギター・マガジン』を薦めています。
そんでもって、今回の9月号が、またスゴかった。
なんと、ジャマイカのギタリスト特集。
なんて地味なところに、焦点を当ててくれたんでしょうか。

スカ~ロック・ステデイ~レゲエに至るギター・インストの名盤を掘り下げ、
当時のジャマイカのギタリストたちが愛用した、安物のビザール・ギターを分析し、
アーネスト・ラングリン、リン・テイト、アール・チナ・スミス、
マイキー・チャン、ハックス・ブラウンのインタヴューをとるという、徹底ぶり。
これを画期的といわずに、なんというかってくらいのもんです。
メントやカリプソまで掘り下げていて、レゲエ・ファンのみならず、
ワールド・ファン必携の永久保存版でしょう。

ジャマイカのギター・インスト盤は、本号にすみずみまで取り上げられているので、
ちょっと違った角度からのインスト・レゲエ盤を
本号に敬意を表して、ご紹介しようと思います。
それがこのスペイン、バレンシア出身のギタリスト、アルベルト・タリンのアルバム。
え? スペイン人? と思うかもしれませんが、
ジャマイカ音楽を演奏する日本人ギタリストが、本号のインタヴューにも、
5人も登場しているくらいですからね。スペインにいたって不思議はありません。

アルベルト・タリンは、スペインにおけるレゲエ・バンドのパイオニア的存在で、
リタ・マーリーがスペインでコンサートをした際に共演もしています。
ギターはオーソドックスなジャズ・ギターのスタイルで、
ジョージ・ベンソン直系といったプレイを聞かせます。

02年の本作は、タイトルどおり、ジャズのスタンダード・ナンバーを中心に、
レゲエ・アレンジで演奏した内容で、“You'd Be So Nice To Come Home To”
“Days Of Wine And Roses” “Old Devil Moon” “Someone To Watch Over Me”
のほか、ボサ・ノーヴァの“Desafinado” にジョン・レノンの“Imagine”、
そしてアルバム・ラストは、マーリーの“Slave Driver” で締めくくっています。

選曲があまりにヒネりがなさすぎで、聴く前はどんなものかと思いましたが、
ジャズ・ギタリストがお遊びでやったなんていうレヴェルではない、
本格的なレゲエ・アルバムとなっていて、すっかり感心。
バックのメンバーも全員スペイン人のようですが、演奏水準はメチャ高くて、
即お気に入りアルバムとなったのでした。

本号にも紹介されている
リントン・クウェシ・ジョンソンのダブ・バンドのギタリスト、
ジョン・カパイのソロ・アルバムと似た仕上がりと思ってもらえればいいかな。
あのアルバムが好きな人ならゼッタイの、知られざる傑作です。

Alberto Tarin "JAZZIN’ REGGAE" Spanish Town no number (2002)
コメント(2) 

音楽の感動と想像力 ランディ・ニューマン

Randy Newman Sail Away.jpg

ランディ・ニューマンをわからないまま、聴き続けているファンとして、
もうひとつ触れておきたいことを思い出したので、今日はその話を。

16歳の時、“GOOD OLD BOYS” にすっかりヤられ、
そのあとデビュー作までさかのぼってニューマンのレコードを聴いて、
“GOOD OLD BOYS” と同じくらい惹かれたのが、
72年作の“SAIL AWAY” でした。

前回、音楽はわからなくていい、と啖呵を切りましたが、
耳の快楽として感動したのならば、
そこでどんなことが歌われているのか気になるのは、当然の人情です。
あの当時、ランディ・ニューマンの歌世界の理解に役立ったのが、
グリール・マーカスが書いた『ミステリー・トレイン』でした。

グリールのおかげで、ニューマンの物語の知識を得ることはできましたが、
それでニューマンの音楽の聞こえ方が変わったかといえば、
そんなことはありませんでした。
やはり知識は、音楽の理解に役立っても、感動の本質には関係がなく、
まずは感動ありきの後付け、参考としかならないことを、実感したものです。

それを強く印象づけられたのが、“SAIL AWAY” のタイトル曲でした。
ぼくはあの曲が、奴隷貿易をテーマとしているとは、
歌詞すら読んでなかったもので、グリールの文章を読むまで想像だにせず、
それを知った時は、ちょっとショックでもありました。
歌の意味をなんにもわからないまま、感動していたことにです。

自分たちの祖先が犯した、奴隷貿易という忌まわしい歴史を、
あれほど美しく、気品のあるメロディで歌ったのは、
恥ずべき歴史を正当化したい修正主義者の人々の喉元を、
皮肉でえぐるという、強烈なアイロニーだったんですねえ。
アメリカ社会が抱える、人種差別の歴史の罪深さを凝縮したこの歌の意味合いは、
グリールの文章を読まなければ、とても理解できなかったでしょう。

それでは、歌詞の意味も知らず聞いている外国人は、
ニューマンの音楽が「わかっていない」のでしょうか。
歌詞の意味を知らずに感動しているのは、「勘違い」なのでしょうか。

“SAIL AWAY” の発売から30年経った02年、ライノがCD化した際、
タイトル曲“Sail Away” の未発表ヴァージョンが、
ボーナス・トラックとして収録されました。
「アーリー・ヴァージョン」とクレジットされたそのヴァージョンには驚かされました。
LPヴァージョンとは、まったく違うアレンジだったからです。

鎖に繋がれた奴隷たちが行進するのを連想させるような、
軍楽隊ふうの勇ましいシンバルの響きや、スネアのロール。
そしてエンディングには、トーキング・ドラムや鉦といった、
アフリカのパーカッション・アンサンブルを
フィーチャーしたアレンジが施されていたのです。
それはまさしく、奴隷船に積み込もうとする様子を、
演奏で具体的に描写したものでした。

しかし、果たして、これが正規のヴァージョンだったら、
感動しただろうか、と思ってしまったんですね。
その説明的なサウンドは、聴き手の想像力を奪うものです。
奴隷制度を硬直的に非難する角度の付けかたは、プロパガンダにすぎません。
そこに聴き手の解釈が入る余地はなく、
それでは奴隷制を肯定しようとする立場の側の
人間の弱さや哀しみにまで、思いを至らせることはできなかったでしょう。

このテイクをボツにして、
美しい弦楽オーケストラのヴァージョンでレコーディングし直したのは、
表現者が角度を付けるのではなく、リスナーに解釈の余地を残すことの重要性を示した、
意義深い実例のように、ぼくには思えます。

わずか20秒あまりのアフリカン・パーカッションのアンサンブルが、
あまりに本格的なのにも驚かされたんですけれどね。
クレジットはありませんが、アフリカ人奏者を呼んで演奏したものに違いなく、
スタジオ・ミュージシャンにアフリカ風の演奏をさせてゴマカしたのではないところが、
ニューマン、偉い! というか、さらにそこまでしても、ボツにしたところも、
さらに偉いというか、信頼に足る人だと感じ入ったのでありました。

Randy Newman "SAIL AWAY" Reprise/Rhino R2-78244 (1972)
コメント(0) 

音楽はわからなくていい ランディ・ニューマン

Randy Newman Dark Matter.jpg

ランディ・ニューマンの新作が出ましたね。

新作が出れば必ず買うという人は、
とうとう、ランディ・ニューマン一人だけになっちゃったなあ。
ダン・ヒックスは亡くなってしまったし、
ライ・クーダーはとっくに聴くのをやめてしまったし。

ランディ・ニューマンを初めて聴いたのは、
高校1年の時の74年作“GOOD OLD BOYS” でした。
アクのある声で、独特の歌い回しをするその語り口に、すぐさまトリコとなり、
“GOOD OLD BOYS” は、ボビー・チャールズやダン・ペン、
ダン・ヒックス、ザ・バンドの『南十字星』同様、
ぼくにとってかけがえのない、生涯の愛聴盤となりました。

相変わらず、ニューマンが何を歌っているのかなどは無頓着に、
「あの」声で歌われる、クセのある語り口、
いわばニューマン節といったものに魅せられて、聴き続けているわけなんですが、
今回は「セリア・クルース」だとか「サニー・ボーイ」など、
聞き捨てならない言葉が、歌詞にやたらと出てきます。
まあ、気にはなるところではあるんですけど、
それでも、歌詞カードを読もうとは思いません。
読んだところで、ニューマンの難解な世界がわかるわけでなし、
仮に少しわかった気になったとて、感動が変わるわけじゃありませんからね。

ニューマンの音楽に限らず、世界中の音楽を聴く自分にとって、
歌詞に頓着しないのは、音楽を聴くうえで大前提となっています。
歌詞なんかどうだっていい、というとやや言い過ぎになりますけれど、
音楽を聴いて感動するのは、ぼくの場合、「サウンドの快楽」であって、
歌詞の意味や、文学的な意味性などにはありません。
歌だけでなく、バラッドや義太夫といった語りものですら、そうです。
エディット・ピアフを評してだったか、
「電話帳を歌っても感動する」という表現が、ぼくにはピタッときます。

ところが、ぼくが音楽を聴き始めの70年代初めの頃というのは、
「ブルースがわかる」だとか「コルトレーンがわかる」とかいったように、
やたらと精神論で音楽を語ったり、哲学的な語り口で過剰に意味付けする、
教養主義的な風潮がとても強かったんです。
メンドくさい時代だったんですよ、70年代って、ホントに。

「わかる」というワードは、おそろしいというか、都合のいいもので、
深い理解や洞察を語っているつもりが、いつのまにか自家中毒を起こして、
独りよがりの歪んだ愛情を文章にしているのにすぎないものが多くて、
ウンザリしたものです。

だから、ぼくにすれば、「音楽なんてわかる必要はない」。
どれだけ感じ取れるか、どこに感動したのか、どう自分が受け止めたのかが大事。
受け止め方は、人によって千差万別で、ひとつじゃない。
受け止め方を人に強制する必要もなければ、強制されるいわれもない。
自由に受け止めていい。そこにこそ、芸術の意味がある。ずっとそう思ってきました。

これって、音楽じゃなくて、絵画、写真、文学に置き換えてみれば、わかりやすいはず。
「絵がわからない」とかいう人、よくいるじゃないですか。
それは、絵を教養のように思い込んでいるからですよね。
絵なんて、「わかる/わからない」じゃなくて、「感じるか/感じないか」でしょう。
音楽だって、文学だって同じです。教養なんかじゃありません。
もっと気楽に接すればいいだけの話、娯楽だと思えばいいんです。

今でこそ、こんなこと当たり前で、何はばかることなく口にできますけれど、
70年代には、そんなことを言える時代の空気はなかったんですよ。
そんなことを言えば、ケーハクなヤツと見下されること必至でしたからねえ。
80年代のバブルが、それを蹴散らしたのかもしれませんね。

Randy Newman "DARK MATTER" Nonesuch 558563-2 (2017)
コメント(5) 

ポップなジャズ・サンバ ジョアン・ドナート

Joao Donato  BLUCHANGA.jpg

ジョアン・ドナートといえば、ついこの前、宇宙船を操縦している
ぶっとんだ絵柄の新作が出て、ナンジャこりゃと、口あんぐりしたばかり。
息子のドナチーニョとシンセ・ブギー・ファンクを繰り広げるという、
ジャケット同様ぶっとんだ内容で、80越してもシンセをぶりぶり鳴らす
気持ちの若さに、オソレいるばかりなんですが、さすがにこれは手が伸びず。
すると今度は、ぐっと落ち着いたジャズ・サンバ・アルバムが届きましたよ。

終りゆく夏の、まさに今の季節感どんぴしゃのジャケット写真に、目を奪われます。
暮れなずむ海を眺める、男たちの後ろ姿のかなたには、
日が落ちたばかりの、ピンクとイエローに染まった水平線が広がり、
淡いブルーの空が夏の終わりを告げる、
去りゆく夏への名残惜しさとさみしさの入り混じる、いい写真です。

そんなせつなさが、やすっぽい感傷に変わるのを拒むかのように、
ジョアン・ドナートの名とタイトルを、
どーんと大きくデザインしたところが、秀逸じゃないですか。
芸術家気取りなんて、みじんもないところが、ドナートのいいところです。

15年リリースながら、流通が悪かったらしく、これが日本初入荷。
アメリカ時代に書いた楽曲のうち、自身のアルバムに収録したことのなかった
レパートリーを集めたという、正統派のジャズ・サンバ・アルバムです。
ピアノ・トリオに、ギター、パーカッション、2管を含む7人編成で、
各自のソロより、グループ全体のサウンドを重視したアレンジによる
12曲が収録されています。

未発表曲というわりに、聞き覚えのあるリフやハーモニーが、
そこかしこから飛び出します。
独特のコード展開や、凝った転調を駆使しまくりながら、
そうとは意識させず、ポップなメロディで親しみやすく仕上げる、
いつものドナートらしい曲が満載。ラテン・タッチのアレンジもシャレていて、
セルジオ・メンデス好きのボサ・ノーヴァ・ファンには、どストライクでしょう。

どの曲もメロディアスな歌ものに仕上がっているんですが、
1曲だけ異質の、歌向きでないジャズぽいトラックがあると思ったら、
ホレス・シルヴァーの曲でした。やっぱりね。
かっちりとしたリズム隊が繰り出す骨太なグルーヴも心地よく、
今回はドナートのへたくそな歌も出てこないので、
気持ちよくポップなジャズ・サンバを堪能できること、ウケアイです。

João Donato "BLUCHANGA" Mills ACM002 (2015)
コメント(0) 

多民族共存を目指すイスラエル発アフラブ クォーター・トゥ・アフリカ

Quarter to Africa.jpg

イスラエルからミクスチャー系グループが続々登場して、
立て続けに日本にやってくるとは、なんだかイスラエル、きてますねえ。
だいぶ前に話題を呼んだイダン・ライヒェルは、
ぼくは受け付けられなかったけれど、今度の波には乗れそうです。

9月にはイエメン系ファンク・グループのイエメン・ブルースが来日する予定で、
10月にはアフロ=アラブ・ファンク・バンドの
クォーター・トゥ・アフリカがやってきます。
イエメン・ブルースは、故マリエム・ハッサンをフィーチャーした曲に
心を揺り動かされましたけれど、今回取り上げるのはクォーター・トゥ・アフリカのほう。

14年にテル・アヴィヴのヤッファ出身の
サックス奏者とウード奏者の2人によって結成されたクォーター・トゥ・アフリカは、
サックス×2、トランペット×2、トロンボーン、ウード、キーボード、
ベース、ドラムス、パーカッションの10人を擁するビッグ・バンド。

日本盤が出るまで、ぼくもこのバンドのことをまったく知らず、
試聴させてもらって、そのフレッシュなサウンドにびっくり。
すぐさまネットで調べて、バンドキャンプにオリジナルのイスラエル盤をオーダーしました。
日本盤は紙ジャケでしたけれど、
イスラエル盤は普通のプラスチック・ケース仕様なんですね。

分厚いホーン・サウンドに支えられ、彼らが自称するアフラブ Afrab なる
アフロ=アラブ・サウンドが爆発する、ダンサブルなサウンドが快感。
イエメンのウードを核に、歯切れ良いダルブッカのビートがドラムスと絡みあい、
アフロ・ファンクなホーン・リフが畳みかけてきます。
演奏力の高さは相当なもので、タイトル・トラックでは世界的に注目を浴びる
ジャズ・ベーシストのアヴィシャイ・コーエンがゲストでベースを弾いています。

演奏力ばかりでなく、音楽性も豊かで、
6曲目ではホーン・リフがバルカン・ブラスを思わせるなど、
アフロ=アラブにとどまらない、南東ヨーロッパをも俯瞰したサウンドを聞かせていて、
彼らが広範なサウンドを目指していることがうかがえます。

はじめ試聴した時の、「おお! かっこいい!」という第一印象が、
オルケストル・ナショナル・ド・バルベス(ONB)のデビュー作とダブったんですが、
アグレブとアラブの違いはあっても、そのミクスチャー・センスは似ていますね。
違いといえば、ONBほどジャズ/フュージョンぽくなく、
ラガの要素がないことでしょうか。
ジミ・ヘンドリックスの“Voodoo Child” のカヴァーなど、
ジャズよりロック/ソウルのセンスを強くうかがわせるバンドで、
こりゃあ、ライヴが楽しみですねえ。

Quarter to Africa "THE LAYBACK" Quarter to Africa no number (2017)
コメント(2) 

世界に誇れる日本初のアフリカン・ヴィンテージ・ボックス

Palmwine Music Of Ghana.jpg

3年越しのリイシュー・ワーク、ついに完成!
待たされただけのことはある、アフリカ音楽遺産のスゴイ復刻がついに登場です!!
パームワイン・ミュージックからギター・バンド・ハイライフに至る道のりを
深沢美樹さんが所有するSPコレクションから選曲して、2枚のCDに収めたボックス。
これは世界中のアフリカ音楽マニアをウナらせること、必至でしょう。

いやぁ、ついに出来ちゃいましたねえ。
6年前、ダスト=トゥ=デジタルからリリースされた、
ジョナサン・ウォードのアフリカ音楽のSPコレクション集
“OPIKA PENDE : AFRICA AT 78RPM” にも匹敵するボックスで、
日本にもスゴいコレクターがいるんだぞってことを、世界に証明したってなもんです。
深沢美樹さんの名前、世界にとどろきますね。

深沢さん渾身の解説も超充実。
パームワイン・ミュージック成立の歴史を解説するなかで、
新大陸アメリカやカリブ海から持ち込まれた音楽を、
「帰還者系音楽」と称されたのは、とても示唆に富む指摘です。

たとえば、ここに収録されていない
ザ・ウェスト・アフリカン・インストゥルメンタル・クインテットの29年録音を聞くと、
当時の西アフリカ沿岸のギター・ミュージックには、
カリブ海からの帰還者が持ち込んだストリングス・アンサンブルや
リズムの影響が色濃かったことがわかりますからね。
ただ、そうしたギター・ミュージックは、パームワイン・ミュージックに比べて
ぜんぜん魅力がなく、だから深沢さんもこのボックスにはいっさい選曲していません。

また、よく混同して書かれるパームワイン・ミュージックとハイライフについても、
本来異なる出自であることを解説したうえで、
なぜ混同されるのかという原因にも触れながら、
両者のややこしい関係を丁寧に説いているところは、さすが深沢さんです。
そのうえで、パームワイン・ミュージックを指してハイライフと言うのは、
「アメリカの黒人音楽はすべて『ジャズ』と言っているようなもの」と
クギをさすのも忘れていなくて、読みながら思わず大きくうなずいてしまいました。

個人的に目ウロコだったのは、名ギタリストのK・グヤシ K Gyasi のカナ読みを、
K・ジャシと訂正されていたこと。
そういえば、Gyedu Blay Ambolley をジェドゥ・ブレイ・アンボリーと読んでたのに、
なんでいままで気付かなかったんだろう。
「グヤシ」という読みにずっと違和感を持っていたので、長年の疑問が氷解しました。
アカンの神々のシンボルとして有名なGye Nyame も、
ジ・ニヤメ(一般に「ジニャメ」と書かれる)と読むもんねえ。

そして、内容の方も、サムことクワメ・アサレのディスク1の1曲目から、
その生々しいギターとヴォーカルに、もうドキドキ。
実は、選曲段階で、このSP原盤の音を聞かせてもらったとき、
あまりにノイズが酷くて、「これは無理なんじゃないの」と言ったことがあるだけに、
このリマスタリングの仕上がりは、アンビリーヴァブル。

この神がかりなリマスターをしたのは、森田潤さん。
単にノイズを取り除くなんてレヴェルを超越した
エンジニアリングの手腕は、ほんとにスゴイ。
スクラッチ・ノイズだけでなく、ホワイト・ノイズを丁寧に除去したうえに、
もともと滅茶苦茶に音割れしていたヴォーカルの箇所をひとつひとつ補正して、
本来こうであったろうという音像を、想像力を働かせながら、
蘇らせたというのだから、頭が下がります。

吉岡修さんのボックス・デザインもサイコーですね。
当初のラフ案は、もっとアジアン・テイストのデザインで、
う~ん、吉岡さん、インドネシア音楽コレクター魂が抜けてないなあ、
なんて笑っていたんですけど、軌道修正を繰り返して、
ファイナルは見事、西アフリカ・ムード溢れるものに仕上がりました。

拍子木が取るリズムが三つ打ちからクラーベに変わる様子や、
ギターばかりでなく、コンサーティーナやパーカッションのみの伴奏のものなど、
パームワイン・ミュージックのヴァリエーションにも目を見張らされました。
クワー・メンサーなんて、これまでみくびってたけど、
こりゃ再評価しなきゃいけませんね。
E・K・ニヤメのジャイヴなんて珍品もあって、
聴きどころを書きだしたら、もうキリがありません。

選曲・解説・音質・デザイン、どこを取ってもスキなく作られた、
日本初の個人コレクションによる、アフリカン・ヴィンテージ時代の本格的リイシュー、
本日発売です。

V.A. 「PALMWINE MUSIC OF GHANA, FROM PALMWINE MUSIC TO GUITAR BAND HIGHLIFE」 El Sur 008
コメント(0) 

マキシム・ラオープを想って バン・ラオープ

Bann Laope.jpg

もう1枚入手したセガ近作が、
セガの名クルーナー、マキシム・ラオープが05年に亡くなる1年前に、
マキシムの子供や孫たちによって結成された、バン・ラオープ。
マキシム・ラオープをご存じない方は、以下の記事をご覧ください。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-02-15

はじめはプライヴェートなパーティやコンサートなどを催して、
演奏活動をしていたらしんですが、マキシムが亡くなったあと、
06年5月のコンサートで、初めてプロ・デビューしたそうです。
14年にリリースしたデビュー作では、
マキシムがかつて歌っていたレパートリーを歌っています。

正直、歌はアマチュア芸の域を脱していませんが、
親族やマキシムゆかりの友人たちによる演奏は、なんとも温かくって、
悪口を言う気になりません。
手作りのぬくもりが伝わるサウンドは、ドラムス、ベースとも人力。
カヤンブ、ジェンベなどキレのあるパーカッションのビートが利いています。
トランペットとサックスの2管を擁しているのも嬉しいですね。
打ち込みは使っておらず、シンセも1曲のみバックでうっすらと鳴らす程度。

本デビュー作では、マキシムの代表曲“Célia” はじめ、12曲が歌われています。
レゲエ・アレンジで歌われる“Lapesh Kameleon” は初めて聞きましたが、
トボけた味がなんともマキシムらしくて、いい曲ですねえ。
原曲はシャンソン・クレオールなのかな。

マキシム・ラオープのセガのほっこりとした味をよく再現した、
心あたたまるアルバムです。

Bann Laope "I SHANTE MAXIME" no label no number (2014)
コメント(0) 
前の30件 | -
メッセージを送る